【随想】 「わたし」と「あなた」
この世には、「わたし」と「あなた」の“ふたり”のヒトしか居ない。
「わたし」は「あなた」でないし、「あなた」は「わたし」ではない。それ以外のヒトは存在しない。
そんな「わたし」と「あなた」の能力には「できる」と「できない」とがある。
太古の世界、過酷な自然界を強力な武器(鋭い牙や爪……ets)を持たぬヒトが生き残ってゆくには、“ひとり”の「できる」能力では限界があったに違いない。
だから、ヒトは“集団”を作った。
「わたし」の「できない」を、「あなた」の「できる」で補完してもらうために。その逆もまた然り。その補完関係──「協力関係」とも呼べよう──を得たコトで、ヒトは貧相な形態でも野生時代を生き抜いてこれたのだろう。
それは現代の激動の時代にも当てはまる。
現代の厳しい生存競争の社会を生き残るために、「わたし」たちに必要なモノは「あなた」の「できる」であり、「あなた」たちに給したいのは「わたし」の「できる」である。
これからもヒト同士の補完関係は、益々大切になってゆく。
この関係に年齢、性別、学歴、家柄、国籍、宗教、肌の色……諸々の“違い”など問題ではない。まったく無い。本来なら、その“はず”でなければならない!
しかし哀しい哉。
「わたし」たちはホンの僅かの“違い”を論い続け、互いに傷付け合うことを止めないでいる。
その傷の痛みは「誰」に捧げるつもりなのか?
それは種族内の自虐的行為。自らを絶滅の道へと向かわせる蛮行のナニモノでもない。
「わたし」たちは地球に残った唯一の“人類”ではなかったのか!
何万年後の地球の歴史家は語るであろう。「ヒトは自滅した」と。