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「レバニラじゃないよ!」韮崎市発のWEBマガジン『にらレバ』って何?

こんにちは。河原部社『にらレバ編集部』の、まつのすけです。

このように自己紹介すると…
皆様から「え、中華料理のレバニラ!?」「斬新なメディア名だね」「どんなこと書いてるの?」など、いい感じのリアクションが返ってきます。

そこで、今回は…
初見さんでもこれを見ればまるわかり!「にらレバ」ってなあに?に対する、アンサー記事をお届けしたいと思います。


1:斬新なメディア名に込められた願いとは?

にらレバ新ロゴデータ_アートボード-1

さて、私たち運営メンバーに投げかけられる質問の8割程度が、「にらレバ」という媒体名についてです。手始めに、この名前の由来からご紹介させていただきたいと思います。

「にらレバ」という言葉には、「韮崎で 〜 れば?(提案)」という意味が込められています。

私たちは、出身者や関係者といった”韮崎にルーツを持つ人”に向けて、「いま韮崎はこんな感じだよ」「韮崎にはこんな良さもあるんだよ」など、地元のリアルな情報を発信することで、韮崎とのつながりを保ったり、魅力を再発見するきっかけになれば…

そんな想いを込めて「にらレバ」という名前をつけました。

決して、食べ物の韮(ニラ)から連想し、中華料理の「レバにら炒め」に行き着き、この名前をつけた訳ではないですよ〜(笑)


2:「にらレバ」立ち上げの背景とは?

そんな、にらレバが、産声をあげたのは、今から3年前の2018年9月。山梨県出身で、韮崎市地域おこし協力隊のメンバーとしてUターンしてきた窪田いくみ(にらレバ初代編集長)が立ち上げた、プロジェクトがきっかけでした。

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初期メンバーであり、元編集長の窪田が当時の心境を綴っている記事があるので、その中の言葉を借りて、ご説明させてください。

韮崎の多くの子は高校卒業後、都内の大学に進学してそのまま向こうで就職します。けれど、きっと私のようにきっかけや情報さえあれば地元に戻るのもいいなと感じる人もたくさんいると思うのです。

にらレバがあることで地元とゆるく繋がっておきながら、それぞれが自分なりの地元との関わり方を見つけていってもらえたらと思います。

そして悩んだときや、何か面白いことをしてみたいというときに、気軽に声をかけてもらえるような存在のメディアをつくっていきたい。
(窪田が、当時の心境を綴った記事より一部抜粋)

この想いに賛同し、集まったメンバーたちを中心として、「もっと、ずっと、じもと。」をコンセプトに、ちっちゃく走り出したのが、韮崎市発のWEBマガジン「にらレバ」だったのです。

↑窪田の思いを綴った記事はコチラ!


\ちなみに設立メンバーは、こんな人たち!


3:どんな想いを持って記事を書いているの?

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先ほど、ちらっと登場しましたが、にらレバでは「もっと、ずっと、じもと。」をコンセプトに、韮崎のお店や会社、人に歴史といった様々な情報を発信しています。

現在、日本には1,718の市町村がありますが、その中の1つ「韮崎市」は人口3万人弱のとても小さなまちです。そして、多くの若者たちはこのまちのことをあまりよく知らないまま、進学や就職で東京に出ていってしまいます。

魅力的なまちは他にもたくさんあるけれど、せっかく1/1718のご縁があるのならば、このつながりを大切にしたい。

韮崎の地でがんばっている人、他のまちでたっぷり刺激を受けている人…人々が「韮崎というまち」を中心として再びぐるりとつながれば、きっと何かおもしろいことが起きるのではないか?と、私たちは思っています。

「もっと、ずっと、じもと。」

ずっとここに居ることを押し付けるわけではありません。
でも、地元にいつでもつながりや、居場所を感じていてほしい!このコンセプトには、そんな願いが込められています。


4:運営メンバーって、どんな人たちなの?

さて、こんな熱い想いを持ってスタートしたにらレバですが、一体、どんな人たちが運営しているのか、気になりませんか?気になりますよね?(笑)

A.にらレバは、韮崎に関係を持っている若者たちで運営しています。

主に、にらレバ編集部は、韮崎出身者、U・Jターン者、移住者、東京都と2拠点生活している人…など、個性的で様々なバックボーンをもってるメンバーで構成されています。

そして、この3年間で様々な変化を遂げ、現在の形へとたどり着きました。

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全体の指揮をとる編集部の主軸メンバーは…
1)初期メンバーの一人で、河原部社の理事長である西田遙、2)にらレバのライターであり、BEEK DESIGNで編集・デザイン業をしている 窪田いくみそして、3)にらレバのライター・編集者であり、ディレクションやSNS広報も担当している私(松野佳奈)3名です。

ここに、韮崎にゆかりのある外部ライターの協力や、関係者からの寄稿が加わることで、にらレバは走り続けることができています。

今後も、それぞれがもつカラーを大切に、韮崎への想いを込めて、取材や記事の執筆を行っていきたいと考えています。


ここまでで、これまでのにらレバのあゆみや、編集部メンバーについてお伝えしてまいりました。次回の記事では、3周年を迎えた にらレバ が「どのように進化していきたいのか」を中心に、今後の企みについて、お話できたらと思います。

【おまけ】松野の「にらレバ」に対する想い

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生まれ故郷の魅力って住んでいる時にはなかなか気づきにくいもので、「田舎よりも華やかな都会に行きたい」「山や自然以外に何もないんだもん」「やりたい仕事が山梨にはない」などの理由から、地元を離れてしまう若者も少なくありません。

じつは、私もその一人でした。しかし、威勢良く地元を飛び出したものの、やはり愛着のある故郷。ことあるごとに頭の中では、山梨のことがチラつきます。そして…

「何もないと思っていたけど、すべてここにあったんだ…」

ある日突然そのことに気づき「いつかは、山梨に帰りたい…」と考えるようになりました。それからは、地元の仲間と連絡をとったり、月に1度帰省したり…コツコツと自分の中の故郷をアップデートする日々。3年の歳月をかけて、ようやく準備が整い、山梨へのUターンを実現することができました。

私のような想いを持った、韮崎出身者はたくさんいるのではないでしょうか。

そんな人も、WEBマガジン(にらレバ)があれば、たとえ遠く離れた地にいたとしても、韮崎のいまを身近に感じることができるのでは?と考えています。

「知らないだけで、たくさんの魅力が凝縮されているまち。」

ならば、「知らないを知っている。そして、思わず誰かに話したくなる!」そんな情報を入手できる場を作れば、地元との自分なりの関わり方を見つけられるのではないでしょうか。

ここに来れば、まだ知らぬ韮崎市の魅力を知り、誇らしく語れるようになる。そして、いつまでも地元とゆるやかに繋がっていける。

出身者も移住者も…韮崎市に関わる、すべての人にとって、にらレバが、そんな場所になれたらと願っています。かしこ。


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