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事業家はどこまでサイコパスになるべきなのか

こんにちは。ゆう(@matsu_marketer)と申します。

社内起業家として、新規事業の立ち上げを任されている事業家の卵である。仕事の内容はとても面白く、刺激的すぎる毎日なのだが、ふとした瞬間に考えてしまうことがある。

事業の成長を追い求める中で、自分はどこまで冷徹にならなければならないのか?どこまで感情を抑え込むべきなのか?と。

売上を上げること自体は、戦略を練り、効率を追求すれば形にしやすい。(これもこれで難しいのだが)

しかし、持続的な成長の土台であるPL(損益計算書)を築くには、単なる数字以上の覚悟が必要だと感じる機会が増えた。そして、その過程で、どうしても心のどこかに「事業家としての冷酷さ」と「孤独」を求められているように感じる。

この記事では、そんな事業家としての「悩み」や「葛藤」について、答えではなく、思考の断片を共有したいと思う。なぜなら、私もまた、この問題に対して確固たる解を持っているわけではないからだ。

どこまで効率を追求し、どこまで人に寄り添うべきか──そんな問いに対する答えは、状況やフェーズによって変わるはずである。

事業家の卵として、日々感じる小さな疑問や揺らぎの中に、自分だけではない共通の課題を見出してもらえたらと願っているし、ご意見やご経験をコメントやXの投稿でご教示いただけると嬉しいです。

ヒトの効率化と冷徹な判断

ヒトの効率化とは、言い換えれば「従業員が1時間にどれだけの売上を上げられるか」「その売上を上げるためのコストをどれだけ抑えられるか」という問いに答えることだ。

その答えを見つけるためには、売上は「アクション量 × 効率 × 単価」によって成り立つこと、コストの最小化もアクションの効率化が重要であることを理解すると良さそうに考えている。

そして効率とは、私は「世の中の流れ×商材の強さ × 社員のスキル/仕組み × 社員のやる気 」による相乗効果で成り立つと考えており、理想的には、「世の中に求められる良いサービスを、高いスキルとやる気を持った社員が提供する」組織体制を築き上げることだろう。

ここで考えさせられるのは、事業家としてどのように従業員に向き合うべきかということだ。冷徹さだけで接すれば、効率は上がるかもしれないが、モチベーションが下がるリスクもある。では、社員にどの程度寄り添うべきなのか?

冷徹な姿勢と温かい姿勢のバランス

ビジネスの世界では、「社員は家族ではない」という考えがよく語られる。家族的な温かみを持って社員を扱うことが組織に良い影響を与える場合もあれば、逆に距離感を保つべきとの意見もある。

現実には、家族的な親密さを持って育てた社員が、ある日突然退職してしまうことや、突然働けなくなるのは日常茶飯事であり、本質的に、誰がいつ欠けても回る組織にするということが事業家には求められている。つまり、冷徹な判断と温かい関与のバランスが、事業家としての成熟度を試すポイントであると考えている。

例えば、とあるアプローチでは「社員に対してドライであるべき」という考え方が提唱されている。

この考えは、事業家にとって楽な選択肢だと感じた。なぜなら個人の感情に左右されることなく、冷静にロジカルな判断を下すことで、効率的な業務環境を保つことができるし、1番正しい判断をすることができる。

しかし、ドライな姿勢は日本ぽいか?というとそうではないように感じる。特に大きな組織ではウェットな部分がとても重要視されているし、転職が当たり前になった中で、給与や成長以外の軸を提供するとすると、承認のような部分も要素に入ってくる気がする。だからこそ、冷徹であることと感情的な寄り添いの境界をどこに引くべきかが、事業家にとっての難問となると考えているのだ。

組織の強さと社員のつながり

しばしば「社員は家族である」という表現が使われるが、どうなのだろうか。社員は契約に基づき役務を提供するビジネス上のパートナーであり、感情的な関係性に依存するものではないのが前提にあるので、本質的には間違っているように感じる。

しかし、結びつきの強い組織が強い力を発揮するのもまた事実だ。結局のところ、強い組織とは「仕事のできる人材がモチベーションを高く持ち、成長していける環境」であり、事業家はその環境を維持するために冷徹でありながらも適度な温かさを持つことが求められるのではないか?と思ってくる。

サイコパスである必要はあるのか?

サイコパスを今回は「人の気持ちを考えず、自分にとっての合理で意思決定を続けること」と定義したのだが、サイコパスになるべきかどうか。それは、もしかすると事業のフェーズや成長ステージによって異なるのかもしれない。

具体的には「戦時」か「平時」か。

時には冷酷な判断が求められることもあるし、感情を抑えて進まねばならない瞬間もある。ただ、それが常態化するのは望ましいことではないとも感じる。理想は、冷徹さに頼らずとも組織が成長し続ける環境をつくることだろう。

色々書いてたものの、自分の中で、この問いにはまだ明確な答えがない。

ただ、なんとなくこの文章を書く中でまとまった思考を最後に書くとすると、仲間次第なのかもしれないと思った。

仲間というのは一度入れると基本的にはずっと続くものである。

人から与えれる場合もあるし、自分で見つけることもある。

その仲間がどういうタイプか?どうなって欲しいか?を長い時間軸で見た時にもしかしたら答えが出るのかもしれない。

一つ確実なのは、サイコパスにならないといけないというのはなさそうである。

サイコパスな意思決定ができる人が強く見える時もあるが、自分は自分の強みを活かすしかないのだから。

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