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ウチとソト・ポピュリストとエリート:『新しい階級闘争』

以前から、個人的にツイッターの論壇(なんてものがあるかどうか疑わしい時もあるが)や政治に関する話題について違和感を感じ続け、ブログやこのnoteでもとりあえずそのことを書いてきた。先日ツイッターで『新しい階級闘争』について触れたツイートをたまたま見かけ、その中で『とりあえず』見えてきたことを個人的に消化したいと思い、手に取り読み終えた。

本書『新しい階級闘争』はマイケル・リンド氏(テキサス大学オースティン校大学院教授)の著書である。
巻頭解説は中野剛志氏(政治経済思想を主とする評論家)である。
270ページほどの本だがなかなか濃い内容なので、今回はリンド氏の手がけた本編・中野氏の巻頭解説・監修者である施光恒(せ・てるひさ)氏の解説をミックスして組み直し、なるべく内容を整理して書いていくことにする。

1:『上と下』『ウチとソト』階級


現在、『先進国』で起きている『新しい階級闘争』。
これは一般の人々=大衆を支持者とした人々(ポピュリスト)と政治・経済・言論界などの支配層(エスタブリッシュメント)の対立である。

先進諸国は、
・大都市で働く高学歴の管理者(マネージャー、経営者)や専門技術者(プロフェッショナル)からなる少数派の『上流階級』
・昔からその国で働いてきた土着の人びとと新しくやってきた移民からなる多数派の『労働者階級』
に分裂し、両者のあいだで階級の二極化が進んでいる。
その過程で、労働組合、宗教団体、地域政党など『旧来の機関』は弱体化・壊滅の道を歩んでいった。

『上流階級』は体制の『ウチ/内・中』(インサイダー)となり、政治・経済・文化という三つの領域において、管理者(経営者)エリートと彼らが支配する非民主的機関(官僚、司法、企業、メディア、大学、非営利組織など)への権力の集中が進んだ。
この現象を寡頭(かとう)支配(オリガーキー:と本書で述べているが、『少数者による支配』と理解するのが良い。
もっといえば、この過程はエリート層が主導する『上からの革命』といえるだろう。

かたや『労働者階級』は体制の『ソト/外』(アウトサイダー)となり、政治・経済・文化の各領域で発言の場を失い、カリスマ的な民衆指導者をますます頼みとするようになり、ついに不満を爆発させ、破壊的な反発に出た。
リンド氏のいう『インサイダー対アウトサイダーの政治』の誕生である。
近年の日本だと、この『破壊的な反発』の例として当てはまりそうな事例は『NHKから国民を守る党』(N国党)ではなかろうか。

『インサイダー対アウトサイダーの政治』を平たくいえば『ウチとソト』の問題とも言えそうだが、『新しい階級闘争』・グローバル化推進策から利益を得るエリート層と、ほとんど利益を得ることのない庶民層との間の経済・政治・文化の各領域に及ぶ対立だといえる。

文化面では、2020年からの2019新型コロナウイルスのパンデミックで、
・『大都市エリートのお高くとまった官僚的(テクノクラート)新自由主義(ネオリベラリズム)のインサイダー(ウチ)文化』
と、
・『露骨で下品で反政治的なカウンターカルチャーを特徴とする煽動的ポピュリストのアウトサイダー(ソト)文化』
のあいだの分裂を浮き彫りにした。

政治・経済・文化面の分裂の結果生じている、
・大都市(知識や技術・交通の結節点=本書では「ハブ(HUB)」と呼ばれる)
・庶民層が多く暮らす郊外や地方(本書では「ハートランド」と呼ばれる)
の間の地理的分断も本書で触れている。

2:『ポピュリスト運動』とN国党

『問題は、左右のイデオロギーではなく階級の上と下の対決である』ことに、どれだけの人々が気付き、発信し、人々の声なき声に『寄り添う』ことを実行してきたのか。
本書では、ポピュリストに対するエリート側の問題点として
・庶民層のポピュリスト運動が発する警告を真剣に受け取ろうとせず、むしろ陰謀論をつくり出してしまう
・ポピュリストを精神病理を抱える者だと認識し、ポピュリスト運動を社会不適合者による非合理な運動だとみなす
・エリート層自身がつくり出した社会の不公正さから目を背けようとする
という問題点を指摘している。

ポピュリスト運動(エリートへの異議申立て)の原因は、『小さな政府』路線(=社会保障制度の縮小、規制緩和によるビジネス活動の促進など)をメインとする『新自由主義的』政策によって労働者階級を抑圧し、政治・経済・文化の各領域で労働者階級を仲間外れにし排除してきた支配層の側にある。

