keiichi MATSUI(松井 恵一)

高校教員/公民科/良き関係を見いだす/思考のメガネを持つ/違いを認識する/共通言語を持…

keiichi MATSUI(松井 恵一)

高校教員/公民科/良き関係を見いだす/思考のメガネを持つ/違いを認識する/共通言語を持つ/感性に気づく/自らのセンスを磨く/応援できる自分/自己と対象を結ぶ/場をつくる/ミニマルな生活を大切に/余白を大切に

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  • 「志望」をカタチづくる

    大学入試の志望理由書などの志望を形作っていくために何が大切なのかをまとめてみました。自分の中にある想いをを適切な言葉で表現することがつくづく難しいと考えさせられます。

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ミニマルな生き方を大切に

50歳になる年を迎え、より自分らしく生きるためにnoteをはじめます。 50歳からの自分は、 自分が、自分に期待できるように、 自分が、自分の目を信じることができるように、 自分で、自分を認めることができるように、 自分で、自分をもっと好きになることができるように、 生きていこうと思う。 だからそのために、もっともっと学びを深めようと思う。 偶然見つけたページの内容が、なんだか今の自分にとても響いたので。

    • ”思考のメガネ”のその後…。

      あの時以来、心に残りつづけ、口癖のように発している”思考のメガネ”というコトバ。 そして、”思考のメガネ”を通じて実現したいことは、”思考のとびらをひらく”こと…。 また、悩む。自分。思考のメガネを通じて思考のとびらをひらく。 そんなことを想い続けて、授業がはじまって3週間。 授業も軌道に乗ってきた今、また悩み。ふと、思う。 眼鏡店で本物の眼鏡をつくる時、視力を測定したり、目の状況を様々な視点から測定したりした後、いろいろなレンズを組み合わせて、ピントが合うレンズをつくっ

      • やっぱり「余白」...

        年度末から続けてきた整理・整頓活動整理・整頓活動。 要するに、大掃除。 というか、とにかくいらないものを捨てに捨てる。 隙間なくびっちりと書類や書籍。 そして、よく見るとほこり…。 とにかく、整理、整理、整理。 そして、生みだされた余白整理、整理、整理。そして、整頓。 ついに生み出された余白としての空間。 音楽が流れる場所になった…。 整理・整頓がなされる場所になった…。 そして、考える。 「この”余白”どう使えるだろうか?」 次から次へとアイデアが湧き上がってくる。

        • 学習とは、経験によって行動が変容すること。

          学習の定義はさまざまにあるのだろう。 好みの問題ではないけれど…私にとっての学習とは、心理学の定義が最もしっくりくるし、最も大切にしたい視点だ。 「学び習うこと」も、「新しい知識や技術を習得すること」も、もちろん大切だとは思っているけれど…。 では、どうして、心理学の定義がしっくりくるのだろうか? 自分自身の実感で、「学んだ」と評価できることの大切さ。「学び習うこと」や「新しい知識や技術を習得すること」は、それを確かめるために、知識試験や技術試験といった他者が作成した試

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        • 「志望」をカタチづくる
          4本

        記事

          100日め

          毎日noteを投稿してきた。 ついに、目標としていた100日連続投稿に到達した! 感動的…。 思えば、記念すべき1日目の投稿は… 「より自分らしく生きるために」だった。 50歳からの自分は、 自分が自分に期待できるように、 自分が自分の目を信じることができるように、 自分で自分を認める事ができるように、 自分で自分を好きになれるように。 そのために書き続けた。 そして、毎日新しい気づきに出会った。 そして、その日々は、自身の内面と向き合う日々だった。 そして… 完成す

          ”休みの日”にすべきこと。

          何もしない1日。天気が良く暖かい1日だった。 でも、何もしなかった。 そのような日も大切だと感じた1日だった。 だらだらと、何となく過ごしてみた。 あっという間に夜になってしまったし、もったいない1日を過ごしたような気もするが、心が楽になった。 感覚により得ている情報量はどのくらいあるのだろう?人間は、「感覚」を持っている。 その感覚を通じて、様々な情報を得ている。 どのくらいの情報量になるのだろう。 その情報は、”刺激”となって、行動につながっていく。 外に出れば、様

          ”休みの日”にすべきこと。

          「理想」や「真」は、どこにあるのか?

          理想を追い求めていくなかで、自分の中に「何か」迷いが生じた時、人は何を拠り所にするのだろうか? そもそも「迷い」とは何か。ある「理想」や「真」にたどり着く過程の中で、何かに心乱された時、「迷い」が生まれるということなのだろう。 では、何に心が乱されて何に判断を妨げられているのだろう。 自分も今、漠然とした迷いの中にいる感覚がある。 こんな時はいつでも、表現する言葉が見当たらなくなる。 ただ、影響されているかもしれない「何か」に思い当たる節もある。 一つ目、目標となってい

          「理想」や「真」は、どこにあるのか?

