【エイプリルフール】呪いをかけたら上司がクビになった話
※注意※ この話は、たまたまエイプリルフールに投稿された、フィクションです。
■ 登場人物
・私:日系企業から転職した駆け出しのコンサルタント。大概のことをヘラヘラとやり過ごす鈍感さと、インドでの仕事で培われた無常観を武器とする
・A:「私」が所属するチームのリーダー。間違った家父長的思考、他者へのイメージを第一印象から更新できないアルゴリズムを持ち、社内ではパワハラとトラブルの温床として有名。この話は主に「私」とAの冷戦に焦点を当てて描かれる
・B:Aと最も付き合いが長く、主にAと「私」の間でプロジェクトマネージャーを努める。真面目でいい人だが、Aの理不尽な支持に逆らえず、しばしばメンタルを病む
・C:私が転職後初のプロジェクトで一緒に働いた。やんわりとした口調で徹夜を要求する技量の持ち主
・D:私と同じポジションで、数か月前に入社した少し先輩の同僚。勝手にほかのチームに移籍させられそうになる、Aと膝詰めのプロジェクトに放り込まれるなど、貧乏くじを引いた人物
・E:A以上にキャリアが長く、半ば会社から独立したアドバイザー的なポジションにある。睡眠時間が1時間取れてれば十分とのたまう、ある意味最もヤバい人物だが、あまり本筋にはかかわらない
・F:私が入社した際のアシスタント。子供を抱えての時短勤務にもかかわらずAにまつわる異常な量の事務作業をこなし、理不尽な要求も笑ってやり過ごす、最もやり手な人物
・G:Fの後任のアシスタント。意欲的で真面目。しかしそれがゆえに最も苦しんだ人物。彼女の辞職が冷戦の針を進める結果となった
■ 2019年1月:新天地と違和感
私が当時4年ほど勤めた会社を退職し、コンサルティングファームに入ったのは2019年1月のことであった。
転職の決め手はいくつかある。エージェントの紹介でいくつか面接を受けた中で一番早く内定が出ており、所属チームの長Aからの熱烈な引き合いがあった。チームが扱っているAIなどの先端技術系のプロジェクトも魅力的に映り、ここで頑張っていこうという気合に満ちていた。
だが、配属後1~2週間ほど経って、徐々に違和感を覚え始める。当時のチームはリーダーのAを筆頭に、その下で現場の責任者に当たるポジションのBとC、同僚のD、ベテランでアドバイザーに近い立ち位置のE、経費精算や出張手配などを一手に引き受けるアシスタントのFという6人体制だった。
何十人の大所帯ならいざ知らず、なぜかチームリーダーのAはチームに厳格なピラミッド構造を敷きたいらしく、下っ端の私やDとは基本的に業務上の相談を受けたがらず、必ずBやCを間に立てるのだった。
A曰く多忙なので現場のことはBやCに任せているのだという。その割に現場の指示をAが出してるけども。
なぜか風通しの悪いコミュニケーションに違和感を覚えなくはなかったが、ドメスティックな日本企業にいた身としては、「これが外資系のチームワークなんだな!」と能天気に受け止めていた。
■ 2019年2月初旬:アシスタント退職
2月頭のことである。突然AとBに会議室へと呼び出されたDと私は、アシスタントのFが月末に退職すると告げられた。そして彼女から引継ぎを受けて、ロジ系業務を代行すること、そして業務のマニュアルを作ることを命じられた。
ちょっと待ってくれ。聞いてないぞ。Aよ、面接のときにチームの売りとして、専門のアシスタントが煩雑な事務手続きをやってくれることって言ってなかったっけ?
