「キノコ姫の下僕」本編 第1話

 世の中には善良なキノコとそうではないキノコがある。
 一般的にスーパーに売られているキノコは食べようと育てようと鑑賞しようとなんの問題もない。
 一方で、山奥あるいはそこら辺のちょっと怪しげな茂みに入れば、あきらかにやばそうな毒々しい見た目のキノコがいくらでも生えていたりする。口にすれば痙攣や幻覚作用など薬物中毒にも似た症状を発するものや、一口食べただけで死に至るもの、触れるだけでも危うい代物まで様々だ。キノコと死は隣り合わせなのである。
 僕が通う高校はごく一般的な普通科高校なのだが、その校舎の裏山はやばそうなキノコの群生地だった。
 夏から秋にかけて、つまりちょうどいまくらいの時期に、日当たりの悪い地面や木の隙間からにょきにょきと顔を出す。そしてあっという間に増殖する。その鬱蒼とした雰囲気から、まともな人間ならまず近寄らないだろう。
 ごく普通の高校の裏山にどうしてそんな危険地帯があるのかは知らないが、今のところ誰にも手をつけられず野放しにされている。
 僕、坂崎裕一は、そこに生えているやばめなキノコのほとんどを一度は口にしている。
 正常な人間なら毒キノコをすすんで口にしたりはしない。僕が正常ではないのは承知だ。もはや人間ですらないかもしれない。
 なぜなら、毒キノコを致死量以上食べても、死なないのだから。
 僕は死に場所を探していた。滅多に人が立ち入らない、学校の裏山に足を向けたのは自然な流れだった。
 そこで僕は、色とりどりの毒々しくも美しいキノコの大群を目にしたのだった。
 こんなにも美しい光景があるのか。そして同時に、危険だから近寄らないようにと、大人たちが口うるさく言うのも理解できた。その場所自体がすでに匂いや空気からして、常軌を逸した何かを醸し出していた。本来のキノコの匂いをもっと強烈にし、長い間熟成させたような匂いに満ちていた。
 その瞬間、僕は心に決めた。
 そうだ、ここで死のう。
 いや、そんなちょっとひとり旅に出るような軽やかな心地ではなかったのだけれど、それくらい唐突にそして確信的に、思ったのだった。どうせ死ぬのなら、この見目麗しいキノコを口にして死にたい、と。
 以来僕は、ネットや本を片っ端から調べ尽くし、毒キノコといわれるものを見つけては食べ続けた。その結果、悶え苦しむことはあっても死ぬまではいかなかった。
 だが、そう簡単にはいかなかった。僕ごときの命を終えるのにこんなにも労力を試されるとは思いもしなかった。
 実際、毒キノコを食すことで顕れる一般的な症状(腹痛、嘔吐、発汗、めまい、痙攣、呼吸困難、幻覚、幻聴、異常な興奮etc)の全てを経験しているにも関わらず、まだしぶとく生きている。精神力と体力はミミズレベルなのに、なぜか生命力だけは無駄にあるらしい。
 毒キノコを食すたびに意識が朦朧としたり猛烈な腹痛に襲われたり踊りだしたりもするが、命に別状はない。そんなことを繰り返しているうち、だんだんと中毒症状に慣れてきてしまった。そしてもっと強力な毒物を探し求めるようになった。完全にキノコ中毒者である。
 これではいけない。僕は死にたいのだ。死を求めてキノコを食すと、ほんの一瞬だけ天に召されたような心地にはなる。けれどその後には決まって反動のように凄まじい絶望に襲われる。またダメだった、と。
 しかしすっかり中毒症状の波に呑まれている僕に、ほかの方法を試そうという考えは微塵もなく、ひたすら怪しげなキノコを狩っては食べ続けた。
 そんなときだった。
「これだ」
 やっと見つけた。木の根元に奇跡のように1本だけ生えている神々しいまでに白く輝くソレを。
 ドクツルタケ。傘から根元まで全身真っ白で、ところどころ棘のようなささくれがある。ひとくちでも口にすれば、適切な処置をしなければ確実に死ぬ。どれただけ毒に耐性のある強者でもコレを食べて無事で入られた者はいない(と本に書いてあった)。
 猛毒キノコ御三家、別名「破壊の天使」。その神々しさと毒々しさの両面性を持ち合わせた彼女の風貌にふさわしい二つ名である……彼女と言ったが、キノコにたぶん性別はない。
