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「ロケ地」からはじめる、松山の建築探訪。

ドラマ「silent」にハマった。ふいに見た1話から、紬(川口春奈)と想(目黒連)の言葉やしぐさに心つかまれ、切なさにポロポロ泣き、気づいたときにはどっぷりハマっていた。私のように物語に没入した人たちは日本中にわんさかいて、ドラマのロケ地を巡る“聖地巡礼”が社会現象になった。小田急線世田谷代田駅の定期外乗降人員数は、ドラマが始まる前に比べて22.7%増加。駅前のベンチ前には今でも写真撮影の順番待ちをする人が並んでいるとか(すごい)。

silentを知らない人からすれば、あるときから駅に人が増え、写真を撮る人が増え、「この駅なにかあるの?」「有名なの?」と思ったに違いない。ロケ地パワー、恐るべし。

今回は、そんな「ロケ地」を入り口に松山の「建築」を紹介したい。真正面からではなく、別の角度から見る、建築探訪。そこには、あらたな発見があるかもしれない。

ナビゲーターは泉谷昇さん

「松山」「ロケ地」といえば、泉谷昇さんしかいない。東京出身の泉谷さんは、映画・映像作品の撮影誘致支援を行う「フィルム・コミッション」のため2001年に愛媛に移住し、「えひめフィルム・コミッション」の設立に参画した。これまでに『世界の中心で、愛を叫ぶ』(2004年)、『がんばっていきまっしょい』(2005年)、『HERO特別編』(2006年)、『となり町戦争』(2007年)、『怪人二十面相・伝』(2009年)、『坂の上の雲』(2009-2011年)、『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版 』(2022年)など、600本超える映画、映像作品の撮影支援に携わってきた。現在は、ジャパン・フィルムコミッション理事長として、日本で撮影を希望する海外作品の撮影支援、日本の撮影環境の拡充にも努めている。

フィルム・コミッションが果たす役割は大きい。映画、ドラマ、CMやアニメーションなど映像作品のロケに適した場所探しに始まり、実際の撮影では、警察への道路使用許可申請や土地所有者との折衝、エキストラ募集、スタッフの宿泊場所や食事の手配に至るまで、さまざまな撮影支援を非営利で行い、地域活性化の一端を担う。参考までに2016年〜2019年に劇場公開された邦画実写の興行収入上位50作品のうち、フィルム・コミッションが撮影支援した作品の割合は98%だそうだ。

そんなロケ地を知り尽くす泉谷さんに、松山でお気に入りの「建築」をセレクトしてもらった。泉谷さん独自の視点で、撮影秘話とともにめぐる建築探訪へ。松山市シティプロモーション推進課の皆さんと一緒に出かけた。

セカチューも撮影された「愛媛県庁舎」

まず、訪れたのは、「愛媛県庁舎」。松山の顔ともいうべき、一番町の電車通りに堂々と建つ。

青いドームが印象的な愛媛県庁舎は、1929年に完成した近代洋風建築。ドームを中心に左右対称の平面形状を持ち、扉やアーチ窓の周りなど、いたるところに細やかな装飾が施されている。設計は、代々皇室に関係した木子家に生まれ関西を中心に活躍した建築家・木子七郎。現役の知事庁舎では大阪府、神奈川県に次いで3番目に古い。国の重要文化財に指定されている。

「『松山で一番好きな建築は?』と聞かれたら、愛媛県庁舎ですね。このパレスが素晴らしくて、めずらしい。初めてここを見たとき、『愛媛に博物館級の建物があるなんて!』と感激したんです。大理石などで作られた重厚な雰囲気に差す光は絵画のようだし、端から端までのヌケの雰囲気、真っ正面の階段はまさに『セット』。何とも言えぬ荘厳な雰囲気が大好きです」

県庁舎は、あの大ヒット映画、社会現象にもなったセカチューこと『世界の中心で、愛を叫ぶ』をはじめ、『怪人二十面相・伝』、『陽光桜』(2015年)など、数多くの作品にロケ地として登場している。

県庁舎本館は4階建だが、正面の石造階段から車寄せをぬけ、内玄関のアーチをくぐったところが2階ロビーにあたる。

ここは、セカチューで病院として使われた場所。セカチューは、600万人が鑑賞し、80億円の興行収入は2004年の第1位。原作の片山恭一さんが愛媛県宇和島市の出身で、撮影は香川県庵治町(現・高松市)でも行われた。

