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第3章:多動力で次から次に目標を見つけて実行する

まず、ADHDの特徴の1つに「多動性」というものがあります。
この多動性は、様々なことを同時に考えたりする思考の多動性や、貧乏ゆすりや髪の毛をいじるなど行動の多動性などがあります。

わたしは、勉強や仕事に集中している時に、無意識に貧乏ゆすりをしてしまうことがありますが、それもこの特徴に当てはまると考えています。

もう1つあげると、TVをつけたままYoutubeも再生し、さらには、その状態で本を読むことが習慣になっています。

わたしはこれらの行動習慣が、周りから落ち着きがないとか集中力がないとか言われることが多々あるので、恥ずかしいことだと思ってしまっていました。

しかし、ホリエモンこと堀江貴文さんの著書『多動力』に出会い、また、この本の内容を説明している堀江さんのインタビューを観て、わたしは自分の「多動性」による特徴に対して少しポジティブに受け入れられるようになりました。

今回は、そんなわたしが自信を持てるきっかけにもなった『多動力』をもとに、わたしなりの考えをまとめていきたいと思います。

「多動力」とは?

ホリエモンの言う「多動力」というのは、異なることを同時に取り組み、自分のやりたいことを次から次にやりまくる力で、今までの時代は1つのことを一生かけてコツコツとやり続けることが価値だと思われていたが、これからの時代は、この「多動力」に挙げられる過ごし方がビジネス面でも生活面でも大事な資質だと主張しています。

その多動力を持続させていくために「サルのようにハマり、ハトのように飽きろ」を繰り返し行うようにと表現されています。

たしかに、ホリエモンはlivedoorの立ち上げを行なった後は、エンタメのイベント開催や、ロケット開発、和牛の買付ビジネスやR-1グランプリへの出場、さらにはオンラインサロンの運営など幅広い領域で色々なことに着手しているので、まさに「多動力」を体現している第一人者と言えるように思います。

なぜ今「多動力」が必要なのか?

今わたしたちの生活を見渡してみると、全てがインターネットやITで繋がる時代だと感じないでしょうか。

ホリエモンは、このインターネットの出現と発達により、あらゆる業界の「タテの壁」が溶けているから、社会で生き残るためには「多動力」を持った人材こそが価値ある時代だと言っています。

例えば、自動運転技術を搭載した自動車がまさに「タテの壁」が溶けているわかりやすい例だと思います。

今までは自動車1つを作るのには自動車産業内で全て完結していました。しかし、自動運転技術というのは、今までの自動車業界のみで収まらず、ITの知識や技術が必要となり、その専門性を持っている人材が欠かせません。このように、自動車業界だけでなくIT業界にも詳しい各業界を超えて越境できる人の価値が高まっている時代が間も無く当たり前のようになってくると考えられます。

「多動力」と「多動性」は相性がいいのか?

ここでわたしが考えたいのは、ホリエモンの言う「多動力」と、ADHDの特徴の1つである「多動性」はうまく調和できる部分はあるのかということです。

ADHDの周囲からのイメージは、いろんなことに気が行って落ち着きがないだとか、他のことを考えながら人の話を聞いてしまうことが多いことから、人の話を聞いていないように見えるなど、「注意散漫な人」というネガティブな印象を抱かれることが多いと思います。

しかし、ADHDのわたしの考えでは、少し視点が異なります。

ADHDの特徴の程度の差にも寄るとは思いますが、気が散っているように見えるのは、いろんなことに興味があって、全部が気になってしまうのです。色んなことに好奇心があることは良いことだと思います。

また、人の話を聞いていないように見えるのは、実はちゃんと聞いているのです。他のことを考えながら聞いていることがあるので、通常よりかは聞き溢れがあるとは思いますが、大意は理解しています。人の話を聞きながら他のことを考えられる器用な特徴だと思います。

ということで、わたしの考えでは、ADHDの「多動性」は、「色んなことに興味を持てて、同時に色んなことを考えられる」という潜在的な才能だとポジティブに捉えています。

このわたしの考えは、ホリエモンの解く「多動力」に通じるものがあると考えられるようになったから、より一層ポジティブに捉えることができるようになったと思います。

様々な事柄に興味を抱き、同時並行で没頭して、色んな知識や能力を身に着けることが多動性の持つ強みと一致していると思ったので、そのように考えられるようになりました。

まとめ

わたしの過去を振り返ってみると、大学の学部時代に、文学部という専攻に在籍しながらも、1年生から4年生の間で1日も無駄にすることなく、心理学・教育学・生命科学・宇宙科学・言語学・社会学・法学など単位になるならないは関係なく幅広く受講しながら、教職免許取得のための単位取得と大学の交換留学制度合格のための勉強も同時並行で進めていました。

そして、成績を気にしていたわけではなかったのですが、受講したすべての科目において最高評価を取るほどに全学問に没頭していました。その延長で、大学を首席で卒業をすることができました。

当時はあまり気にしていなかったのですが、自分は何かに没頭してそれらを同時に進めることができる力を持っていたんだということに、ADHDと診断された今になって気づきました。

最近でも、大学の時に使っていた参考書やテキストを読み返したりしているので、わたしの「知りたい」という好奇心は未だに衰えていないことを実感しています。

ADHDの「多動性」には様々な種類や程度の差はあると思いますが、少なくともわたしは色んなものに興味が湧いてしまい、色んなことを同時にやりたいというワクワクする感情が湧いてきます。

これを周囲はネガティブな表現やマイナスな印象で捉えるかもしれませんが、大事なのは、他人が持つ印象よりも、自分がその特徴をどう捉えるかだと思っています。

アドラーの『嫌われる勇気』でも、「他人の評価や課題に時間を費やすのではなく、自分自身に対して時間を費やすべきだ」というわたしの好きなフレーズがあるのですが、その考えにも一致する考え方だと思います。

わたしは、ADHDということで周りからの評価が気になってしまい、恥ずかしいとか後ろめたいとかふさぎ込んでしまっている方々に伝えたいのは、これからは、あなたの多動性に社会的価値が認められやすい時代が来ているということです。

なので、多動性を症状と捉えるのではなく一種の才能だと捉えることで、考え方のベクトルが代わり、色んなことに取り組んで良いんだという思考になることで、たくさんのものに対する興味を思う存分発揮していただけたら、それが回り回って誰かのために役立つかもしれないし、社会的な価値を生み出すかもしれないと、わたしは本気でそう思っています。

わたしはnoteを書くようになってからは特に、色んなジャンルの本を読み漁っています。ビジネス、経営学、心理学、コミュニケーション、歴史、資産運用、プログラミングなどなど、興味を持ったものはすぐに読むようにしています。

もし、その興味を抱いた本が自分にとっておもしろくなければ、読み進めなければ良いと思っています。
嫌なことをたくさんやるよりも、自分に感度に合ったおもしろいこと、やりたいことを何でも取り組むことで、「自分らしさの軸」に繋がってくるのではないかと考えているので、人から勧められた本とか読みたくもない本を読んでも時間の無駄だと思います。

今回は、ホリエモンの『多動力』をもとに、わたしが考える今後の生き方や考え方をまとめましたが、ADHDでなくとも、注意散漫と言われてしまう方や落ち着きがないと言われてネガティブに考えてしまっている方など、少しでも多くの方々がポジティブに生きられるようなお役立ちができれば、本当に心からうれしいです。

最後まで目を通していただき、ありがとうございました。

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