正直青天の霹靂でしかなかったが、上の命令なので仕方なく引き受けた。Fが行っていた事務手続きの大半は、多忙なAのスケジュール管理、会議の設定、会議室の予約、経費の精算、契約関連など多岐にわたる膨大な業務だった。
それだけならまだしも、Aは妙なこだわりがあり、毎日のスケジュールを隙間なくぴっちり埋めたがる。スケジュール管理は文字通り分刻みであり、しかも社外との予定を優先してチームや社内の会議を日に何度もリスケさせる。
全社的にメンバーが増え会議室の予約も困難になりつつある中、他チームの秘書と連携してスケジュールを押さえ、部屋を管理することは至難を極めた。
経費の使い方もバカみたいに粗く、日に4枚も5枚もタクシー領収書が上がってくる。精算レポートを作って経理に連携するだけでも一苦労だ。
同僚のDと2人で作った業務マニュアルは30種類以上にものぼった。アシスタントのFはどうやってこの膨大な業務を時短でこなしていたのか、背筋がうすら寒くなったことを覚えている。
■ 2019年2月中旬:ネクタイ買いに行く事件
2月半ばに、Aが登壇するシンポジウムがあった。補助のため会場に着くと、何やら営業担当社員とAが揉めている。Aはネクタイが嫌いというよくわからないこだわりを持ち、その日もノータイで講演に臨もうとしていたのだが、営業としては会社の格を守るため、イベント前からネクタイ着用を再三にわたり要求。
Aもとうとう折れたが、「今の服ではネクタイと合わないのでつけたくない」などとほざきだした。私が自分のネクタイを差し出すも拒否。
挙句私にデパートに行きシャツとタイを一式買って来いと言い出し、タクシーに飛び乗って買いに行く羽目になった(1万円を超える服代はしばらくの間建て替えた)。
ギリギリこの辺りまではエキセントリックな出来事として受け止めるだけの鈍感力が私にはあった。しかし翌月から、いよいよチームのヤバさが浮き彫りになっていく。
■ 2019年3月上旬:お通夜飲み会
退職するFの懇親会が、幹事Dの主催で開かれた。Fと親交のある他チームのアシスタントをはじめとしたメンバーも交え、終始賑やかな雰囲気で終わった。
が、チーム外の人々が帰った後、チームメンバーに会場に残るよう促す。
何を始めるのかと思ったら、幹事Dの店選びや、進行の至らなさを説教し始めた。
賑やかな会が急転直下、通夜のような雰囲気となった。しかも店側から、会場を出てくれと何度も言われているのに無視して通夜じみた説教を続ける。もはや異様としか言えない状況下、Dは号泣していた。
解散後、Aは深夜2時過ぎまでEに電話をかけ、いかにDや私の気が利かないか、このままでチームは大丈夫なのかと滔々と語って聞かせたらしい。その話を聞いた私も、このチームは大丈夫なのかと深刻に思い始めたので、おあいこである。
■ 2019年3月中旬:空虚な自己批判#1
このころから、Aの中でDや私は使えない奴というレッテルが貼られたらしく、当たりが白鳳のカチ上げ並みに厳しくなる。ちなみに彼は人の印象を碌に更新せず、第一印象でしか把握していない。
Aの指示で、Dや私は自分たちのミスを失敗事例分析シートというExcelに記録させられ、その根本的な原因と今後策について、BやCも交えて検討させられていた。今振り返ると、これって過激派の「自己批判」ってやつじゃないかな?
