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松山の建築って、どうよ!?

まちの魅力を表すものの一つとして、「建築」があります。

まちを象徴する建物や、街並み。それらが作り出す雰囲気が、まちの雰囲気を作り出している。

では、松山の建築ってどんな感じなんだろう!?建築に詳しくない私は、全国的に見て松山の建築がどんな感じなのかが分からない。

というわけで!今回は、建築に詳しい3人に集まっていただき、松山市の建築について座談会♪

マニアックなトークをみなさんにもお裾分けっ!

※この記事は、松山市の魅力を再定義する「松山ローカルエディターズ」の第7弾。テーマ「建築」の記事としてお届けします♪

今回のゲストは阿部真さん、白石卓央さん、泉谷昇さん

今回のゲストは3名です!建築マニア、建築家、ロケ地のコーディネーター。さまざまな角度から、松山の建築を語ります♪

abedotcom 阿部 真あべ まことさん

東京出身。2019年に仕事で松山へ。予備校の講師をしながら、古ビルマニアである村上香織さんとともにInstagram上でabedotcomとして活動。建築好きが高じて、古ビル散歩イベントの案内人に抜擢されるなど、建築マニアとして名を馳せる。日本に今も残る優れたブルータリズム建築*1を編集したリトルプレス『日本のブルータリズム建築』を2022年に上梓。

*1 ブルータリズム建築・・・1950年代に見られるようになった建築様式で、装飾性が低く無骨な意匠表現を建物の外観に多用する。荒々しさを残した打放しコンクリートなどを用いた彫塑的な表現(ベトン・ブリュット/生のコンクリート)を特徴とする 。

株式会社愛媛建築研究所 白石卓央しらいし たかおさん

松山市出身。東京のディベロッパーでの勤務を経て、地元の建築設計事務所の二代目としてUターン。公共施設、コワーキングスペース、幼稚園、文化財、住宅などを新築からリノベーションまで、様々なプロジェクトを手がけている。その傍ら、仲間たちと瀬戸内アーキテクチャーネットワークえひめ建築めぐりのサイトを運営したり、トークイベントに登壇するなど、建築を通じて地域の魅力を伝える。

ジャパン・フィルムコミッション理事長 泉谷 昇いずみたに のぼるさん

東京出身。2001年に妻の故郷である愛媛県に移住し、愛媛県観光物産課に6年間、松山市観光産業振興課に3年間在籍し、「えひめフィルム・コミッション」「観光企画」などを担当。現在は、フィルム・コミッショナーの傍で、愛媛の魅力を学び合う「いよココロザシ大学」設立。全国各地のフィルム・コミッションを結んだネットワーク組織「ジャパン・フィルムコミッション」理事長を務める。


実は、松山って著名な建築家の建物が多い!

松山の建築って他県と比べると、どんな特徴があるのでしょうか?

白石:「道後」とか「三津浜」とか、レトロなイメージがありますよね。大ボス級みたいな建築物があるというより、小粒なものがめちゃくちゃ残っているので。そういうところが阿部さんみたいなマニア(笑)の琴線に触れる感じでしょうか。

三津浜には古い建物がたくさん残っていて。僕も何軒かリノベーションで関わらせてもらっているのですが、想いのある人たちが買い取って直して、使われていて。そういうのもいいなぁって思います。

私は、著名な建築家の建造物も大好物なんですけど、そういった観点で見ても愛媛には結構建築物が残っているんですよ。安藤忠雄さんの「坂の上の雲ミュージアム」だとか、丹下健三さんが手がけた「愛媛県民文化会館」。長谷川逸子さんの「ミウラート・ヴィレッジ」、松村正恒まさつねさんの「城西自動車学校」や「河野内科」(※越智さんの記事でご紹介しています!)とか。松村さんは1960年代から松山にアトリエを構えていて、他にもたくさん残っているんです。

有名な建築家の建物も結構あるのに、あまり知られてなくて。たとえば、瀬戸内リトリート青凪 ってすばらしい安藤建築ですけど、代表作として取り上げられることはないですよね。なかなかアクセスしづらいっていうのがあるんですかね。

「松山の建築って、どんなふうに位置付けられるんだろう」と思って、建築年表をつくったんですけど、松山の歴史が見えてくるんですよ。「道後温泉本館」って純和風に見えますが、中には西洋建築の技術がたくさん使われていますよね。文明開化以降の近代化の様子が見て取れます。

白石さん自前!近代以降の建築物年表(マル秘)

昭和28年に行われた国体四国大会にあわせて、丹下健三の設計した愛媛県民館(現存しない)が建てられたり、銀天街商店街にアーケードが設置されたり・・・建築には歴史的背景があるんです。


建築としての価値がわからない!?