例えばN国党。
もはや『上流階級』となってしまったマスメディアの代表例であるNHK。そのNHKを『ぶっこわーす』と代表である立花孝志は自らをピエロ化し、東京都知事選挙や2019年参議院選挙など注目度の高い選挙に出馬しついには参議院で議席を獲得した。
以前からあった政党や組織から仲間外れにされ、それに強い不満・不信感を持ち続けてきた人々の憧れの的・ヒーローとなった立花孝志とN国党の躍進について以前『バッドニュース』だと書いたが、それは誤りだといってもいい。
間違いなく、仲間外れにされてきた人々の写し鏡だというべきだ。
そして、2019年の時点で特にツイッターの政治系インフルエンサーや知識人はN国党の背景を深掘りすべきだったのではないか。
早い段階からN国党を観察してきたちだい(石渡智大)氏にその点一日の長があるが、他の人たちの動きは今思えば鈍かったかも。
所詮泡沫候補じゃないか、馬鹿騒ぎだと軽くみていたのではないか。


N国党の問題行動を許してきたのは、有権者に責任があるともいえるが、もっといえば、支配層の責任だといっていいはずだ。

ポピュリスト運動はエリート層に対し脅威を感じさせたり警告を発する機能は持つとしても、「病理」そのものへの根本的「治療」にはならないという点があることを頭の片隅に置いていてほしい。

陰謀説(◯◯は☆☆の陰謀という理論のようなもの)やニュースの形をしたニセ情報(フェイクニュース)に扇動されたポピュリズムは、破壊的・攻撃的であっても特権階級の新自由主義的支配体制にとって代わる安定的な新体制を構築することはできない。
それは、今後のN国党の顛末を観察していくとよくわかるだろう。
本書では現代米国の政治史における労働組合・宗教団体・地域政党・市民団体など労働者階級の利害を代表する集団の衰退について触れられているが、衰退の後にあらわれたのが『ポピュリスト運動』であるといえる。
米国の場合はドナルド・トランプ前大統領であり、日本の場合は立花孝志がその例だろう。

なお、リンド氏は『ペーパーバック版への序文』で、2020年の米国で発生したジョージ・フロイドさんの死亡事件から発生したBLM(ブラック・ライブズ・マター)を引き合いに出し、

・労働組合や教会などの再建のためには、人々に嘘やデタラメを吹き込み煽り立てる『デマゴーグ※』のような虚像の代表者ではなく、正真正銘の代表者を輩出する必要があるが、それは最低でも一世代はかかる大事業である
(※個人の感想だが、立花孝志やその分派の『国民主権党』は『デマゴーグ』の一例だといえるだろう。)

・それまで欧米の政治はインサイダー(ウチ)とアウトサイダー(ソト)のあいだで争いが続き、多くの場合、インサイダーが勝利を収めることになるだろう

と述べている。

私たち『ソト』の人たちは、おそらく一世代はかかるであろう争いに耐えられるのだろうか。
個々人がそれに耐えられないと感じる時に己の利益のために人々を利用するのが、立花孝志や国民主権党のような『ポピュリスト』の皮を被った煽動者である。

※『国民主権党』についての参考リンク

3:労働者集団の復活とエリート

かつてのアメリカの民主政治において、労働者階級の声を代弁してきた労働組合・宗教団体・地域政党・市民団体などの集団は一部の特権的階級に権力が集中するのを防ぐ力『拮抗力(きっこうりょく)』を持っていた。

先進国におけるかつての階級闘争は『資本家と労働者との闘争』だったが、世界大戦を経験する中で、国家を仲介役とし両陣営が妥協策を積み上げて戦後の福祉制度に引き継がれ、解消に向かった。
そして、様々な参加型の中間団体(労働組合など)が、国民の多様な層の声を集約し、政府がそれらを拾い上げ、相互調整し、偏りなく行っていく政治(本書でいう『民主的多元主義の政治』)が行われ、労働者は拮抗力を持つことができた。一種の『暫定協定』のようなものだが、それは長続きしなかった。
上からの新自由主義革命が生じ、妥協策が覆され、各層の利害が調整されなくなり、エリート層の利益が各領域でもっぱら推進される不公正な社会へと変質した。

支配層の特権的支配の確立のために、新自由主義的な政策やグローバリゼーションによって弱体化させられてきた労働組合などの集団を復活させ、力を取り戻すことが求められる、と本書で述べられている。

なお、先進国で採用される
・再教育などの教育政策
・ベーシックインカムなどの再分配政策
・反独占政策
について、リンド氏は
・「根治療法」ではない「対症療法」
・根本的問題である権力関係の不均衡の改善を真摯に図るものではない
として評価していない。

