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【掌編】花


 花摘みの帰り、河原で騒がしい一団に出くわした。
 橋の建設にあたり、村の子供が人柱にされるという。

 興味のままに人だかりをかきわけていくと、まだ骨組みしか出来上がっていない支柱の一本に、たしかに少女がくくりつけられていた。騒がしい観衆とは対照的に、赤染の上等な着物を着た彼女は、いたって平静な澄まし顔である。前髪の下にある一対の眼が、女と呼ぶにはあまりに少年じみていて、まだ私とそう歳が変わらないであろうと思われた。
 立ち働く職工たちは、少女をただの資材として捉えているらしい。観衆の視線に居心地の悪さを覚えるふうでもなく、つとめて労働に精を注いでいる。群衆を抑えているのは主に衛士の役目で、この橋の建設が城主からの勅命であることを声高に説明していた。後ろめたさを抱えた人間というのは、一様に声が大きいものである。私は物々しく着飾った衛士たちよりも、垢と埃に塗れて働く職工たちに好感を抱いた。

 骨組の内部へ土を注入する段になると、観衆の間へ緊張が走った。
 いよいよ、少女が生き埋めにされるのである。
 縁者に限り、この者との会話を許す、と衛士長からお達しが出た。それを待ちわびていたかのように、ざわつく観衆から、一組の年老いた夫婦が歩み出る。二人は我々が見守る中、ぼそぼそとした声で少女となにやら言葉を交わした。少女の凛とした面持ちが、それで少し緩んだような気がした。
 やがて老夫婦が重い足取りで退くと、ほかにはいないか、と衛士長が問いかける。しかし、老夫婦に続こうとする者は誰もいなかった。
 それではあまりに不憫ではないか、と考えていた私は、なにかに背を押されるようにして、群衆から進み出ていた。戸惑う私へ、衛士長が短く頷き、少女の許へと促す。皮膜のような質感の視線に耐えつつ、私は肚を括ってそちらへと歩いた。
 驚いたことに、少女は私を知っているようだった。
 あるいは、そのような素振りをしてくれたのかもしれない。私が彼女と所縁のない者だと知られれば、懲罰は免れないと察したのだろう。自分の末期に立たされていながら、少女の精神は敬服するに値するものだった。

「悲しまないで」少女は親しげな口調で微笑んだ。「悲しいことなんて、なにもないんだから」

 そのときになって初めて、私は口も利けないほどの悲しみを覚えた。路頭に迷う子供のような孤独が胸を塞ぎ、思わずうつむいた拍子に、粘り気のない涙が目頭から降った。それは私が野原で摘んだばかりの白い花へと、まるで恵みのように垂れ落ちた。
 私は少女へ歩み寄り、その花を一輪、黒髪の隙間へ差してやった。
 少女は黙って私に微笑むばかりだった。

 私が離れると、職工たちは周囲から、あるいは足場の上から、赤褐色の土を支柱へ振りかけ始めた。髪に花を飾った少女は、いまはもうじっと瞑目して、人柱としての役目を果たそうとしている。私はそれからけして目を逸らさずにいた。やがて湿った土が彼女の全身を覆い、凛と澄ましたその顔が生きたままに埋没しても、私は最後までその場に佇んで見守っていた。

 それから私は、毎日のようにその河原へ訪れる。雨のない日には橋の袂まで近づき、少女の埋まった支柱を取り留めのない気分で眺める。やがて橋の施工が完了し、頭上を人々が往来するようになっても、私はそこを訪れ続けた。完成した橋は、赤と白の塗料で着色され、奇しくもあの日、人柱となった少女を染めていた色彩と同じだった。赤い着物に、白い花。
 どれだけの歳月をそうして過ごしたか知れない。
 いつしか時代は移ろい、戦乱と泰平がかわるがわるにやってきて、その橋に少女が埋められたことなど、もはや誰の記憶からも忘れ去られてしまったようだ。それを憶えているのは私だけであって、いまではそれを忘れないでいることが、私の唯一の役目であるように感じられる。私はすでに肉体を失い、世の中も沈黙に包まれて久しいが、少女の埋まったその橋は、人が絶えた現在でもかろうじて原型を留めているのだった。

 今朝、河原での短い眠りから醒めると、空の群青を背にして、かつての少女が立っていた。
 私は驚きのあまり声も上げられなかった。夢にまで見た、生きている頃にはけして叶わぬ再会だった。
 咄嗟になにか言おうとした私の口を遮り、少女は緩やかに微笑んだまま、橋の袂を指さす。私も思わずそちらを見た。
 崩れかけた橋の支柱の亀裂から、白い花が茎を伸ばして空を仰いでいる。沈黙に浸されたこの世界で、その可憐な花は、何物にも勝って雄弁な佇まいに思えた。
 私はそれを見てやっと悟った。

 悲しいことなんて、なにもなかったのだ。


 <了>



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※2018年頃執筆。
 見出し画像:みんなのフォトギャラリー(森野二コラ様)

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