「探していたロケ地は、主役の二人、アキとサクが通う『高校』と、アキが入院する『病院』でした。学校の条件は、周りに田んぼがあって、200メートルトラックが2つあることで、県立伊予高校(松前町)がロケ地に決まりました。病院は当初、実際の病院を提案していたのですが、行定監督に『リアルすぎてダメ』と言われて。かねてから撮りたかった、この県庁舎を提案したんです」

撮影が行われた場所で当時を語る泉谷さん(写真左)

「最初は、県庁1階を提案していました。廊下の雰囲気やケーブルの感じがより病院っぽかったので。でもここも『リアルすぎてダメ』って言われて(笑)。最終的に、この2階が採用されました」

最初に提案したという1階の廊下
採用された2階の廊下
セカチュー撮影風景

主人公のアキ(長澤まさみ)が階段の上の病室に入院しているという設定の撮影は、廊下に椅子を並べて行われた。泉谷さんは当時を振り返って笑う。

「ここでは、成長したサク(大沢たかお)が病院を訪れる、幻想的なシーンの撮影もあったんです。演出のためにスモークをたいたんですけど……警報機がなっちゃいました(笑)」

ここは、『陽光桜』でも病院として登場。

レトロな公衆電話ボックスは、病院から家族に電話するシーンに使われた。

金城武さん主演の『怪人二十面相・伝』では、松たか子さんが暮らしている豪邸のリビングとして登場。

松たか子さんが、上のロビーからこの階段を降りてくるシーンなどを撮影した。

「『怪人二十面相・伝』では、100人以上のエキストラが撮影に参加しました。なかには、物語の世界観に合わせるため、髪型を変えられた人もいたんですよ」

Netflixで2023年に配信予定の『離婚しようよ』(松坂桃李主演)でも愛媛県庁舎は撮影されている。

国会議事堂内の設定で使われた3階

この県庁舎西側の壁面は、セカチューの夜のシーンの撮影にも使われた。

ここは、日本赤十字社愛媛県支部になっていて、赤十字マークがある。夜にアキが病院に緊急搬送されたシーンの撮影にぴったりの場所だった。

『世界の中心で、愛を叫ぶ』の夜の撮影シーン

「そのシーンは、1985〜6年の設定で夜なので、パッと見救急車とわかるように、それっぽい普通車を美術部チームが救急車風にしていましたね」

市内電車が見えてヌケがいいこの駐車場スペースでは、ベンチを置いて、大量の植木を運んで、入院中のアキが病院の中庭のベンチに座ってくつろいでいるシーンを撮影した。

撮影とは無縁の場所だった

ときに病院、ときに大豪邸、ときに国会議事堂内として登場する、県庁舎。建物本来の使われ方ではないのに、作品を見たときに違和感がないこともすごい。

「撮影では、設定と撮影場所が異なることはごく普通のこと。建物の用途そのまま、真正面からは使わないのが僕らのスタンスなんです。ロケハンでは、単純にそのシーンにマッチする場所、より画になる場所を探します。ロケハンに必要なのは、建物の知識よりも妄想力ですね。県庁は、固いイメージがありますが、シーンやエピソードで登場すると世界観を象徴するアイテムになるから不思議です。県職員の職場ではあるけど、そうでない場所として撮影される素敵な建物。次はどんなシーンで撮影できるか、来るたびに妄想しています」

撮影実績の多い県庁舎だが、2002年にえひめフィルム・コミッションができるまでは、撮影とは無縁の建物だった。歴史的建造物として認知されていた。見方を変えたのが泉谷さんだ。

「こんなにも魅力的な建物なのに、愛媛県民でさえ、普段なかなか用事もないし、訪れることがないですよね。だからこそ、たくさんの人に関心を持ってもらうために、僕は県庁で撮影したかったんです」

その思いが報われたのが、セカチューだったのだ。

「でも、セカチューの撮影支援をした2003年は、えひめフィルム・コミッションを設立して2年目。フィルムコミッショナーとしての実績もノウハウもなく、どこまで支援したらいいのかさえわからない状況でした」

