見出し画像

誰に認められたくて、誰に評価されたいのか。


認められたい、評価されたい

普段、生活している中で、仕事でも、プライベートでも、今の自分のこの行動は、誰に認められたくてそうしているのか。誰に評価されたくてそうしているのかと考えたことはないでしょうか。

僕はたまにそういう風にふと思うことがあります。

誰かに認められたいと思うことも、誰かに評価されたいと思うことも決して悪いことではありません。

むしろ、大なり小なり誰の中にもそういう気持ちってあるもんだと思っています。

noteだって、誰かに認めてもらいたいとか、誰かに評価されたいと思って書いてる部分だってあるでしょう?

認められたい評価されたいって気持ちが、いい塩梅に自分の背中を押してくれるのであればそれはそれで全然いいことだと思っています。

だけど、その気持ちが強くなりすぎると、自分はいったい誰のためにこれしてんだって。

自分のためにこれをしたんじゃないのかって、窮屈に、自分がカッコ悪く思えてくることがあります。

もっと気持ちいいこと

今日、仕事をしていて、特に自分が手をつけなくてもいい仕事がありました。自分のやることとして捉えたときに、緊急ではあるけど重要ではないというか。

でも、リソースが余っていたので、暇でボーッとするのもイヤだし、その仕事に手をつけようかなって思ったんです。

それをやることによって、やっといてくれてありがとうとなるか、別にやらんでもよかったのにってなるかどっちに転ぶかは分かりませんでした。

だから、自分の評価につながるかどうかはこの時点では五分五分。

でも、自分としてはこれはやるべきだと思った。

結局その仕事に手をつけて終わらせて、自分の評価につながったどうかは分かりません。

評価につながればそれはそれでラッキーくらいなもんでしょう。

そんなことよりも、自分の頭でやるべきかどうか考えて、行動に移すっていうこれがやっぱり気持ちいいですよね。

主体性、発揮できていますか?

認められることとか評価してもらうことが先にきちゃうとどうしても他人を意識した言動になっておかしくなっちゃう。

特に、仕事とかでは認めてもらうこととか、評価してもらうことは大事なこととだけど、自分の中で程よい向き合い方が大事だと思います。

結果的に認められることや評価につながればいいけど、まずは自分で考えて、感じて、行動に移すという自分の主体性を一番最初に持ってくるべきだと改めて感じました。

主体性、発揮できていますか?

よろしければサポートお願いいたします!