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代表取締役としての自分が人生から分岐してきた話②

前回の振り返り。子どもの頃からずっと好きだったことや想いを仕事にして、突き詰めた結果、独立して会社を設立するにまで至った。会社が少し軌道に乗りかけている今、人生のド真ん中で自分と切っても切り離せないと思っていた”それ”が、あくまで自分のなかのひとつでしかないと感じるようになってきた。

こんな感じでしょうか。正直、自分でもちゃんと整理できているのかわかりませんし、少し時間が経つとまた違う考えになるかもしれないと思っています。

さて、今回はその続きを書いていきたいと思います。

前の記事でも書きましたが、独立し、会社を立ち上げて1年以上は「自分が立ち上げた会社=自分の想いややりたいことを”すべて”詰め込む器」という感覚が強かったです。もちろん、法人化した時点で自分とは分岐したものだという意識はありましたが、それでも無意識的にそうなってしまっていました。

ただ、会社が軌道に乗れば乗るほど、自分が心のなかで広げていた大風呂敷から範囲は狭まってきたし、自分の性格や感情からは離れた行動もしなければならなくなってきた。これに違和感を感じたり、もっと理想に近づけたいと思ったこともありました。

しかし、最近ふと「違和感や理想を、代表取締役の僕から切り離して別でやったらいいんじゃない?」と思ったのです。この、僕を切り分ける感覚は大発見でした。そうすることで、会社の事業も一点突破できますし、それ以外のことにも別人格として全力で取り組めます。

おそらく、これを発見するに至った要因は子育てだと思います。

子どもの頃から一貫して取り組んできた好きなコト(=今の仕事)を除くと、今の自分にとって一番大きい人格は”一児の父親”です。

会社員時代に授かり、最初の2年は会社員をしながら妻にかなり頑張ってもらい子育てをしていました。ただ、独立してから(子どもが2歳半から)は一転させて、事前にわかっている平日の子どもの予定は僕が行くようになりましたし、デスクワークの平日の夕食は僕がつくって妻と子供の帰りを待っています(余談ですが、夕食をつくる都合で16時台に近所のスーパーによく行きます)。お風呂に入れて、寝かしつけは交代交代で。そのため、17時前後から22時近くまでは家族、子どもとの時間になりますし、休日ももちろん子どもを優先にしています。

成長著しい時期の子どもと長い時間を過ごせることが、独立して一番良かったことですが、自分にとって仕事だけが一番ではないこと、24時間365日の過ごし方を自分で自由に配分して良いという当たり前のことに気づけたことが、副次的に良かったことです。

時代を遡れば遡るほど、生活と仕事がなめらかに一体化していたのではないかと思います。現代はそれらが切り離されている(切り離されやすくなっている)にも関わらず、そのなかでも仕事(しかも、仕事で自己実現をしようとする)のウエイトが非常に高く、かつ、社会的なルールで時間の使い方が規定されているので、無理が生じてくるのではないでしょうか。

今の僕は、少年時代からずっと取り組んできたことの延長線上にある仕事で独立し、突き詰めた結果、自分と仕事が分岐していきました。平行して、時間に自由ができたいま子育てをしていることで、仕事と自分の分岐を強く意識することができ、それが加速していきました。

あらゆるモノが個別化されているにも関わらず世界中がつながっている現代において、昔の人のような”生活と仕事のなめらかな一体化”は実現しにくいのではないかと感じています。そんななかで、ここまで考えてきた”分人”という視点(今の僕が何となく感じている分化)は、重要なことのように思います。

話を僕自身のことに戻していきます。

代表取締役としての僕、父親としての僕、これに加えて様々な趣味に浅く興じる僕が、大きく分けた人格だと思っています。これに対して、最近「これでいいのか?」と思っている自分がいます。

前述している通り、僕のこれまでの人生は”市民ランニング”の割合が非常に強く(ほんと、異常に強いと思う)、時間をかけて深く突き詰めてきたことと言えばそれくらいです。これに関しては、株式会社ロックスパークが終着点であり集大成でいいんじゃないかなと思っています。もちろん手を抜くつもりはありませんし、むしろ分化できたからこそより突き詰めていけると思っていますが、余白の時間をロックスパーク(や、消費的な趣味)に向けるのではなく、新しい人格に深く投じたい思っています。ポイントは、消費的ではなく浪費的に、深く投じることです。

一見すると軸がなく、また、年齢を重ねるにつれて新しいところに踏み出すのは勇気がいることです。ただ、これを意識してやらないと、人生がどんどん消費的なものになってしまうのではないかと思います。おそらく、年を重ねるごとにそれは加速します。今は育児や家事の時間が大きいですが、10年もしたらかなり減りますよね。今の仕事もずっと続くか、続けるかわからない。そうなったときに残っている自分の人格が浅いものばかりだと、あまりにつまらない人生になってしまいます。

逆に言うと、様々な人格をちゃんと掘っておけば、人生の幅が広がり、結果的に仕事や父親としての自分にも跳ね返ってくるのではないかと思います。

すごく当たり前の結論にたどり着いてしまいましたが、文字で何となく理解するのと、これまでの実体験から自分が分化してきた今では、理解や実感に大きな隔たりがあります。そして今後の行動もまた、実体験があるからこそちゃんと動ける。

思ったより長々と書いてしまいましたが、一旦ここで終わりにしたいと思います。

※消費と浪費的な考え方は「暇と退屈の倫理学」の考え方が基にあります。


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