泉谷さんは、フィルム・コミッションがやりたくて東京から愛媛に移住した。ところが、それまでの泉谷さんはフィルム・コミッションとは無縁の仕事をしていたというのだ。

導かれるように、愛媛に来た

愛媛に移住する前の泉谷さんは、東京でコンサルティング会社に勤務していた。映画監督を目指して渡米経験もあった。2001年の正月、たまたま見たニュース番組に釘付けになった。世界のフィルム・コミッション特集。

「その番組では、韓国でのフィルム・コミッションの取り組みなどを紹介していて、私もやりたいって思ったんです。上司に事業展開の可能性を伝えても通らなかったので勢いで辞めてしまい、勢いついでに、国交省に熱意を込めた企画書を送りました(笑)」

企画立案や事業戦略は得意だった。この企画書が、泉谷さんのフィルムコミッショナーとしての道を拓く。

「ある日、企画書を受け取った担当者から電話がかかってきたんです。その方は高松にいてプレゼンを希望されました。高松でその方に熱い想いをプレゼンしたら、愛媛県庁へ連絡をしてくれて。ちょうどそのころ、愛媛ではしまなみ海道開通記念に、木村佳乃さん主演のご当地映画『船を降りたら彼女の島』(2003年)の制作を開始するところで、映画は地域の魅力発掘・発信に役立つと好意的だったんです。高松に来たその足で愛媛県庁に移動して2回目のプレゼンをすると、『とりあえず移住してほしい』って言われて。無職だった僕は、妻と幼子とともに愛媛に移住しました」

ちなみに、泉谷さんの企画書は「行政だけでやるものではない。協働でやるものだ」という趣旨だった。その提唱を反映するように、泉谷さんは、市民側から撮影支援をするNPO法人を設立。同年7月に県は観光物産課内に「えひめフィルム・コミッション」を設置し、泉谷さんを雇用。NPOと県が互いに役割を補完し合いながら活動を進めてきた。

「愛媛は妻の故郷でもありましたが、設立当初は、ロケハンするにも愛媛の建物のことがわからなくて。たよりにしていたのは、愛媛の近代化遺産をまとめた『愛媛温故紀行』という本(前回の記事に登場)。あとは、製作会社に飛び込み営業をしたり。セカチューで行定監督と一緒に行動させてもらって、ロケハンの仕方とかアングルの撮り方とか、フィルムコミッションのノウハウを教えてもらいました」

フィルム・コミッショナーとしての泉谷さんも、えひめフィルム・コミッションも、セカチューを機にギアチェンジした。

ここ抜きには語れない場所

「当時は、殺人事件が起こる2時間ドラマの撮影支援も多く、県庁内では『それは観光に役立つの?』という冷ややかな目もありました(笑)。でも、セカチューの撮影を機にえひめフィルム・コミッションの存在や意義が県庁内に知れ渡っていきました」

県庁内だけではなかった。重要文化財の県庁舎で撮影したり、国道を通行止めにしたり、路面電車の車両を借り切ったりと「ここまでできるのか」と制作者側に印象付け、県内外にもえひめフィルム・コミッションの存在が知れ渡っていった。

「セカチューのエンドロールに『撮影協力・えひめフィルム・コミッション』のクレジットが流れた瞬間に泣きましたね。県庁での撮影があって今がある。県庁は、僕にとって痺れる場所。ここ抜きには語れない場所なんです」

撮影で「評価される」から気づくもの

セカチュー公開後、県庁舎にはたくさんのファンが“聖地巡礼”に来た。

「当時は“聖地巡礼”という言葉はなかったし、そもそも一般の人が県庁に来るのは珍しかったから、来ると目立つんですよね。守衛さんからしょっちゅう僕のところに電話がかかって来ました。時間があれば、館内を案内してツアーをしていたんですよ。一見観光とは無縁の建物でも、観光につながります。その最たる例が県庁だと思うんです。県庁は、重厚かつ繊細で歴史もある。そこに魅力を感じるから、映画やドラマに使いたい人が現れるし、“聖地巡礼”にもなる。自分たちの周りにある地域の良さって、毎日見慣れていると気づかないけど、撮影や作品を通して『評価される』と意外と驚くものですよね」

あれから、20年。今の県庁は、一般の人が来ることもめずらしくない。

正面玄関を入ってすぐのところに「みかんの無人販売所」

「県庁内には、みきゃん広場ができたし、みかんの無人販売もあります。エレベーター内は柑橘で装飾されているし、さかなクンの掲示もあって、むしろウェルカムな雰囲気。いいですよね」

県庁食堂でひと息

次なる建築探訪に出かける前に、せっかくなので、ウェルカムな県庁食堂で腹ごしらえ。泉谷さん思い出の県庁カレーを食べながら、泉谷さんの県庁時代、その後を聞いた。(このシーン、写真を撮り忘れました!ごめんなさい!)