また、この時期外部のプロジェクトが取れず、私やDはFから引き継いだアシスタント業務に忙殺され、誰も読まないマニュアルをひたすら作らされていた。毎日10枚以上のタスクを書いた付箋をPCに張って、一日中働いてもそれが解消されない生活。
それを救ってくれたのが、Fの後任のGであった。Gがアシスタントを引き継いでくれたことで、どれほど救われたか知れない。
■ 2019年4月:ギブアップ宣言
年度の変わり目とともに、新しいプロジェクトが動き出した。クライアント先でのキックオフミーティングを済ませ、帰路に就こうとするBや私を、Aは近くのスタバに呼び出し、このプロジェクトの難易度がいかに高いか、それをこなすためにBや私の知識や姿勢が以下に相応しくないか、聞かれてもいないのに熱っぽく語りだした。
既に気づかれていると思うが、Aはミーティングをお通夜みたいにする天才だった。その日の打ち合わせも、プロジェクトの難易度は高いけどこういう工夫や努力で頑張ろう、みたいに言っとけばいいものをなぜか悲観的なコメントと、自分がいかに優れていてお前らはダメか、みたいなマウント取りに終始する。
毎回のクライアントミーティングごとに終始この具合、そして朝から深夜までの超過労働に、ふと心が折れた。今思い返しても何がきっかけだったかわからないが、Bに電話して限界だという旨を伝えた。ギブアップ宣言である。
その際Bから、Aは過去にも目を付けた若手社員を苛め抜き、メンタルを病ませたことが数知れないと聞いた。かつては週末に自分の家に男性社員を呼び出し、資料を作らせることもあったそうだ。聞いてもそこまで驚きがないことに驚いた。
その日のうちにAとも1対1の話し合いの場が設けられ、要するに「ここではやってらんないです」と伝え、可能なら他のチームに移籍できないかと相談した。
ところが、彼は自分がストレスの原因であることを決して認めたがらない。何が原因だ、どこに問題がある、と質問を繰り返しながら、極めてソフトだが露骨にBやCに責任転嫁しだす。結局自分の言動に問題があると認めてしまうと、昇進が難しくなるためだろう。
この保身丸出しの対応にすっかり冷めてしまい、今のプロジェクトが終わったら進退を考えさせてくれということで、いったんは決着した。不思議なことに、これで終わりと思い定めると、結構耐えられるものである。
ちなみに数日後、会議室に閉じこもって作業していたBと私の元にCが現れ、月内の退職を告げた。転職後半年、私とは3か月の付き合いであった。ちなみにEも3月末に退職していたため、当初メンバー6人から冬を越したのは3人だけだった。新メンバーを迎えたとはいえ、チームの行く末が本当に心配になった。
■ 2019年5月:ワ―ケーション
5月はプロジェクトに打ち込んでいたので、あまりA関連のストレスを感じることはなかった。GWに休暇を取って海外に行くことを年頭に伝えていたのにそれでも仕事しろというので、旅行先のウズベキスタンの夜行列車でスライドを作り、韓国から電話会議に参加した。今で言うところのワ―ケーションである(以下、参考記事)
なお当時昼夜を問わず働きづめだったので、家に帰らずスーパー銭湯で暮らしていた。終電でオフィスを出て、スーパー銭湯で深夜3時まで働き、朝風呂に入って一瞬着替えのために家に帰り、すぐ出社という生活サイクルである(以下、参考記事)。
私が今noteで銭湯の記事ばかり書くほどの愛好家になったのは、ひとえにこの時の経験によるところが大きい。Aの下で働いて得られた数少ない実りである。
■ 2019年6月:上司の休職
Cが退職し、必然的に私やDに現場で指示を出すのは直属の上司Bとなった。Bは基本無表情だが心根は親切な人物で、一方結構ドジで忘れっぽく、Aと比べて人間味のある人だった。
丁度Bと組んで新しいプロジェクトが動き出そうとしたころに、Bがメンタルを病み1ヵ月休職するということを告げられる。
新プロジェクトは他チームが指揮を執ることになり、私はそこにアサインされて図らずもAと離れることになった。Bには申し訳なかったが、心の中で深く感謝した。
■ 2019年7月:唯一の同僚の退職
ある日オフィスで仕事をしていると、唐突にチャットが入り、呼び出されるままにカフェスペースでDと会う。
4月以降Dと同じ案件に入ることはなく、DはAと組んで別の仕事をしていたのだが、奴のあまりのパワハラぶりに退職を決意したらしい。