 僕は感動していた。
 これだ。僕が探し求めていたものは。きっと僕は、この1本を食べるために、今まで無駄にしぶとく生き長らえてきたのだ。君になら殺されてもいい。いや、むしろ喜んでこの命を捧げるつもりだ。
 僕は純白のドクツルタケを胸に抱いてそう心に誓った。
 これで死ねなかったら僕はもはや完璧に人間じゃないのだろう。たぶん人間の皮をかぶった低級モンスターかなにかだ。

「いただきます……」

 さすがに今回は、いままでのキノコたちとは違っていた。飲み込んだ瞬間、喉の奥が焼けるように熱くなり、粘膜という粘膜を引き剥がしながら咽頭を転げ落ちていくような強烈な痛みに見舞われた。まさに殺人キノコだ。破壊の天使という異名は伊達じゃなかった。
「あ……ぐあああ……っ」
 僕は声にならない呻きを発しながら喉を搔きむしり地面を転がり文字通りのたうちまわった。凄まじい苦痛が延々と続く。
 ……そう延々と。いつまで続くんだこれ。
 そんな死ぬほどの、普通の人間ならとっくに死んでいるはずの苦痛をしばらく耐え抜いたのち、僕は悟った。
 ああ、またダメだったのか。
 そんなつもりはキノコの表面に生えている毛ほどもないのに、また耐えてしまったのだ。どれだけ毒に耐性があるんだ僕の体。
 僕は薄く目を開けた。涙で歪んだ視界に何か奇妙なものが映り込む。
 あたりを囲む鬱蒼とした木々。毒々しいキノコ。そして、あり得ないものを見た。
 それは、人だった。
「え……は?」
 僕はぱちりと目を瞬かせる。おかげで朦朧としていた意識までも完全に回復してしまった。
 ……なんだこれ。幻覚か?
 ためしに目の前のそれを両手でつかんでみた。そしてもんでみた。やわらかい。
 直後。バチィン! と頰に衝撃が走った。
「貴様ッ、何をするッ!」
「……へ」
 僕の目の前には少女がいた。さっきまでは僕のほかに誰もいなかったはずだ。少女は長く美しい白髪を靡かせ、真紅の着物を身につけ、そしてなぜか、頭からキノコを生やしていた。
 それはドクツルタケだった。真っ白なキノコが2つ、まるで角のようにして、髪の隙間から伸びている。破壊の天使と云われるが、なんだかそれは、悪魔の角のように見える。
 ーー白い悪魔。そんな言葉が、一瞬、頭に浮かんだ。
 この子……まさか、頭でドクツルタケを栽培しているのか!?
 なんという猛者だ。
 僕が身震いしていると、少女がぷるぷると震えだした。
「いつまで汚らわしい手を乗せておるんじゃ、この変態がッッッ!」
 さっきよりも激しい平手打ちを食らった。これは毒の作用なのか。いや、こんな作用は経験したこともない。そしてすぐにてをどけなかったのは僕が変態だからではなく衝撃を受けていたからだ。
「あの、ごめんなさい」
「この無礼を謝って済むと思っておるのか貴様」
 許してもらえなかった。
「いや、でも、幻覚だし……」
「誰が幻覚じゃい!」
「え、違うの?」
「この千姫を幻覚呼ばわりとは、首を刎ねられたいのか」
「そ、それはちょっと嫌かも。血が大量に出るし、頭と胴体はできればくっついててほしいっていうか……」
 とそこで、ある単語が僕のあるアンテナに引っかかる。
「いま、千姫、とか言いませんでした?」
「それがどうかしたのか」
 少女はむすっとしている。ちょっと可愛いかも……いやそうじゃない。
「千姫って、あの千姫……? 戦国時代最後のヒロインとか、呪われた姫君とか言われてる……」
「誰が週末ヒロインじゃボケ」
「いやそんなことはひと言も……だからあの千姫」
「呼び捨てにするな無礼者が!」
 またしても強烈なビンタを食らった。これで三度目だ。しかも今度は下僕呼びまで追加された。しっかり頬に痛みがあることが、これが夢でも幻覚でもないことを証明していた。
「で、ではなんと呼べば……?」
「千姫さまに決まっておろう。くだらないことをほざくな下民よ」
 自称千姫は両手を腰に当てて生ゴミでも見るかのような目で僕を見た。確かにその不遜な態度は姫と言っても過言ではなかった。しかし頭から猛毒キノコを生やした姫というのはいかがなものか。