泉谷さんの県庁時代は、2002年7月から2008年3月まで。4月からは東京でナショナルフィルムコミッションの仕事をする予定だった。ところが、松山市からオファーが来て、急転直下で東京行きをキャンセルしたとか(え!)。

「上京する気まんまんだったのに、松山市に『お世話になります』って返事してたんです(笑)。県庁のみんなには東京に送り出したはずなのに松山市役所にいたから大いにイジられましたよ」

2008年4月から2011年3月まで松山市役所観光産業振興課に在籍。松山市役所でもフィルム・コミッションに携わり、『坂の上の雲』や『真夏の方程式』を支援したほか、観光企画に携わった。3年目の市役所では、市民を集めてワークショップを約50回開催。これが、愛媛の魅力を学び合う「NPO法人いよココロザシ大学」(以下、ココ大。後述する)設立の土台となったのだ。

シャーロック劇場版のロケ地。「萬翠荘」

県庁舎から歩くことわずか5分。次のスポット「萬翠荘」に到着だ。電車通りに面して堂々と建つ県庁舎に反し、一歩後退した高台に佇む。

萬翠荘は、1922年、代々松山藩主であった松平家の15代当主・久松定謨(ひさまつさだこと)伯爵が、自身の松山別邸として建築。陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった定謨伯爵好みの純フランス風の建物である。こちらも設計は木子七郎で、県庁舎よりも先に建てられた県内初の鉄筋コンクリート造。国の重要文化財に指定されている。

ここは、2022年6月に公開された映画『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版 』のロケ地となった。

2019年にフジテレビで放送された『シャーロック』は、アーサー・コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』シリーズを原案として、現代の日本を舞台に置き換え、犯罪捜査コンサルタントの誉獅子雄(ディーン・フジオカ)と、元精神科医の若宮潤一(岩田剛典)がバディとして難事件に挑む人気ドラマ。その劇場版で、この萬翠荘が大富豪の邸宅に見立てられている。

「萬翠荘は県庁職員時代からいろいろ提案してきました。バラエティーや南海放送映画『ソローキンの見た桜』(2020年)での撮影実績はありました。それらの実績からバスカヴィル家の犬につながりました」

「日本には萬翠荘のように優美な建物が他にもあるなか、萬翠荘が選ばれたのはCGに頼らない本物が物語の世界観と一致したからだと思います」

バスカヴィルの撮影は2021年1月と決まっていた。当時は今よりもコロナウイルスへの懸念が強く、どうしたら撮影ができるかを県と検討した。県が最終的に出した条件は、愛媛にくるスタッフ全員のPCR検査と、萬翠荘の許諾だった。

「全員の陰性証明をもって一歩進みました。萬翠荘とは、支配人、社長、プロデューサー、僕の4人で話し合いをして、最終的には社長が『休館にしてやろう』と言ってくださいました」

『バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版』の撮影初日

萬翠荘での撮影は8日間。撮影時期は1月だったので、敷地内にある喫茶・愛松亭も、暖をとる場所として貸し切った。

「下の門を閉め、萬翠荘の敷地内には誰も入って来ないようにできたので、スタッフ全員が撮影に集中できました。施設の負担にならないようにとプロデューサーにお願いすると、適切な使用料を払ってくれました。結果的にみんなにとっていい形で撮影できたと思います」