辞める際、これまでのAの所業を人事に全部ぶちまけたそうで、流れでランチに行った際は晴れやかな顔をしていた。彼は中国出身なのだが、Aに「常識がない」と言われることが一番嫌だったとのこと。3月の飲み会の件然り、日本人に自明でも中国人にとってそうでないことは沢山ある。常識は"あるなし"でなく自分と同じか異なっているかという"異同"ではかるべきとは、この時得た重要な教訓だ。
7月末にはBが休職から復帰したが、Aと話すときいつも手が震えているのは見るに堪えなかった。
■ 2019年夏~年末:平和な日々
7月以降は他チームとの仕事が多く、しょっちゅう出張にも行っていたため、Aはじめチームと距離が取れており、比較的平和な数ヵ月を過ごした。他チームの上司もそりが合わなかったが、理屈が通じる人間だっただけマシである。
Aに関しては部署の懇親会で、唐突に猪木の真似をして大声を出し、ハチャメチャに滑ったことだけ覚えている。
最終営業日となった12月末の某日、というより某夜。年始からのプロジェクトに関して、久しぶりにAやBとMTGを持った。
どうやらAは年末年始も私たちをゴリゴリに働かせたいらしく、しかもそのことを私やBの口から言わせたいようだ。自分で言うとパワハラになるので、本人たちから言わせたいのだというのはAの見立て。
これはあくまで私の持論だが、「言わせる」姿勢を取っていいのはイイ女だけである。石田ゆり子とか。とても40過ぎたオッサンが取る態度ではない。もちろん必要な仕事であることは承知しているので、最低限やるということで妥協して年末となった。
■ 2020年1月:空虚な自己批判#2
明けて2020年。出社すると、Bから、Aは過去のパワハラが響き今期の昇進を見送られたことを聞いた。反射的に「ざまあ見やがれ」という感想が浮かんだことに、自分でも驚いた。
そのせいか、新年初のチームミーティングのテーマはなんと、Aに対する改善要望だった。Aが会議室を出ている間、B、Gと私の3人でAに対する改善要望を検討するのだが、愚痴と文句が出るわ出るわ。あっという間に広大なホワイトボードが一杯になった。少し溜飲が下がったが、どうせここで出た改善要望は果たされないだろうという負の信頼があった。
Aは3人からの改善要望の進捗を定期的にモニタリングするとのことだったが、その後モニタリングが行われることはついぞなかった。
■ 2020年3月:休暇ハラスメント
2月末までの案件が終わったタイミングで休暇を取って海外にでも行こうと思っていた矢先、Bから電話があった。
AやBが取り組んでいるプロジェクトが炎上したため、手伝ってくれないかとの依頼であった。航空券も取っていたが、何度も請われたため渋々休暇をキャンセルし、鎮火にあたる。
プロジェクト終了後、キャンセルした休暇を月の終わりに撮りたいとAに告げると、「俺が駆け出しのコンサルタントだったころは休みなんてなかったよ」などと言い出す。やかましい。
■ 2020年4月:三途の川の石積仕事
緊急事態宣言に伴う在宅勤務が始まる。同時に決まりかけていた4月からのプロジェクトも白紙に戻り、会社で出版する本を書く仕事が始まった。
ところがAは我々が暇を持て余していると勘違いしたらしく、過去の業務における社内手続の課題を整理して、マニュアルを整備しろというイマイチ的を射ない指示を下す。
そもそもチームに4人しかおらず、人も取れない中でマニュアルなんか作ってどうするのか。毎日Aから重箱の隅突きとしか思えないコメントを受けつつ、無意味な作業に時間を持っていかれる。
だいたい社内手続きのミス自体、私ではない誰かのやったことだ。他人のミスの尻拭いをさせられ、「三途の川の石積みかよ」という思いが常にあった。
■ 2020年5月初旬:アシスタント退職
ゴールデンウィーク明け、最も恐れていた出来事が起こる。Gが退職することになったのだ。Bに聞いてみると、Aが「お前の仕事は中学生レベル」などとGを罵ったらしい。
前々からパワハラで何度も泣かされていたようだが、テレワークになって昼夜問わずAと話さなければならなくなり、いよいよ限界を超えたそうだ。
その後A・Bとのミーティングで話を聞いてみても、Aは、退職理由は家庭の事情だのなんだのと語る。Gはかつて私とDが忙殺されていたアシスタント業務を引き受けてくれただけでなく、いろんな意味でハードなチーム業務にキャッチアップして前向きにチームを支えてくれていた。それを軽んじて罵倒するとは何事だろう。さすがに私もキレた。
以来、私はAのいる場で公然と舌打ちをしては悪態をつき、キレられたらキレ返す。対面の会議だったらぶん殴られて(ぶん殴って)いたかもしれない。当然Aも私への当たりを強め、些細なことで長時間の説教をかますようになる。