 そうか、と僕は心の中で手を打った。彼女はきっと「千姫」のコスプレイヤーなんだ。
 そういえば、先日人気ゲーム『戦国姫ロワイアル2』が発売されて、早くも一部では人気に火がついていると聞く。たぶん、この近くで何かのイベントでもあったのだろう。それで彼女はなぜかたまたまこの裏山に迷い込んでしまったのだ。
「コスプレ? なんじゃそれは?」
 とシラを切る自称千姫。
 週末ヒロインを知ってたくせにコスプレを知らないだと……。
「コスプレとは、好きな漫画やアニメのキャラクターに扮する行為です。コスチューム・プレイの略で、キャラクターになりきって写真を撮ったり」
「そんなものは知らん」
「…………」
 その格好はコスプレではなく私服だと言いうのだろうか。あれ、ちょっとやばい人かもしれない。
「えっと……じゃ、じゃあ、僕はお先に失礼します」
 君子危うきに近寄らず。ひとまず退散しようとしたが
「待たんか」
 ガシッと肩を掴まれた。
「ま、まだ何か?」
「何かではない。まだわらわから逃げられると思っておるのか愚か者めが」
「……え?」
「貴様はこの千姫の胸をもみしだいた挙句幻覚を見たなどとくだらん言い訳で罪から逃れようとした。本来なら極刑のところを、わらわに従えば広大な心で特別に許してやると言っておるのじゃ」
「従う、とは……?」
 頭にキノコを生やした自称千姫は
「うむ」
と満足そうに胸を張って言った。
「貴様は今から我が下僕じゃ。わかったら速やかに家まで案内せよ!」

 僕は学校からそう遠くない住宅街の一角の前衛的なデザインのコンクリート二階建ての家で、一人暮らしをしている。街中にあって広さ50坪あまりのそれなりに金をかけた家だが、当然ながら所有者は僕ではなく、僕の父親だった。
 僕の父親はそれなりに名の通った建築家だった。僕が幼い頃に母親が出て行って、以来、この広い家に父子2人で暮らしてきた。優しく頼もしい自慢の父親だった。そんな父親が、2年前ーー僕が高校に入学したばかりの頃ーー、海外で行われたコンペに向かった先で、列車の事故で死んだ。付き合いのある親戚もなく、僕は天涯孤独の身となった。
 父親のおかげで幼い頃から何かと注目されてきた僕だったが、親の才能を少しも受け継いでいないことは自分がいちばんわかっていた。それを証明するように、父親がいなくなるや否や、まわりにいた人間は手のひらを返したように途端に僕に興味をなくし離れていった。反対に、父親が生きていたときは近寄りもしなかった悪辣な奴らに目をつけられた。金だけ無駄にあって力も後ろ盾もない僕は、奴らにとってはかっこうの獲物だったわけだ。
 僕のまわりには、いつだってそういう自分の利益しか考えずに人を平気で傷つける人間しかいなかった。

「な……なんじゃこれは……っ!?」
 頭にキノコを生やした自称千姫が言うには、長い眠りから目覚めたばかりでひどくお腹が空いているらしく、ついさっきデリバリーされたそれを口にするなり
「オゥ……」
という欧米人のような感嘆の声を漏らした。
「下僕よ、こ、こここれはなんという名の料理じゃ!?」
 自称千姫は目を血走らせながら言った。
「ピザです。あと僕の名前は祐一です」
「ピザか……聞き慣れぬ名前じゃな……はむはむ」
 僕の名前に関しては華麗にスルーされた。
 両手でピザを持って口いっぱいに頬張る姿は、なんだかハムスターみたいで可愛らしい。和んでいると、ギロリと睨まれた。
「何をぼうっと突っ立っておる下僕よ。飲み物を持ってくるか追加のピザを持ってくるかどっちかにせい」
「え、まだ食べるんですか」
 最終的に、姫は注文したLLサイズのピザ5枚とこれまた特大サイズのフライドポテトを全て平らげてしまった。僕はいっさい何も口にしていない。その体の一体どこにそんなに吸収されるというのだろう。
 すっかりカケラも残さず食べ終えたところで
「ところで下僕よ。お腹は空いておらんのか?」
「……いえ、とくに」
 言われるまで気づかなかった。大量のピザを前にしても、まったく食欲が湧かなかった。
