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1300年前。私のご先祖様は、どこで、何をしていたのだろう。

はてさて。私のご先祖様は何人いるのか?まず、自分に父と母がいて、その父と母にも、それぞれ父と母がいて、そして、さらに、まだまだ…って計算していくと、倍の倍の倍…って感じで、増えていく。一世代を30年として計算すると、43世代前の730年(奈良時代)には「8,796,093,022,208人!」ってことに…。お~いっ!8兆って!?と、そりゃ誰だってツッコミたくなりますよね。いろんな資料のデータを見ても、奈良時代の日本の人口は450万人程度となっている。この矛盾は…………はい、その通り。世代を遡るにつれ、あっちのご先祖様とこっちのご先祖様が重複しており、実は、ほとんどが重なっていて。…………と、書くのは簡単だけど。これをすごくシンプルに、しかもわかりやすく説明するのって、かなり難しいですよね。なんか、わかったようなわからんような、モヤモヤした気持ちが残ります、正直なところ。

で、結局、何人いるんでしょうかね?

なぜ今、このタイミングで、そんなことを?しかも1300年前って限定するのは…どうして?ですよね。

今年もやってくるんですよ、正倉院展の時期が。そして毎年、開催の3か月ほど前にオリエンがあり、告知ポスターなど広告コンペが行わます。コピーライターとして、このコンペに初めて参加したのが15年前。2008年だったかな。発注してくれた広告代理店も初めての参加。絶対に勝ち取るぞ!って。いや、もちろん。いつだってコンペは、絶対に勝ち取るぞ!なんですけど。いつも以上に、営業部門も、媒体部も、クリエイティブ局も、鼻息が荒く、何が何でも!!の必死モードでした。
まず、いろいろ調べました。正倉院宝物は、東大寺の重要な資財を保管する倉であった正倉院正倉に伝来した宝物群であること。シルクロードを渡ってきた外国製のものも多数あるが、近年の研究で多くは日本製ということもわかってきたこと。その歴史は、天平勝宝8歳(756)6月21日、聖武天皇の四十九日である七七忌に際して光明皇后が天皇遺愛の品を大仏に献納したことにはじまったこと。…などなど。
メインとなるポスターのキャッチフレーズ…300本以上は考えただろうか。なんせクリエイティブ局長が首を縦に振らない。もちろん私だけじゃなく、代理店のコピーライターも、プランナーも、アートディレクターも、営業や媒体の人にも書かせ、さらにご自身も考え、それでも納得いくものがなかったらしく、ビジュアルはどんどん進み、素晴らしいものが何案も仕上がっていくのに。結局、その局長が書いたキャッチをビジュアルにはめ込み、プレゼンとなり、コンペには勝利。なんだかなぁ…悔しいなぁ…と思いつつ、しかし当時は、予算が潤沢だった。メインのポスターだけでなく、それ以外の宝物のポスター、さらにタイポ原稿とよばれる、コピーだけのポスターも制作することになった。また考えた!しんどいけどチャンスじゃないか!!書いて書いて書いて…と苦闘する中、ふと思ったのが、「1300年前の当時、私の先祖も生きていたはずだよなぁ。どこで、何をしていたのかなぁ」だった。はい、ここに、つながるんです。

苦しんで苦しんで、やっと1本だけ採用され、B倍のポスターになったのが、このコピー。

2009年のTCCコピー年鑑に掲載

ここに辿り着くまで、なんやねん!?それ…ってコピーも死ぬほど書いた。古いMacブックのハードディスクには何百本ものコピーが保存されているはずだが、私の脳内には、ほとんど保存れておらず…というか、記憶から消去されてしまったようだ。唯一、思い出せたのは「1300年前、私は何をしていただろう。」というもの。ご先祖様の話と自分がごっちゃになり、時空を超えた訳わからんコピーだ。徹夜もしたし、サウナに泊まってカプセルホテルの中でも考え、精神的にもかなりキツく、身体もフラフラだったから、こんなの書いたのかな?

ここ数年、正倉院展のポスターにはキャッチフレーズがない。私が携わっていた頃には、オリエンシートに「ビジュアルとキャッチフレーズ」という指定があったと記憶しているが、今は「必要ならキャッチフレーズを」となっているらしい。果たして代理店や制作会社は、キャッチフレーズを入れた案をプレゼンしてるんだろうか?

※またまた、かなり久々の投稿となってしまった。1週間に1本ペースが、1か月に1本じゃないか。次は…う~~~~ん、善処いたします。


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