          目の前なのに…遠い…。

          noteを書き、投稿し始めて、今日で97日目。 100日連続投稿をしようと心に決めて、ようやくその100日めが目前。 でも、100日目が近づくにつれて、書けない自分がいる。 「書きたい」気持ちはあるけれど、書けない…。 思えば、noteを書くということは、自分と向き合い続けることの連続だった。 そして、「書き続けること」そして、「誰かの目に触れるかもしれないこと」に対する責任を重ねてきた。 書けば書くほど、その重圧を強く感じるようになった。 また、書き続けると、「あれっ

          目の前なのに…遠い…。

          「人間とは何か?」について考えるために、こんな問いかけをしてみた。

          倫理の授業が本格的にはじまった。 テーマは、「人間とは何か?」 ということで、導入で「ある問いかけ」をした。 生徒たちの回答は次のとおり。 泣いたり、笑ったり、起こったりと感情がある。 言葉を操ることができる。 道具を使うことができる。 友情を感じることができる。 などなど。 どんな問いかけをしたか、分かりますか? さらに…こんな回答が続きます… どら焼きを食べる。 そして、 トラウマを抱えている。 ハッとさせられた。 自分でも、それなりに出てくるだろう回答を予想して

          「人間とは何か?」について考えるために、こんな問いかけをしてみた。

          つみかさねる

          新年度がスタートして数日が経過した。 終わりを見据えて思うこと。 それは、「つみかさねる」ということの重要性だ。 ただ、最初はその想いが強く「つみかさねる」ことができていても、 いつしか、1日、3日、1週間、1ヶ月、半年と「つみかさねる」ことができなくなっていく。 そして終わりに思う。 「つみかさねておけばよかった」と。 スタートした時に思った、「つみかさねよう!」とココロに誓った気持ち。 それを持つだけでは不十分だ。 「つみかさねる」ことをし続けることができるよう、刺激

          ぎりぎりになって、乗ってくる”気持ち”

          連続してあがる花火のように。切羽詰まる。 あとがない。 緊張感。 期待と不安。 とにかく、ギリギリにならないと、気持ちが乗らない。 反対に考えると、ギリギリになると、気持ちが乗ってくる。 どうしてだろうか。 いつもそうだ。 切羽詰まると、あとからあとからアイデアが湧いてくる。 まるで、連続してあがる花火のように。 いつも自転車操業はやくからはじめれば… そんなことは、分かっている。 しかし、取りかかれない。 ということは、分かっていないということなのだろうか。 ”間に合っ

          ぎりぎりになって、乗ってくる”気持ち”

          誤った認識はどこからやってきたのか?

          創造の対義語は?「創造の対義語は?」と問われたら… 最も多い反応は、「破壊」 さて、どうしてそうなったのだろうか? 抽象の意味は?「抽象の意味は?」と問われたら… 最も多い反応は、「曖昧」 さて、どうしてそうなったのだろうか? 人の認識は、クセがあるし、誤認する。強い印象のあるものと結びついた時、または、誤用や誤認が繰り返されると、人間は誤ったものでもそれが正しいと認識するようだ。 授業づくりに思う倫理の授業を担当すると、言葉の定義というものに意識が向く。 そして、「言

          誤った認識はどこからやってきたのか?

          ”思考のとびら”をひらく

          いよいよ新年度がはじまる。 授業も一からのスタートになる。 毎年この時期に思うこと。 それは… 「一体自分は、授業で”何を期待しているのだろう?”」ということ。 それは、自分自身に対して、そして、生徒に対しても。 授業とは、教師が生徒に一方的に知識を与える場ではない。 もちろん、知識として、言葉の定義、時代や思想家たちが捉えた対象の認識の方法については伝える必要はある。 しかし、この知識を単に伝えたところで、一次的な暗記に陥ってしまってはその時間は何のためにあったのか?と

          ”思考のとびら”をひらく

          松の葉は、いつも翠(みどり)

          常に変化して、同じみどりを保つ住職の話が身にしみた。 桜や紅葉は、その季節に「いろ」を見せ、そして枯れていく。 その季節になると、私たちにきれいな姿を見せてくれる。 でも、松は、”みどり”の葉を保つ。 しかし、”みどり”が変わらずにあるように見えるけれど、そこには常に”変化”はある。 常に、みどりが保たれるよう、新しい芽吹きがあり、命が入れ替わっていく。 諸行無常、諸法無我すべては変化し移ろいゆく、そして、永遠で変わらないものはない。 だから、外にばかり目を向けるのでは

          松の葉は、いつも翠(みどり)

          星空の下で。

          母方の実家に。 周りには何もない。 空が高く、星がきれいに輝く。 都会の光は、自然の光を覆い隠す。 空は美しい。 時空を超えて、さまざまな思い出が蘇る。 幼かった時の日々。 どれだけ自分が多くの人のお世話になった事か。 そのような事をしみじみ思う。 一人で強がっている自分がいるけれど、やっぱり一人では生きられないし、生きてきたわけではない。 100歳を迎えた祖母が旅立った。 改めて、人のつながり、ありがたみを教えてもらった。 「おばあちゃん!本当にありがとう!」 今日

          旅立ちのとき

          4月になったけれど…。 大切な仲間を見送った。 とにかく一生懸命に接してくれた。 食らいついてくれた。 自分の意見をしっかりとぶつけてくれた。 そのような、仲間を見送った。 「元気で!」 という言葉は月並みではあるけれど、心からそう思う。 それと同時に、また会う日に、自分自身が「元気」な姿を見せたい。 それが、一生懸命に接してもらったことに対する恩返しになる。 また、一生懸命に接してもらったものを他者に送りたい。 それが、一生懸命に接してもたったことに対する恩送りになる