白石:たとえば、松村正恒さんってある1960年頃にパッと名前が売れて、そこから最前線からは消えちゃったんですけど。90年代になって、建築家の方がとある建築雑誌で松村建築を取り上げるために、八幡浜の日土小学校に足を運んだんですよね。そこで、すごく感動されて・・・。地道に松村建築の研究をしながら、保存再生に向けて声を挙げて。地元の方々や建築系団体、行政を巻き込んで運動をしたら、結果的には重要文化財となった・・・っていう。

こういうことの起こりうる建築が、実は松山にもたくさんあるんじゃないかなって思うんです。建築の価値が理解されてなくて、壊されてしまう・・・みたいなことが多い。

阿部:僕が愛媛に来てから4年ぐらいですけど。それだけでも、どんどん古ビルがなくなって駐車場になっていますね。

これ、古ビルをまとめた雑誌なんですけど。こんな風に1冊本ができちゃうのって、量があるからなんですよね。東京は古ビルがいっぱいあるけど、松山も残していかないと・・・こういうことはできない。

僕は、もともと「団地」から建築が好きになったんです。松山にもスターハウスが残っていますが(※越智さんの記事に登場!)、守らないとなくなっちゃうんです。

壊されてしまうのは、老朽化して、誰がお金を出すか・・・という問題になっちゃっているからですかね?

あんまり松山の人って建築に関心がないというか、目を向けないんですかね。愛媛大学にも建築学科があるわけじゃないですし。学生さんを育てないと、そういった下地ができないかもしれないですね。

白石:そうなんです。建築自体の価値や魅力というより、「景観」としてどうかといった話になりがちですね。歴史的に価値が認められていないと、なかなかそれを前に出せないみたいですね。

阿部:1930年代の建築物は、「文化財」としての発展は可能性あるんですけど、60〜70年代の建築物は宙に浮いた存在になっちゃうんですよね。丹下健三建築とか安藤忠雄建築とかじゃないと、「壊して新しいのを建てた方がいいんじゃない?」ってなっちゃう。50年代ですけど、伊予銀行本店もそうですよね。長谷部鋭吉さんの建築物ですけど、建て替えが決定してしまいましたね。

僕は愛媛に来る前に沖縄にいたのですが、竹富島って徹底しているんですよね。「建物の屋根を全部赤瓦にして、平屋にしないといけない」っていう条例をつくっていて。車も乗り入れないようにしたりとか。だから、いっぱい人が街並みを観に来るんです。

松山にも、松山城があって、県庁があって、萬翠荘もあって、道後温泉もああって、坊っちゃん電車が通ってる。例えば「大正ロマン」や「昭和モダン」をテーマにして、そういう雰囲気の建物をつくっていってもいいかもしれないですね。大正って、ちょっと特殊な感じがある時代で。明治時代に海外からいろいろ入ってきて、世界と関わってきて、独自のものを生み出したがっているエネルギーがあるというか。とんがっている感じなんです。


ただ新しいものを増やしていくんじゃなくて。「あぁ、松山だな」っていう景色
がつくれたら、もっと魅力が上がるんじゃないかなって思うんですよね。


日常を感じる風景が残るまち

泉谷さんは、ロケ地の誘致をされていますが、どうやってロケ地をセレクトされているのでしょう?

泉谷:僕は、全く建築の知識がないので。単純に、そのシーンに合うかどうかで選んでいるんです。建物本来の使い方ではない使い方をしょっちゅうしています。

県庁を救急病院の入り口にしたり、国会議事堂にしたり、大邸宅のロビーにしたり。Netflixで配信予定の「離婚しようよ」では、八坂公民館を選挙事務所として使ったり。 あとは提案してダメでしたけど、松山市民会館の長い階段を駅のプラットフォームの階段に見立てたりとか。基本的にその用途とは全然違う、かなり捻じ曲げた見方しかしていません。

かと思えば、見た人が違和感を覚えるような使い方はできないので。たとえば、松山東警察署はどこから見ても警察署なので、警察署としか使えないなとか。何系統か見方はあるのですが、真正面からは使わないというのが我々のスタンスですね。

日々、無意識にロケハンしている気持ちでいます。妄想力は強いですよ(笑)。路地、横道、細道は、よく使うのでしっかり見てます。映画というと、アベンジャーズみたいなイメージをするかもしれませんが、日常を描くことが多いので、日常で絵になることを探すんです。そう言う目で見ると、日常的に絵になる風景は、松山にはめちゃくちゃあるんですよ。

昭和50年代の「のび太の家」を探してくれ、なんてしょっちゅう来ますよ。木造モルタル二階建ての家のことなのですが、松山には結構残っているなぁと感じています。

観光としての推しポイントは?

「廃墟マニア」とか、「工場萌え」とか、建築にもいろんなジャンルがあると思うのですが、観光目線で考えたときに何か推しポイントはありますか。

白石:建築家ベースに巡ることはできそうですよね。長谷川逸子さんの建築が多く残るのも松山の特徴だなって思っています。安藤忠雄さんと同世代の建築家なんですけどね。ミウラート・ヴィレッジだけではなく、坂の上の雲ミュージアムの近くにある「菅井内科」とか、千舟町にあるAONOビルとか、まちなかに点在しています。

建築家というよりも組織設計事務所ですが、日本で一番大きい設計事務所日建設計 がつくった建物もいっぱいあります。「愛媛県美術館」とか、「伊予銀行本店」を設計した長谷部鋭吉さんも日建設計の前身の建築事務所の創業メンバーだったり。紐解いていくと、日建設計のルーツは別子銅山で財を成した住友財閥だったりするので、愛媛にも縁があったんですね。松山大学 のmayu terraceも設計されていますし。(※新居田さんの記事でご紹介してます!)

