大学院を卒業できなかった僕の話
大学院の卒業式の日、ぼくは自宅のベッドでスマホを見ていた。
スマホでTwitterを見ていると、タイムラインに卒業式関連の投稿がちらほら。
「ああ、今日卒業式なんだ」
そう他人事のように思ったことを記憶している。
いや、まさに他人事だったのだ。
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時間はおよそ半年前に遡る。8月の末だった。
修士2年生だったぼくは、大学院を退学している。
理由は、理系大学院生にありがちな精神疾患というやつだ。
学部のときのある出来事がきっかけでうつ状態になり、まともに研究も進められない期間が続いた。
思い出すのも恥ずかしいくらいの研究内容でなんとか学部を卒業し、大学院に進んでからも不調の波はぶり返し続けた。
診断名は「不安障害」。
特定の状況になる(考える)と極度に不安になり、頭痛がしたり身体が動かなくなったりする。
そこからいろいろあって、残り半年我慢すれば「最終学歴:大学院卒業」の輝かしいエンブレムを手に入れられたにもかかわらず大学院をやめた。
言うなれば、大学の事務棟で事務員さんに退学届を渡すのがぼくの卒業式だった。
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果たしてあのときの選択は正しかったのかと思いを馳せることもある。
僕は「学歴+半年間のしんどさ」よりも「自分の体調」を優先した。
それは、健康よりも大切なものは無いと思ったから。
間違った判断ではなかったと思っているし、同じ境遇でつらい中でも卒業できた人のことをとても尊敬している。
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コロナウイルスの影響で卒業式の実施が見直されるなど、開催に影響が出ているが、これを読んでくれた方にこれだけは伝えたい。
もし卒業式が開催されなかったとしても、「卒業したんだ」という事実は変わらない。すごいことだ。
もちろん卒業式があったほうがいいという意見はわかるが、本質はそこにはないはず。
子どもたちには、「課程を修了したんだぞ」「次のステップに進むんだぞ」と、胸を張って次に進んでほしい。
たとえそれが義務教育であっても、子どもたちは確実に素晴らしいことを成し遂げている。着実に成長している。
6年間も塾講師をして多くの中学生・高校生を見てきたから分かる。
ぼくにはそんなみんながとても眩しく見える。
このnoteを通して、ぼくのような”卒業”の形をとる人も一定数いることと、卒業式の有無にかかわらず卒業までたどり着いたことは素晴らしいという事実に目を向けてくれたら、とても嬉しい。
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