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昨日会社がつぶれて、今日から無職になったけど、こんなことで腐りたくないって話。

昨日、2021年3月31日。
フルリモート下の昼下がりに、全社員の出社命令が出た。
11時くらいにスラックで、夕方に来てね、って。
なんとなく、予想はしていた。経営状況は全く芳しくなく、その状況に愛想をつかしていて、私自身せっせと転職活動をしていたくらいだ。
今年初めてオフィスに出向いたら、弁護士バッジをつけた大人たちがぞろぞろといた。
予想するいちばんは、事業譲渡かと思っていたから本日づけで倒産・解雇と言われたときは、純粋に驚いた。
でも、まあそうだよな、とも納得している自分がいた。
ただし、本当に会社のキャッシュがないあまりに3月分の給与は振り込まれない、との話に2度目の驚きとそして初めての不安を感じた。

そして、一晩たった。
改めて、昨日の出来事を受けて自分が感じたことを振り返る。

衝撃や不安、納得以外に自分が感じたこと。
それは、自分がその会社で感じていた違和感、つまり、自分が大事にしたい信念や価値観ていうのは、決して間違ってなかったんだと思った。

違和感その1
「なんで働く仲間どうしで本音をぶつけ合えないの?
サービスをよくするために働くんじゃなくて、波風立てずに穏便に働くなんて絶対に違うはずなのに」

違和感その2
「枝葉の手法論ばかりがフィーチャーされすぎている。実はそこまで‘‘なにを‘‘やるかって大事なことではないんじゃないかな。本質的に大事なことは‘‘なぜ‘‘やるか?――心を動かす動機とか、愛とか――だったり、‘‘誰と‘‘やるかじゃないかな」

今の時代に「What」だけで人の心は動かない。
こうして考えると、自分にとって「心が動く」ていうのは大切みたい。

自分の信じる信念や価値観の輪郭がハッキリと確信がもてたとして、
だとしたら、どうして自分は感じた違和感を会社にぶつけることができなかったんだろうか?
これは、もはやタラレバでしかないけれど、会社や働く仲間にそれをぶつけいてたら、何か風向きが変わったこともあったのかもしれない。

なぜ、できなかったのか。
なぜ、ぶつけなかったのか。

私は、30歳を迎えるくらいまでは、かなり自己主張は激しめだったかと思う。
それこそ信念や向かっていきたい夢、ミッションに向けてじぶんごととして考えをもって、関わる仲間に情熱をもって伝えてきた、と思う。
時に対立することもあったけれど、信頼する仲間との活発な議論は非常にエクサイティングだった。


いつからか、仲間との「健全」な議論が折り合いのつかない溝が生まれてしまって。
それは、今思えば自分が成長した証なのかもしれないし、自分自身が変わったからなのかもしれない。
だから、とてもポジティブな「成長痛」的なやつだったのかもしれない。

ただ、大好きな仲間と一緒に同じ志に向かって進んでいけない、ていう事実に非常に傷つき、挫折を感じ、結果的に自信を失ってしまった。

だからこそ、自分の意見を対立があったとしてもおそれずに伝えることから逃げていた。

そんなことを悔やんでも会社は潰れてしまってるんだけど、新天地では絶対に誓おう。

もう、周りの目とかよくわからないものに恐れないこと。
自分の思う信念や想いを信じ続けること。
そして、そこからあふれる考えやことばをちゃんと伝えること。

ここを乗り越えたら、初めて、挫折から立ち直れるのかも。

さあ、4月が始まった。
なにはともあれ、楽しみだ。








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