両者はいよいよ本格的な戦争に突入し、世界終末時計が最も進んだ時期だった。
■ 2020年5月中旬:呪いをかけ始める
このころは外出制限で碌に人と話せず、どうせ役に立たないとわかっている業務ばかりで打ち込めるプロジェクトもない。その中で人生最悪レベルで忌々しい人物であるAとの戦争に突入していたので、いかに鈍感な私もちょっとおかしくなっていたのだと思う。
当時住んでいた家の近くに、「御霊神社」があることをたまたま散歩中に知った。御霊神社とは時の政権に祟りをなす怨霊を祀る神社である。菅原道真とか。ボーっとした頭の隅で、呪いをかけるにはぴったりだと思った。※
それから1か月の間一日も欠かさず深夜にその神社を訪れては、最低でも500円を賽銭箱に入れていた。適当な小銭がない時は1000円札を入れたこともある。ひたすら「Aをどうにかしてくれ」と祈っていた。
※御霊信仰は天災や疫病を、非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なし、これを鎮めて「御霊」とすることで平穏と繁栄を実現しようとす考え方であり、決して呪いを肯定する考え方ではない。よい子はマネしないようご注意されたい
■ 2020年6月:まさかの満願成就
半ば狂気に充てられて毎夜の神社参りを繰り返していたが、そろそろ限界だと思っていた。敢えて挑発的な態度を取ることでハラスメントを誘発し、人事にチクるという、差し違え作戦すら頭をよぎり始めたほどだった。
しかし、6月半ばのある日の夜のことである。21時を回っていたと思う。Bから電話があった。Aがクビになるので、このあと電話会議を開くということだった。
リモート越しでAは、いつものごとくお通夜の雰囲気で語りだした。とはいえこの日ばかりはお通夜ムードでも許されただろう。権力争いに負けただの何だのと、実に要領を得ないことばかり言っていたが、後でBに聞いた真相は単純だった。
経費の使い込みがバレたのだ。元々徒歩5分の居酒屋に行くのすらタクシーを使うセコい男である。私的なタクシー利用を経費で何度も申請していたのが露見し、尋問の場でその責任をアシスタントGに擦り付けようとしたらしい。
元々パワハラで昇進を阻まれてきた人間である。コンプライアンス上リスクのある人間を置いておくわけにはいかず、一切の猶予なく、月末に解雇ということになったらしい。
会議のムードはお通夜だったが、私は小踊りしたいような気分だった。冷静になってみると、あれだけお賽銭を投げたのだ、このぐらいあっても驚かないような気がする。
■ その後
残されたBと私は、以前プロジェクトで一緒に働いたチームに拾ってもらえることになった。新チームリーダーUとは冬~初夏にかけて同じプロジェクトで働いており、その中で私の仕事ぶりを見て、それなりに使えるし、ストレスと長時間労働に耐えうると目をかけてくれていたらしい。不幸中の幸いとはこのことである。
Uは人間的にもウマが合うし、ちゃんと理屈で判断してくれる好人物だ。彼の元でしばらくは仕事を頑張ろうという気持ちになれている。
ちなみにBはチーム移籍後すぐに会社を辞め、今でもAの下で働いている。BはAと最も付き合いの長いコンサルタントで、すなわち最大の被害者である。
それなのにまた一緒に働くとは…。事情を知っている社内の人とは今でも語り草になるエピソードである。大人の世界って不思議だ。
■ おわりに
繰り返すが、この話はあくまでもたまたまエイプリルフールに投稿されたフィクションであるが、この話から教訓を引き出すとすれば、転職先は慎重に選ぼうと言うことに尽きる。
どこの世界でも、旨いことを言ってくる奴を信用してはいけない。特にコンサル業界に転職しようとしている人は、正規の選考プロセスを踏まずに人を取りたがる場合は要注意だ。通常、コンサルには高い能力(潜在能力含む)が求められるが、それをすっ飛ばさざるを得ない、何らかの消極的な理由が存在する可能性がある。
転職が当たり前の世界、スキルをつけるためにコンサル業界に移る人も少なくないが、どうか慎重な見極めをお勧めしたい。
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※重ねて注意※ この話は、たまたまエイプリルフールに投稿された、フィクションです。物語の語り手は筆者によく似ているかもしれませんが、あくまでも偶然です。
ここまでお読みくださりありがとうございました!
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