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孤独は体に悪いです

最近ハフィントンポストに「孤独は体に悪い。その理由が科学的に証明される」と言う記事が掲載された。

この記事にうなずくことしかできない。僕はここ数年間で、1人で過ごす時間が随分長くなった。僕はアメリカ在住なのだが、現在フィリピンと日本でBrighture English Academyという語学学校も経営している。このため1年の半分ぐらいはアメリカの外で一人暮らしをするのが日常になった。

この暮らしをするようになってもうかれこれ3年になるが、今の生活形態になってから病気をすることが多くなった。去年の9月にも39度台の熱を数日間続いて寝込んだし、つい3週間前には扁桃腺をひどく腫らしてフィリピンの病院に入院した。なんとなく漫然と、これはひとりでいる時間が長くなったせいじゃないかと思っていたのだが、この記事を読んで「あー、やっぱりな」と、妙に納得がいった。

1人で食べるご飯はまずい
僕がこの3年間で、「あー、これはきっと体にも心にも悪いな」と思ったことを何点かあげてみよう。まずはメシ。はっきり言って、自分1人で食べるご飯はマズい。これは会社勤めの時から思ったけれども、出張先でどんな高級レストランでご馳走を食べても、1人で飯を食うというのはどうにも味気なくてマズい。これなら2人でマズいものを食べて「これマズいなぁ」と文句を言いながら食事をする方がよっぽどいい。

また、1人でご飯を食べると、どうしても早食いになる。そんな食べ方が体に良いはずがないのだ。家族や気心が知れた仲間と一緒にたわいもないことを話しながらワイワイと食べるご飯がやっぱり1番うまい。

自分のためだけには頑張れない
2つ目は、どうにも自分のためだけにも頑張れないという事実だ。ゴミ捨てだって、買い出しだって、食事の支度だって、自分のため「だけ」にやることというのはどうにも熱が入らない。何事も自分以外の誰かのためだと思えるからこそ踏ん張りも効く。ところが「純粋に自分のため」だけだと思うと、妥協点が一気に低くなる。特に食事の支度なんでその最たるもので、自分しか食べないとなると、トコトンいい加減になっていく。これは掃除だって同じだ。自分しか暮らしていなければ多少散らかっていたってまあどうでもいい。こうして知らぬ間にじわじわと基準が下がっていき、体や心にに良い暮らしをしなくなってしまうのだ。

体験を共有する相手がいない
3つ目に大きいと思うのが、体験を共有する相手の有無だ。今日はあった出来事を話したり、配偶者や恋人や友人の生活にあったその日の出来事を聞き、共感したり意見を言い合ったりすることが、お互いのストレス発散になる。妻とは毎日のようにFaceTimeで10分ほど話しているが、それは同じ空間を共有しながらなんとなく思いついたことをお互いに話すのとはずいぶん異なる体験だ。また、遠くにいる配偶者にあまり心配をかけまいと、辛かった事はどうしてもあまり話さなくなる。でもやっぱり、よかったことも悪かったことも素直に話せる相手が身近にいないとどうしてもストレスが溜まっていく。

さらにいうと、「何かを新しい体験しよう!」という意欲さえも落ちる。一人で新しいレストランに入っても、美しい景色をみても共有する相手がいないと今ひとつ面白くない。仮にレストランが不味くても、映画がつまらなくても、それはそれで共通の体験となりうるのに、一人ぼっちだとどうすることもできない。

と言うわけで、やっぱり孤独は健康に悪いと思います。仮に配偶者や恋人がいなくても、本音で話せる友達が身近に1人でもいたら、ずいぶん違うんじゃないかな? 人間は社会的な動物だから、多分一人ぼっちで生きていくようにはできていないんです。

そんなわけで友人や恋人や家族はお互いを思いやって大切にしていきましょう。


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