「胞子のせいじゃろう」
 と姫はあっさり言い切った。
「胞子……?」
「わらわの体内にある菌じゃ。興奮すると活性化してあふれてくる」
 なにその特異すぎる体質。
「いや、あなた人間ですよね?」
「これを見てもそう言えるか?」
 自称千姫は、にやりと笑って、空中に手をかざす。すると何もなかったはずのそこに、突如白い綿毛のようなふわふわしたものが現れた。
「胞子を可視化したのじゃ」
「そ、そんなことできるんですか」
「これくらい朝飯前じゃ」
 と自称千姫は得意げだ。
「そもそも普通の人間が500年も生きられるわけがなかろうが」
 ……いや、その辺の設定がいちばん怪しいんだけど。
 戸惑う僕をよそに
「なんだか疲れたのう」
 姫はこてんとテーブルに頭を預け、五秒と経たずにすうすうと寝息を立て始めた。
「さっき長い眠りから覚めたって言ってなかったっけ……?」
 なんというマイペースで危機感のないお姫さまだ。いやお姫さまというのは元来そういうものなのだろうか。そもそもほんとにこの子姫なのか。500年生きてて頭からキノコ生えてて胞子を撒き散らすってどんな姫さまだ。
 ……うん。もうやめよう。
 考えたところで理解できる気がまったくしない。さっきの胞子だって、手の込んだマジックか何がだろう。
 それよりこの人どうすればいいんだ。まさかずっと居座るつもりなのか……?
 起きているときはちょっと痛い人だが、改めて見るとやっぱりものすごい美少女だしスタイルも抜群だ。
 家に美少女がいる。しかも目の前で寝ている。だからといって何かする勇気など僕にあるはずはなく、でも目線を外することできず、その美しい寝顔にじっと見入った。
「う……ん」
 少女の細い腕がシーツの上で動き、その口が動く。
「ーーナオモリ……」
 ちいさく、けれど確かに、そう呟いた。閉じたその目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「え?」
 ナオモリ……? どこかで聞いたことのある名前だ。でも、なんだっけ。
 僕は引っかかりを覚えたまま静かに部屋を出た。
「千姫……ナオモリ……あっ!」
 思い出した。千姫といえば、大阪夏の陣の千姫事件だ。それに大きく関わっているのが、坂崎直盛である。
 五百年前、落城寸前の大阪城から千姫を助け出したことで有名な家臣だ。歴史にそれほど詳しいわけではないが、戦国ゲームのキャラで、名字が同じだったこともあり妙に親近感を覚えたのだった。
 ーーもしかして、この子、本当にあの、戦国時代の千姫なのか……?
 頭から毒キノコを生やしている姫など聞いたこともないが、すでにいろいろとおかしなことが起こりすぎているせいで、冷静に考える力をほとんど失っていた。

 翌朝。ぼんやりとベッドから起き出してリビングのドアを開けると、
「下僕が主より目覚めが遅いとは何事じゃ」
 千姫は怒っていた。まさに「ぷりぷり」という表現がふさわしい怒り方だった。
「すみません」
「うむ。速やかに朝食の支度をしたまえ」
 どうして人の家でこんなにでかい態度をとれるのだろう。まあ姫だし仕方ないか。僕はもういろいろと諦めかけていた。
 ありあわせの食材で朝食を用意した。
「美味い!こ、これはなんという代物じゃ」
 姫は感動にうち震えながら僕を見つめた。なんだかデジャヴだ。
「ハムエッグトーストですね」
「ほおおお……はむはむはむはむはむ」
 姫はトーストをかじりながら盛大に胞子を飛び散らせていた。よくよく目を凝らして見れば、ごく小さな粒子がふわふわ空中に浮いているのがわかる。胞子って目視できるものだっけ。いや、たぶん一般常識で考えてはだめなのだ。もっと思考を柔軟にしないと。
「何をジロジロ見ておるのじゃ変態!」
 ビュンッ、と空になった皿が飛んできて、僕は咄嗟に避けた。ガシャン、と後方で皿の割れる音。
 ああ……掃除が大変だ……。
「これくらい受け取れ」
「そんな無茶な……」
「直盛なら軽々とやってのけるがのう」
