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2024年6月  金沢ひとり暮らし、終わります

立夏〜小満〜芒種

身も蓋も無いタイトルですが、夫がまもなく、帰国します。
3年〜5年続くと思われた金沢ひとり暮らしは、3か月半ほどで終わります。
金沢暮らしは、あと1か月ちょっとくらいは続くと思います。

詳しい理由は企業の問題なので最後まで書くことはできませんが、赴任先がとにかく大変な職場で、さまざまな問題が発生したからです。
私が「帰ってきてほしい」と言ったわけではありません。
夫は一時期かなり体調も崩しました。
夫は再度、東京の本社で働くことになりますが、なにぶんあちらに今、住まいがありません。
金沢でしばしの休養後、物件を探し、ふたりと2匹でふたたび東京近郊に戻ることになります。
GW明けくらいにものごとがダーッと動きました。

私の現在はといえば、もうじき広い駐車場にクルマを移せます。
ここ最近はマンションの駐車場からは怖くてクルマを出せないので、3日に一度、バッテリーが上がらないように悲しみのアイドリングをしながら、車内でduolingoなどをやっています。
もはや運転もできる気がしません。
かつてはこんな記事を書いたのに(ハンドルはひとりで握るのだ - 私は40代半ばにしてクルマの運転ができるようになった)。
私も「乗れば乗るほど自信がつく期」が終わって、「乗れば乗るほど怖くなる期」に入ってしまったのでしょう。

夫がこちらにいる間、もちろんクルマがあったほうが便利なので、とにかく夫といっしょに近場にたくさんごはんを食べにいくなど運転し、車庫入れをし、ぎりぎりまで練習しようと思います。
とはいえ、練習したところで、東京に戻ってクルマを運転する用事などなく、意味があるのかはわかりません。
今後帰省した時に父のクルマを運転するとか、父が免許を返納したらレンタカーを借りて動くとか、そういうことができるレベルになればいいな、と思っています。半分諦めていますが。
世界でいちばん可哀想なダイハツムーブコンテ2009年型。たぶんまたすぐ売ります。状態はとてもよいです。

姉に、白山さん(白山比咩神社)に連れて行ってもらいました
加賀一の宮駅。電車がまだあったら電車で来たかったなあ

想定3年以上あった金沢生活で、私はこんなことを期待していました。

・クルマの運転ができるようになる
・一人暮らしを楽しむ
・一人の時間を楽しんで創作などをする
・こちらに友達をつくる
・家族をつなぐ役割を果たす
・海や山を満喫する
・両親がさらに高齢になった時のための下準備をする
・いつかまた金沢で暮らすかもしれないので物件や土地をリサーチする
・こちらに特化した仕事ができたらする
・インスタやこのnoteに移住記を書いて、人に見てもらえるようにする

結論。ひとつもできませんでした。
長くいたとしても、たぶんできなかったのです。
Gや駐車場の問題はありましたが、とにかく一人で生きることが、ひとつも楽しくなかった。
夫がいないと、なーんにも面白くないのです。
軽い鬱状態なのか、毎朝胸の痛みで起きて、「今日1日が楽しい気がしない、一年後ここでこう暮らしているのがまったく想像できない」と思いながら過ごしていました。

人間は歳をとると、また、一度伴侶を得てしまうと、こんなに弱くなるものかと愕然としました。
それとも、私に志や夢がないからでしょうか。
もう私は、ひとり暮らしを楽しむことなど、まったくできない人間になっていました。
若いころは楽しくひとり暮らしをしていたのに、猫がいても、市内に家族がいても、何ひとつ楽しくなかった。

ありがたいことはたくさんあった。
たくさん人に助けてもらったし、金沢の人は優しかった。
でも、心安らぐ日は1日もなかった。
自分が3年後、このまま一人で暮らしているところが想像できない。ひとりでクルマを乗り回しているところとか。
想像できなさすぎることは、やっぱり起こらない運命なのだろうか。

結局最も成した実感があることといえば
「困難な引越しをやり遂げた」ことでしょうか

このひとり暮らしが、早期に終了するという見通しがついた数週間前から、老後のことをよく考えるようになりました。
夫が入院がちになったり、なんなら先に旅立ったら、私はどうするのだろうと。
私はたった、3か月間のひとり暮らしも、耐えられない人間になっていた。
きっといずれ私は、「寂しいオバケ」になるのだろうと。

何かに向かっていくパワーがどんどん減っていく老後、人間はひとりで生きていけるようにできていないのではないか?
この国の老人の大半がもはやひとり暮らしとなっている(!)が、子孫が増えてどんどん大家族になって一生を終えるのが自然な姿であるのならば、現実世界との乖離は恐ろしいものではないか。

私なら、土地に固執せず、子や孫が経済活動を営むために選んだ場所に喜んで移住する。だってそっちのほうが、人が生きていく場所なんだから。
(じゃあすべての過疎地は淘汰されていいのか、という話になるが、町づくりとはまた別の話として、個人の生き方として)
それか、やっぱり外であれ内であれ、身内であれ他人であれ、シェアして生きるのがまっとうな道ではないかと思うのです。
もちろん、ひとりが快適な人はたくさんいるし、自分にすべてを当てはめるような書き方ではありますが。

なかよくけんかしな。
この部屋、猫にとっての眺望は結局すごくよかったなあ

まだ何も総括できないし、かっこいい締め方などできるはずもないので、ひとまず、「金沢ひとり暮らし」をしばらく試みたことで、よかったことを挙げてみます。

・10年来、定期的に訪れる不眠(入眠困難、不眠恐怖)が治った。かなりの環境の変化でも入眠はできるようになった
・素晴らしいカウンセラーと医師、神田橋処方に出会えた
・私には、とことん、家族内での役割がなく、自分はやはり一族のオマケとしての人生を全うするのだとわかった
・金沢はすっかり「人があたたかい町」に変わっていた
・声をかけて気にしてくれる友人がいた。古い友人にも少し会えた
・ずっと東京に住んでいたよりも、人生で家族と過ごした時間の総量がわずかに増えた
・兄と少しコミュニケーションが取れた
・家族の現状を思い知り、美化することがなくなった。淡い付き合いのほうがよいとわかった
・Gが出る、出ないということが、根底の安心感にかかわることだとわかった
・ひとり暮らしは別に楽しくないし、家事の量が減ったからといって自由になんでも活動できるわけではない、気力や、安心感、明るい気持ちがなかったら、何もできないとわかった
・フリーランスで働くということが少しわかった
・みうらじゅんの話をきいていると、よく眠れる

これが本マガジンの最終回となり、メインは「呼吸と情景」に戻るかもしれません。

東京に戻ったら、また、本気で閉所恐怖に向き合って、ふたたびの自由を目指します
「そんなことにパワーを割いてたら、人生終わっちゃうよ、病気を受け入れよう」って言われたところで
それが私にとっていちばん大事なことだから
必ずしもゴリゴリ苦しむことばかりでもないと思うんだ

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