日本企業が平成に衰退した本当の理由
僕はまだ十代の頃からアメリカに住む機会に恵まれたのですが、大学卒業と同時にあえて日本に帰ることにしました。当時のアメリカは不況で就職難でしたから、アメリカ人の友人たちさえ仕事が見つからずに四苦八苦していたのです。ましてや外国人の僕にチャンスは多くないだろうと思い、とりあえず帰ることにしたわけです。
また、自分がかなりアメリカナイズされているだろうという自覚もありました。でも、おそらく人生の大半は日本で過ごすことにだろうから、一度日本に帰ってこのアメリカナイズされたキャラにリセットをかけておいた方がいいと考えたのです。
また、当時日本企業は破竹の勢いでしたから、きっと得ることも多いはずだ、と考えたのも理由の一つでした。
ところがいざ実際に帰ってみると、どうしても環境に馴染めずに苦労しました。どのくらい馴染めなかったのかというと、就職後わずか半年で十二指腸に潰瘍ができたくらいです。自分の祖国に馴染めないという体験はなかなか強烈でした。そもそも日本人であること自体に失敗しているような、なんとも言えない敗北感を打ちのめされたことを、今でも強く覚えています。
また、日本の会社で体験することの多くが、僕には非合理的に感じられました。例えば、パソコンを開発している会社だというのに社内メールすらなく、遠隔地にある他の部署とやり取りするときには、基本的に電話かファックス、あるいは社内便で書類を送るしかないという状況なのが信じられませんでした。
時はまだ平成元年でしたから、当時の日本の労働環境としては極めて当たり前の風景だったわけですが、大学で日常的にメールやファイルサーバを使っていた僕にとっては、過去にタイムスリップしたような感覚さえ覚えたものです。
この他、新入社員が朝早く来て先輩の机を拭いたり、夕方になると灰皿を洗ったりするのも合理性に欠けるように感じました。別に掃除するのが嫌だったわけではないのですが、大学まで出て情報処理やら数学やら物理やら学んできた人間に、なぜ時間を使わせて誰にでもできる作業をやらせるのか、そこに合理性を見いだすことができなかったのです。
なぜ日本企業は人の時間を尊重しないのだろうか?
しかし、これらのことは仕方がないこととして飲み込みやすいことでした。郷に入れば郷に従えですしね。
しかし、どうにも我慢できないことがありました。
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