 直盛って誰だよ、と思い、昨日のことを思い出す。
「その直盛さんって……もしかして、坂崎直盛のことですか?」
「なんじゃ。己の先祖も知らんのか」
 姫は意外そうな顔を向けた。口のまわりに卵のかけらがついている。
「先祖?」
「坂崎家は代々家臣の家柄。つまり貴様は生まれ持っての下僕体質ということじゃ」
 となぜか自信満々に告げる姫君。
「そんなこと一言も聞いたことないけど……」
「両親とも本家から勘当されてとっくに縁を切っておるからな。だが血は続いておる」
「へえ……」
 なぜ彼女が僕より僕の家のことを知っているのか不明だが、なるほどな、と思わず納得してしまう。代々家臣の家柄。だから僕は生れながらにしてパシリ体質なのかもしれない。
 多くの人に慕われ尊敬されていた父親は、その性質を受け継いでいなかったようだけれど。
 ふと、気になった。
 その坂崎直盛という男は、千姫とはどういう関係だったのだろう。
 歴史上では、千姫を無理矢理連れ去った悪者として、最終的には殺されてしまう不幸な人物だけれど、そんな人を今でも慕っているというのも妙な話だ。
 謎は深まるばかりである。

「どうした我が下僕よ。なぜ全身ずぶ濡れなのじゃ。水浴びでもしておったのか。それとも川に飛び込みたい年頃か?」
 気づかれないよう、なるべく物音を立てずに浴室に直行しようという僕の密かなプランは、玄関のドアを開けた瞬間にあっさり崩壊した。なぜなら千姫が床に寝転がってピザを貪っていたからだいたからだ。頭のキノコだけがやけに元気に天井を向いている。ほんとうにコレが戦国時代の姫なのか、やはり疑わしいところである。
「……ほっといてください」
 僕はぶっきらぼうにそう言って、全身から水を滴らせながら姫の横を通り、まっすぐに浴室に向かった。
 水を被るのはいつものことだ。誰にでも潜在的に埋め込まれている性質はある。奴らは僕を見ると反射的に何かをかけずにはいられない性質なのだ。僕が生まれ持っての下僕体質であるのと同じように。
 とはいえ、僕だって一応思春期の男子なわけで、こんな情けない姿は、同じ年頃(本当の年齢は不明)の女の子にあまり見られたいものではなかった。
「あ。待て、そこは……」
 ガラリと浴室のドアを開けるとそこには、なぜかバスタオルに包まれた金髪美少女がいた。
「ふぇ?」
 金髪美少女は濡れた髪を拭く手を止め、目をぱちぱちと瞬かせて僕を見つめた。
 いますぐに扉を閉めるべきなのはわかる。でも目の前に開かれたもう一枚の扉……豊満なボディを前に、僕は石像のごとく固まってしまった。
「もしかして、祐一くんっ!?」
 金髪美少女がかけよってくる。その瞬間、はらり、とバスタオルが床に落ちた。
「あの……服を……」
 視界がぐるぐると回って、僕は倒れた。刺激が強すぎた。毒に関しては人間離れした耐性がある僕だが、女子の裸体にはほとんどゼロに等しい、というかゼロだった。
「祐一くん!? どうしたのっ!?」
「変態は放っておけ、珠姫よ」
 意識の端で、千姫の軽蔑に満ちた冷ややかな声が聞こえた。

 珠姫といえば、千姫の妹だ。これもまた例によって戦国姫ロワイアルで得た知識である。千姫、珠姫、勝姫、三姉妹の次女。ゲームの中では、姉妹が刀と銃を駆使して血みどろの戦いを繰り広げるという、なかなかエグい展開が繰り広げられる。
 しかしそれはあくまでゲームの話であって、いま僕の目の前で座っている美しい姉妹は武器など持っていないし、殺し合いどころかケンカすらしたことがないような仲よさげな雰囲気だった。
 もっとも、一般的な姉妹とはかけ離れすぎているけれど。
 珠姫は金髪のおかっぱ頭に黄色の着物を着たおっとり系美少女だった。そして頭には姉同様、大きな傘の黄色いキノコが生えている。黄色のベレー帽のように見えなくもないが、それは間違いなくタマゴテングダケだった。
 タマゴテングダケ。ドクツルタケに続く猛毒キノコ御三家のひとつで、コレラのような激しい嘔吐や腹痛を引き起こす。ふわっとした見た目のわりにじつは恐ろしい破壊力を持つ厄介なタイプだ。
