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【最終話】大学院を退学することにしました

遊戯王よろしくタイトルでネタバレしていますが、つい先日退学願を提出してきました。修士2年の8月末のことです。

退学願を提出

前回、退学願を取りに行ったところまではお話しましたが、もらったその翌日には先生に署名と印鑑をもらって提出できました。

あれ…自分ってこんな行動力あったっけ…?

と、即座に動けた自分にびっくりしています。

先生は、「残念だけど、キミがいろいろ考えて決めたんだろうから尊重しますよ」とのことで快諾してくださいました。(そもそも反対されるのは意味不明ですけどね!)

事務に退学願を持っていくときは若干の緊張がありましたが、提出はあっさりと終わりました。提出が終わって学内を歩いていると一歩ごとにじわり、じわり、と退学の実感がにじり寄ってきます。

ああ、もうここに来ることもほとんどないんだなあ…

学部入学時から約5年半在籍していた大学ですから、いろんな思い出があります。

入学して入ったサークルでは定期的にワーワー騒いだり。

同じ大学で、地元も一緒な彼女ができて数年間過ごしたり。(その後別れました笑)

実験のレポートが終わらなくて、寝ずに提出日の朝を迎えたり。

成績トップクラスの人しか入れないとされる研究室に配属が決まったり。

研究生活で心を病んでしまったり。

そして、まさかの退学を決意したり。

本当にいろいろなことがありました。泣くようなことではありませんが、そういう記憶に思いを馳せると感慨深いものがあります。

退学に際して、最初は親からこう言われました。

「院に入ってからの1年半はなんだったの」

大学院に進学してもずっと心の病と闘っていて、安定して通うことができていなかったぼく。

だからこの1年半は無駄だったのか。

ぼくはそうは思いません。この1年半は、ぼくの人生にとって無駄どころか最も意味のあった期間だといえるでしょう。

まさか自分がなると思っていなかった心の病にかかってしまったこと。

治すためには、自分と向き合う必要がありました。

就活での必要性もあって、「自分とはなにか」について考える時間が多くなりました。

自分はこういう人間で、こういうことがあったら嬉しい、こういうことがあったら悲しいなど、自分の特性について知りました。

こうして、「自分とは何か」をいままでよりも深く知ることができたこと。

自分を吐き出す意味も込めて、ブログを始めたこと。

そして、いま退学というかたちで大きな一歩を踏み出せたこと。

つらい時間のほうが多かったのはもちろんですが、そういう面も全部込みでこの1年半はとても意味のある、わたしの人生にとって重要な期間だったといえます。「もったいない」「意味がなかった」なんて、わたしは1ミリも思っていません。

8月のじっとりとした気候とは真逆の、とても涼やかな気持ちです。

最後のカウンセリング

8月中は大学のカウンセリングがお休みらしく、9月に入ってから約1ヶ月半ぶりにカウンセリングに行きましたが、それが最後となってしまいました。

会って最初に退学の旨を伝えたときはカウンセラーさんにとても驚かれました。この約半月の間に退学を決め、その手続をすでに済ませたことや、なぜそうするに至ったのかを詳しく話しました。カウンセラーさんは、ぼくの拙い言葉のひとつひとつに真摯に耳を傾けてくれました。最初は驚いていたカウンセラーさんも、ぼくが話し終えると

「病気のパニック的な考えじゃなくて、いまはどっしり構えて物事を考えることができているね」

と言ってくれました。

カウンセリングに通いはじめて半年以上。大学院をやめる以上、学生のみが利用できるカウンセリングはもう利用できません。この半年通い続けたカウンセリング、これが最後だと思うと途端に寂しさがこみ上げてきます。(ちょっと泣きそうになります) 寂しい気持ちはありましたが、いつかは来る別れ。

いつもぼくが研究室に復帰するための方法を一緒に考えてくれて、家の外に出るきっかけを与えてくれたカウンセラーさんに、ほんとうに感謝しています。お世話になりました。

もし、あなたが同じように大学(院)生で心の悩みがあるのなら、無料で利用できる学内のカウンセリングを気軽に利用してみることをオススメします。なにかが変わると思いますよ。

内定はどうなったのか

「大学院を2年目でやめる」と聞いたら気になるのは「内定がどうなるのか」ですよね。わたしも心配でいろいろネットで調べては見たものの…

「中退は通常『内定取消』になるもの」

という意見が多かったです。そりゃそうですよね、大学院を卒業すると見込んで内定を出しているわけですから。企業からしたら「期待を裏切られた」ととってもおかしくない行為です。こんな意見ばかりを見たら不安になります。特に不安障害で悩んでいるわたしにとって当然これはとてつもなく大きな不安です。

ではなぜ退学の一歩を踏み出せたのか。

前回の記事でも書きましたが、ポイントは3つあります。

●人事が「院卒」の肩書ではなくわたし自身を見てくれそう
●内定者の多様性が大きかったから「中退」もいけるのでは?という打算
●「もしダメでもまた就活すればいいや」と思えたこと

以上のように思えたから退学という行動に踏み出すことにしました。このままあと半年間、吐くほどの研究生活で苦しむことと、大学をやめて内定を取り消されることを天秤にかけ、やめることを選択しました。

そしてメールを出したのですが、前回の記事では内定先からの連絡で次のような対応でした。

「人事としては一緒に働きたいけど、上に聞いてみなきゃわからないから、一度話を聞かせてもらってもいいですか?」

そして、人事の方々と話をしてきました。

主にわたしが病気になった経緯、その間の生活、そして今の気持ちやモチベーションについてお話をさせていただきました。

その後2日後に電話が。

人事「では、まず結論から言わせていただきますと…」

ぼく「は、はい…(ドキドキ)」

人事「一緒に働いていただこうということになりました」

ぼく「本当ですか!ありがとうございます…!」

やりましたッ…!!内定は取り消しにならずにすみました!

ぼくの判断は正しかった。やはり、ぼく自身を見てくれる企業でした。

内定先は東証一部上場企業(いわゆる大企業)なのですが、わたしのような事例ははじめてとのことで、役員の判断が必要だったそうです。(…はじめての事例だったのは意外でしたが)

ここで内定をいただけたのは、不安材料をいっぱい抱えながらも勇気を出して行動に踏み切ったことが要因だと考えることにします。ここ最近でいちばん自分を褒めてあげた瞬間です。

今後、4月までは自分のやりたいことをやりながらマイペースにすごして、体調面も整えてしっかり働けるように備えていきたいと思います!

最後に

この記事、あるいはこのシリーズを読んでくださってありがとうございます。そのときそのときの気持ちをありのまま書いてきたシリーズなので、今になって読みかえすと自分でも「そんな気持ちだったんだ~」と再確認できます。

また、こんな鬱々とした学生の記録が延々書いてあるだけのものを読んでいただけるのは嬉しく思います。

ぼくがどのように苦しんだのか。どのように前へ向かっていったのか。

それらを詰め込んであるつもりです。これらが、同じ境遇にある学生にとって少しでも役に立てばと思い書いてきました。

ぼくはこれで晴れて大学院での病んだ生活とはおさらば。そして同時にこの連載も最終回です。

自分の人生を動かすのは、自分。

あなたの人生を決めるのは、あなた。


☆ご愛読いただきありがとうございました。
先生の次回作にご期待なさらないでください!(もう病みたくないので!)


・・・

その後、社会人デビューを果たしたぼくがどうなっていくのか。
それはこれからもnoteに書き続けます。
実をいうと、社会人になっても別の理由で苦戦することになってしまいます。そんなぼくの第2部に少しでも興味を持っていただけたら嬉しいです。

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