玄関前での撮影シーン

萬翠荘の玄関ホールに入ると、メインエントランスホールと、重厚で繊細なチーク材の掘り細工でつくられた階段室が広がっている。

バスカヴィル家の犬撮影時の萬翠荘入口

1階には大きな部屋が2つあるが、「謁見の間」は、蓮壁家のリビングの撮影が一部行われ、「晩餐の間」は機材置き場として利用された。

「萬翠荘は重要文化財なので、東京に似せたセットを再現して、撮影はセットとリアルで行われました」

謁見の間
晩餐の間

2階にあがると、各用途に沿った小部屋、来客用の接待室などがある。各部屋ごとにシャンデリアや大理石のマントルピース(暖炉)が美しく、華麗な雰囲気。

2階休憩室

その一室では、パネル展示が行われている。「東京用に配るプレス用の資料をもらって、劇場公開と同時にはじめたんです。パネルには、萬翠荘のことを語ってくれているプロデューサーの言葉もあるんですよ」。その言葉がこちら。

「ロケハンにはいろいろ回りましたね。西谷さんが特にロケーションにこだわる監督なので。そうした中、松山の萬翠荘(重要文化財)を使わせていただくことになったのは大きいですね(石塚P)」

バルコニーのシーンは、2階中央にある萬翠荘のバルコニーで、グリーンバックを使って撮影された。(残念ながら、バルコニーは普段、立ち入りNG)。

撮影後に残されたスロープの一部

「裏側としては、稲森いずみさん演じる蓮壁依羅が車椅子の設定だったので、建物の外にスロープをつけました。スロープの一部はそのときのまま残しています。また、作中に登場する犬『ヴィル』の犬古屋は、萬翠荘を模した造りになっているんですよ」

別部屋には、『ソローキンの見た桜』のパネル展示も。

こちらは、萬翠荘の主だった久松定謨伯爵。教育に熱心で、松山市立番長小学校は寄付してできた。日本橋の久松街に寄付でできた久松小学校がある。その両校での交流事業が、昨年の萬翠荘100周年記念に合わせて実施された。実は泉谷さん、萬翠荘の顧問も務めていて、そのプロジェクトにも関わったとか。

「これまでは、建物自体に魅力を感じていましたが、プロジェクトに携わりながらその建物の歴史を学べる良い機会をいただきました。萬翠荘ファンとしては、魅力がまた一つ増えることに感激です」

建物がどこにあるかは揺らがない

実は、提案しても結実しないことが多いのフィルム・コミッションの仕事。「落ち込むことも多い」と泉谷さん。

「提案は写真が中心です。脚本が送られてくるので、それにマッチするロケ地の写真を送ります。何年に誰が設計した建物かなどは関係ありません。単純にロケ場所の魅力と、撮影できるかどうかが重要です」

ここでふと、疑問がわいた。泉谷さんは、建物の魅力や地域の良さを伝えたい気持ちがあるのに、ロケ地には建物の歴史や地域らしさは求められていないことも多い。そこにどう折り合いをつけているのだろう。

「そうですね、建物がどこにあるかは揺らがないじゃないですか。建物がここにある理由は絶対にあって、そもそも、ここに建っている歴史は言わなくても紐づいている。撮影があって初めて地域に動きが生まれるものだと考えています」

泉谷さんは「映画撮影の効果は3回ある」という。

バスカヴィル家の犬夜の撮影風景

1回目は「撮影時」。仮に50名が20日間、毎日1万円(宿泊や食事など)を消費すると、1000万円以上が地域にもたらされる(直接効果)。
2回目は「公開時」。仮に40万人が1500円で鑑賞すると6億円。また、40万人が萬翠荘と知らずとも見た効果、公開に合わせてキャストなどが作品やロケ地を宣伝することを換算すると数千万円〜数億円(間接効果)。
3回目は「Blu&DVD発売時」。ジャケットに萬翠荘。特典映像に萬翠荘。紹介文章内に萬翠荘などイメージ、映像、文字などで萬翠荘がロケ地として認識されるのを換算すると数千万円〜数億円(間接効果)。とのこと。

「今回は、2022年6月17日に劇場公開と同時に萬翠荘では衣裳展やパネル展、ANAクラウンプラザ松山ではオリジナルスイーツとカクテルの開発と提供、松山市中央図書館ではミステリー本特集、テレビ愛媛『ゆ〜ばら』での特集など、思い通りのPRができました。おかげさまで、愛媛での興行成績は他と比べて良かったと関係者から聞いています。萬翠荘への来場者も増えたそうです。これからも、作品を通してたくさんの人に地域の魅力を伝えていきたいです」