「どうして姉妹そろって毒キノコなんだ……ですか?」
 戦国時代の姫を前にして、じつは代々家臣一族だったらしい僕は、つい敬語に直してしまう。
「毒キノコで死んだからじゃ」
 千姫はあっさりと物騒なことを言い放った。
「毒……ご冗談ですよね?」
「冗談でこんなことは言わん」
 唖然とした。それは、僕の知っている歴史とは、大きく違っていた。千姫は坂崎直盛によって城から連れ出されたが、殺されたわけじゃない。その後紆余曲折あってなかなか壮絶な人生を送っているけれど、70近くまで生きていたはずだ。
「史実とされているのは真っ赤な嘘じゃ」
 としかし、千姫はきっぱりとそう言い切った。
「わらわは十八のときに何者かに殺されたのじゃ。菓子に毒を盛られてな」
「菓子……」
 つぶやいて、はっとする。
「じゃ、じゃあ歴史に残っている千姫というのは、本当はいなかったことになるんですか?」
「厳密にはいたことになる。わらわの身がわりがな。相当好き勝手しておったようじゃが」
 千姫は憎々しげにつぶやいた。そういえば千姫には、夫の忠頼と別れてヤケになり、通りがかりのイケメンと遊びまくって飽きると井戸にポイしたという話も伝えられている。それが身がわりによるものだとしたら、たしかにひどい話だ。
「えっと……それじゃ、珠姫さまも?」
「ううん。わたしはお姉ちゃんがいなくなって悲しくて、自分で毒キノコを食べたの」
 珠姫は気恥ずかしそうにとんでもないことを告白した。
 どうやら重度のシスコンさんのようだ。というか妹は普通の喋り方なんだな。
「つまりじゃ」
 千姫がだんっ、と拳でテーブルを叩いた。その瞬間、興奮すると出てくるという胞子がぶわっと綿毛のように飛び散った。
「自分の仇は自分で討つ。わらわを殺した犯人をこの手で討つのじゃ!」
「わたしもお手伝いするね、お姉ちゃん!」
 呆気に取られた僕は、しばし考えてから口を開いた。
「……でもその人、死んでますよね? 五百年以上年前に」
「何度生まれ変わろうと同じじゃ。その邪悪な血は何百年経とうとその体を流れておる。その血を一滴残らず吸い上げてやるのがわらわの真の目的じゃ」
 何やら吸血鬼みたいなことを言いだした。
 が、気になることがあった。どうして千姫は、僕の前に現れたのか。
 千姫を毒殺した犯人は、坂崎直盛さんではないのか。
 だってそうでなければ、僕のところに化けて出てくる理由がないし……彼女たちは幽霊ではなくキノコなのだから「化ける」という表現が適切なのかはわからないけれど。そうだった場合、先祖である僕が彼女たちに殺されることになるのだろうか。それとも僕の知らない親戚の誰かを手にかけるつもりなのか。
 でも、それはないか、とも思う。根拠はないけれど、ただの勘にすぎないけれど。
 ーー直盛。
 震える小さな声。瞼に浮かぶ涙。
 自分を殺した男を、いまでもそんな風に呼べるとは思えない。
 坂崎直盛という男は、哀れな家臣だったはずだ。千姫に一目惚れし、陥落寸前の大阪城から千姫を助けだせば結婚させてやるという条件を鵜呑みにし、命からがらに千姫を助け出すも顔にひどい火傷を負ってしまい、千姫に君悪がられてこっぴどく振られてしまい、さらに千姫はさっさと別のイケメンと再婚してしまう。結果として彼は、千姫をさらった悪漢として殺されてしまうのだ。ひどい話だ。もっともこれも、本人の言うところでは「真っ赤な嘘」らしいけれど。
 だから、僕は彼がそんなことをするようには思えなかった。会ったこともない何百年も昔の人にそんなことを思うなんて、変な話ではあるけれど。
 千姫が語ったことは、筋が通っているようで、やっぱりわけのわからない話だった。自分を殺した犯人の先祖を見つけて、復讐するなんて。すでに五百年もの時が経ったいま、そんなことに意味があるのだろうか。
 それよりも。
 なにか、別の目的があるような気がした。まだ語られていない重要な何かが、その話のどこかに潜んでいる気がしたのだった。

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