親ガチャは甘えなんて言わせない〜全員毒親〜

まともです。
今回は親ガチャや毒親について考えていきます。

======================
タイトルの通りである。
全員毒親なのだ。
なぜそう言い切れるか。人間は不完全な存在だからである。非合理的な部分も多い。
世の中に完璧な人などいないのだから、完璧な親などいるはずがない。
すべての親が何かしら毒、ハズレ要素を持っているのだ。

もし何の毒も欠点持っていない親や人がいたとしたら、今頃厚労省や他省庁がモデル化して力を入れて取り組んでいるだろう。それが行われていないということは、国の怠慢か対象者がいないかのどちらかである。

少し話の本筋とズレてしまったかもしれないが、現在議論となっている「親ガチャ」について私も発信していきたい。
ちなみに私は極端なハズレは引いていないと思う。ただアタリとも言えない。このあたりの話は次回以降沢山するはずである。
今回はあくまで親ガチャについて客観的に述べていきたい。

======================
親子関係はお酒みたいなものだという考えに至った。
親がアルコールで、子が飲む人である。
当然アルコールには度数がある。
同じように親の毒や欠点にも強弱がある。
そして、飲む側にも酒に強い、弱いがある。
子供にも困難な状況に強い弱いがある。
何より相性があるだろう。
少し私の話を挟むが、私はビールが飲めない。あの苦味がどうにも受け入れられないのだ。しかし、「仕事終わりの一杯が生きがい」という人や、「あの苦味がたまらない」という人もかなり多くいる。
私は世間一般に愛されているビールと相性が悪いのだ。 
これと同じことが親子関係でも起こるだろう。世間から見れば優れた親に見えるが、子供の生き方や特性からしたら合わない親もいる。

======================

ここまでが私の親子関係の基本的な理解である。
さらに考えていきたい。

======================
お酒に強い人もいれば、弱い人もいる。
両者はお互い理解しあえないだろう。お酒に弱い人は、お酒に強い人の感じる幸せが分からないし、反対に強い人は弱い人の辛さが分からない。
そんな中で、お酒に弱いと「このくらいで潰れるのか」、「情けない」という言葉がかけられることがある。これは何か。そうアルハラである。

これと全く同じ状況が「親ガチャは甘え」ではないだろうか。親ガチャに成功した人、あるいはハズレだったが、自身の努力で何とかした人が使っているように感じる。
親ガチャに当たった人、ハズレた人、ハズレでも克服した人は理解し合えない。なぜなら、親×子供×環境×その他諸々という果てしもないパターンがあり、全く同じ状況というのはないからだ。
そんな中での「親ガチャは甘え」という言葉は、上記アルハラと何か違うところがあるだろうか。

======================

最後に

お酒を飲む人には、嫌いな酒を飲まない、酔ってきたら飲むのを止める選択肢がある。
しかし、親子関係はどうだろうか。
経済的に自立するまで離れることは難しい。自分と合う親を選ぶこともできない。ある程度成熟して判断できるようにならないと正常な親だったか分からない。
この状況をガチャと言わずに何と言うのだろうか。
現在の社会で子供は親を拒否することが難しい。そんな中で、現実を憂う言葉なのではないか。
それぞれ状況が違う中で、他者の親子関係という閉鎖的な関係について、誰も口を挟む、判断することはできないはずである。
にもかかわらず起こる「親ガチャは甘え」説には理解を示すことができない。
まぁ現在親ガチャのハズレ認定の範囲が広がっているように思うこともあるが。
とりあえず、親ガチャに当たろうがハズれようが、他者の事情に審判的に首を突っ込まず、自身の望む人生のために歩みを止めないのが最善解だろう。

以上が親ガチャや毒親に関する個人的見解である。
次回おまけ的に、毒親の分類について考えていきたい。

======================

賛同、反論、関係ないことでも何でもお気軽にどうぞ。ここまで読んでいただきありがとうございました。

それではまた。