リンド氏は終章『「新しい階級闘争」を終わらせる方法』において、
・欧米諸国において新自由主義を打倒するためには、既存の管理者(経営者)エリートが新自由主義を放棄して別の統治哲学に切り替えればよい
・新しい体制(政策レジーム=例:民主的多元主義)のもとでエリートとなるのは、大半が旧体制のもとでもエリート層であった者になるだろう
・支配階級がほとんどが出世第一の日和見主義者(風見鶏)であるという事実は、人事を根本的に刷新せずとも政策の根本的な変革が行えるからであり、実は幸運である
と述べている。

これは、かつての日本に置き換えると、江戸時代末期から血みどろの内戦を経て起きた体制変革『明治維新』の過程でもみられる現象だといえる。
薩摩藩・長州藩の大名やその家臣・藩の教育を受けた武士が明治政府の中心になったことは、まさしく旧体制のエリート(とその候補生)が新体制のエリートとなった例ではなかろうか。

そして、リンド氏はエリートによる新自由主義体制の転換の動機として、
・熱戦(軍事衝突)・冷戦・貿易戦争などの戦争に国が敗れることへの恐怖
があるとし、
・新しい民主的多元主義の時代が将来やってくるとき世界の状況は大国間競争が再び熾烈になっている可能性が高い
・ライバルとなる大国との競争を効果的に進めるために、上流階級内の愛国心の強いグループがグローバリストの新自由主義を新しい国家開発主義に置き換え、国内の社会的平和を達成すべく階級横断的な交渉を行うようになるかもしれない
と述べている。

平和の時代に血を流さずにより良い社会にするために改革ができればよいが、科学技術の変革に世界大戦や冷戦が影響したという歴史を考えると、名もなき人々の訴えだけでなく大国の間の激しい競争の影響を否定できない。

欧米民主主義諸国の堕落を食い止めるためには、
・『人種民族信条を問わず』賃金労働者の政治的権力、経済的・文化的影響力を大幅に強化する
・『出自を問わず』『すべての労働者階級の市民』を政治・経済・文化の各領域における意思決定に組み込み全員がインサイダー(中の人、当事者)となれるように従来の制度を構築し直すか、新しい制度を建設する必要がある
と述べて、本書は締めくくられている。

4:日本語版に寄せて

本書の監修者の施光恒(せ・てるひさ)氏は、
・現代の文脈における民主的多元主義の政治の再生
・新自由主義に基づくグローバル化推進路線の転換が必要だと本書が論じる
と解説し、私たち日本の読者に特に有益と思われる点を紹介しているので、いくつかまとめておき、この記事を締めくくることにする。

①ポピュリズム現象について:
・日本のマスコミや評論家は欧米の主流派マスコミの情報をもとにして世界を見ていることが大半である
・グローバル化に乗り遅れた時代遅れの不適合者が騒いでいるに過ぎないという見方をとりがちである
・ネット世論ではその反動からかポピュリズム運動を全面的に肯定してしまう議論がしばしばみられる
・現在の主流派の政治はエリートによる少数支配
・庶民層の怒りは正当だが、ポピュリスト運動は組織化されていないため不安定・持続的ではない・建設的でもない・国民各層の意見を十分に取り込むこともできていない

② グローバル化と自由民主主権の相性の悪さ:
・日本では「グローバル化」はまだまだ前向きで良い印象を与える言葉だが、自由民主主義の政治の基盤を掘り崩してしまう。
・「日本型市場経済」「日本型経営」と称される特徴的な経済の仕組みをつくり出し、中間層が主役の大衆文化も栄えたが、1990年代後半以降は欧米にならった新自由主義の経済運営を取り入れ、構造改革を繰り返し、現在では中間層の暮らしは不安定化し、劣化している。
日本の場合は、欧米諸国の新自由主義化に無批判に追従し「グローバル標準」を旗印とし(例:2000年初頭の米国コンパック社のコマーシャル)、新自由主義的構造改革を推し進めた。

③左派・リベラル派の失敗:
本来なら左派やリベラル派は、新自由主義化に対抗する中心的勢力になるべきであったが、日本では「1940年体制」(実際には日本だけではなかったが)論の影響もあり、「日本型市場経済」について
・戦時経済の名残であり否定すべきものだ
・集団主義的で遅れたものだ
という議論が高まり、
左派やリベラル派でさえ新自由主義的改革を肯定的に受け取ってしまった。
朝日新聞やテレビ朝日を始めとする大手マスメディアが当時こぞって小泉構造改革や郵政民営化に賛同していたことは、そろそろ昔話になりつつあるが覚えている。

これから労働者に負担を強いる『ウィズコロナ』『アフターコロナ』時代が本格化するが、本書が私たちの生きている2020年代の世界観を皆様が整理するきっかけになると幸いである。

本書と合わせて読んだ『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムのことは嫌いにならないでください』については、改めて書くことにする。(2023/03/27公開)

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