ANAクラウンプラザ松山で提供されたオリジナルカクテル「カーズ・オブ・バスカヴィル」

こぼれる「8割」の行方

ロケ地として提案しても、結実するのはわずか2割。残り8割は、「今回の撮影では不採用」になる。

「僕としては不採用になった8割も愛媛の魅力。愛媛の魅力を10割にしてもっと多くの人に知ってもらいたい。そんな思いから生まれたのが、ココ大なんです」

ココ大は、「誰でも先生、だれでも生徒、どこでもキャンパス」がコンセプト。愛媛県をまるごとキャンパスに、地域資源を活用して学び合う。フィルム・コミッションの仕事を通して集めた、人、味、場所、文化、技術、知識、経験などといった愛媛の魅力を「授業」という仕組みを使い、共有しようと考えたのだ。そこには、「地域の魅力を外へ発信するには、地元の人の認識が欠かせない」という想いもある。

「外に上手に発信できたとしても、訪れた人に『◯◯はどこですか?』『◯◯ってなんですか?』と尋ねられ、地元民が『知らない』では伝わりません。地域にはいろいろな人がいます。知っているつもりで意外と知らないことばかりの地域の魅力を、発掘し、授業を通して人とつながり、街を知ってもらいたいんです」

ココ大の一例をあげると、過去には、萬翠荘で「空想美術館」と称したプロジェクションマッピングを行なった。

“らくがき”で彩られた萬翠荘

「萬翠荘が秘める魅力を一人でも多くの人に知ってもらいたかったんです。『重要文化財をどうしたら楽しめるか?』という発想から“らくがき”という答えを導きだし、小学校の協力を得て、0歳〜60代から計732点の投影作品を集めました」

空想美術館によって、たくさんの人が萬翠荘が秘める魅力をワクワクしながら知った

泉谷さんはなぜ、そうまでして地域の魅力発掘にこだわるのだろう。

「せっかく愛媛にいるんだから、このまちの魅力を最大限に活用して、楽しみたいんです。ロケハンが好きです。ロケハンは宝探しだと思っています。毎日は同じように見えて違う1日だから、ロケハンは永遠に終わりません」

ロケハンは宝探しー。泉谷さんはその想いを胸に、これからもさまざまな場所をハンティングして、宝を見つけ続けていくのだろう。みんなで宝を分かち合うために。泉谷さんが愛媛に来てくれてよかった。県庁舎があってよかった。心底そう思った。

▶︎泉谷さんの宝物リストより

今回は、「愛媛県庁舎」と「萬翠荘」を紹介したが、泉谷さんの「宝物リスト」はまだまだある。最後にもう少しだけ、泉谷さんおすすめの建物をご紹介。その魅力を、現地でぜひ体感してみてほしい。

明教館(松山東高校内)
『坂の上の雲』のロケ地
(写真は松山市のHPからお借りしました)
松山地方気象台
ロケ実績はないが候補地
(写真は松山市のHPからお借りしました)
愛媛県美術館
某映画で撮影予定だったが撮影中止で流れたそう
(写真は公式HPからお借りしました)
伊予鉄道高浜駅
『真夏の方程式』のロケ地

正直、建築にはあまり興味がなかった。真正面からの建築探訪だったら、どこまで楽しめたかわからない。でも、「ロケ地」という入り口から、作品と泉谷さんの“物語”を辿りながらの建築探訪は面白かった。世界がひとつ、始まった気がした。

次は、松山のどの建物が、どの作品のロケ地になるだろう。どの授業の教室になるだろう。そんなロケハン気分で建物を見るのも楽しそうだ。たとえ選ばれなかったとしても、建物は変わらずそこにあって、毎日同じに見えて違う時を刻んでいる。建物には物語がある。そう考えると、なぜだろう。どの建物も愛おしい。

【愛媛県庁舎】
住所:790-0001 愛媛県松山市一番町4丁目4-2
電話:089-941-2111
HP:https://www.pref.ehime.jp/

【萬翠荘】
住所:〒790-0001 愛媛県松山市一番町3-3-7
電話:089-921-3711
開館時間:9:00~18:00
休館日:月曜日(祝日は除く)
駐車場:あり
HP:http://www.bansuisou.org/

今回の書き手:高橋陽子
「日常を編む」をコンセプトに、企画・執筆・撮影を手がけるフォトライター。家族の日常、愛媛の風景、作り手の想いを、写真や文字で残すことが喜び。
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