足を伸ばして「愛媛全体」で考えると、もっと幅は広がりますね。たとえば丹下健三の建物だと、松山単体で言うと「愛媛県民文化会館」ぐらいですが、丹下さんが育った今治に行けば今治市役所とか今治市公会堂とか市民会館とかいっぱい残ってますし。広域で見て行くのがいいかもしれないですね。

これからの建築は、建築物単体で終わりじゃなくて「広がりを考えていく」ことが大事だと思っています。僕が関わらせてもらったひみつジャナイ基地 も、道後の人たちとの話の中で「どうやって地域の回遊性を高められるか」がポイントになりましたが、近くに上人坂テラスとか上人坂ハナレ ができて、面的な広がりが出てきました。道後にも変化が起こっている感じがしていますね。

たしかにそうですね。三津浜も最初はお店も少しだったけど、だんだん面白い人が移住してきて、広がってきていますもんね。建物を残そうと思ったら、まわりも新しく何かをはじめたりとかが必要なんですね。

本の轍さんのある春日町もそうですよね。隣に学と芸 七分 さんがあって、
向かい側にNyacottoさんがあって。お店ができるたびに、人が集まるたびに、まちの雰囲気が醸し出されていくるじゃないですか。人の個性が、建築っていうものをまとって滲み出てくる感じなんですよね。

松山市駅やJR松山駅の駅前も大きく変わりますね。これから松山市の公共的な空間がドラスティックに変わりそうな感じはしてます。

ロケ地めぐりも観光になりそうですよね?

泉谷:ロケ地巡り、ほそぼそとやってますよ!松山だったら、中心部だと県庁スタート、萬翠荘、あとは裁判所前の十字路に行ったり。あとは大街道でディストラクション・ベイビーズのロケ地に寄ったり、

圓光寺に寄ったり、途中で、「ことり」に寄ったりとか。「聖地巡礼」流行ってますけど、ロケ地だけではやっぱり足りないんですよね。そこにプラスして、地域に密着したネタがあった方がおもしろいんです。圓光寺は、境内に滑り台があるっていうのも面白いし、住んでいるネコちゃんもかわいい。地元ならではのものをくっつけるんです。

聖地巡礼では、ポイントしか示されていないので。「AとBの途中になにがあるか」っていうのが重要なんですよね。体験するとか、お菓子食べるとか。

阿部さんは、学と芸 七分  さんで古ビル探訪ツアーしたときの案内人をされたことがあるとのことですが、県外からのお客さんもいましたか?

県外からの参加者もいました。日本各地で、古ビル巡りみたいなイベントがあるときは、県外でも参加していると言ってました。

設計された方のお名前で興味を持たれる方もいますし、建物を見て「かわいい」って言ってる女の子とかも。世代によって楽しみ方違う人もいますよね。「かわいい」から入って、設計した方って誰なんだろう。そこから深掘りして楽しむ方もいます。

観光パンフレットいろいろあるけれど、建築系の案内があってもいいかもしれないですね。まとまって一覧で見られるものがない気がします。

白石:冊子じゃないんですけど、Googleマップで愛媛の建築を公開しています。あとは「えひめ建築めぐり」というブログを地道に更新しています。

でもやっぱり紙ものは欲しいですよね。ぜひ予算を・・・(笑)

どうする!? これからの松山建築

建築物としての宝物がちょこちょこ残っている松山。もともと建物が好きな人はその価値を知っているけれど、そうでない人にとっては「ただの古い建物」と映っているのかもしれない・・・。

どうやって残していくかが課題です。

松山市として、「何を推し」にするのか。言語化が必要なのかもしれません。大正っぽい?明治っぽい?かと思えば、飛鳥乃湯泉|《あすかのゆ》では、飛鳥時代をイメージさせたりちょっと統一感がないのかも!?

まち全体としての、共通認識が必要なのかもしれないですね。

他県の都市開発に比べると、松山市の変化はとってもゆるやか。でも、それが特徴なのかもしれない。最先端じゃないけど、古いものが残っている。しかも派手な建築物というより、さりげなくまちに馴染んだちいさな宝物がたくさん潜んでいる。

大切に守っていくために、私たちは何をするべきか。考えさせられました。

今回の書き手:大木春菜
大洲市出身、松山市在住。松山ローカルエディターズ編集長。株式会社せいかつ編集室 編集者・ライター。地元も好きだけど、旅も好き。レトロなものやマニアックなカルチャーが好み。手帳のYouTubeも発信中。
Instagram▶︎ooki_haruna
Twitter▶︎haruna_ooki
YouTube▶︎せいかつ編集チャンネル

※記載している店舗やサービスについての詳細は、各ホームページからご確認ください。

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