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白亜の断崖、セブン・シスターズ 4

セブン・シスターズへの日帰り旅行記も、今回で終わりです。

今回は、セブン・シスターズのバス停からイーストボーン駅に戻るバスの車窓からの風景と保養地として開発されたイーストボーンの街の紹介です。

これまでのセブン・シスターズ

白亜の断崖、セブン・シスターズ1

ロンドン・ヴィクトリア駅からの急行列車でセブン・シスターズの最寄り駅のイーストボーン駅に着きました。バスでセブン・シスターズ公園のバス停で降りて、観光案内所でトイレ休憩しました。

そこから、ゆっくりと歩き、白亜の断崖セブン・シスターズの全景が見える、対岸の丘、Seaford Headを目指します。

途中のフットパスで見かけた、フリントについてちょっと調べて書いています。

白亜の断崖、セブン・シスターズ2

ようやくセブン・シスターズの全景を見ました。Seaford Headの丘からの全景は、絶品です。堪能しました。

その丘を降りて、セブン・シスターズの石灰岩の崖に直接触るために、海岸をひたすら歩きました。

2つの丘の間を川が流れているのですが、橋がありませんでした。それで、意を決して川を歩いて渡りました。

1で、貝の化石に似たフリント(火打ち石)という石が、フットパスに転がっているという話を書きましたが、そのフリントが、石灰岩の中に埋まっている現物を見ることができました。

白亜の断崖、セブン・シスターズ3

セブン・シスターズの丘に登りました。そこからの眺望を楽しみ、その後、最初に着いたバス停まで草むらの中を歩いて帰りました。

バスの窓から

イーストボーン行きのバスが来たので、あまり考えずに乗り込みました。行きの路線番号は12番、帰りは13Xだったのです。

ゼミ生から、先生の口癖ですねとよく指摘されていた、「まぁ、いいか」と言いながら乗り込みました。

内心はドキドキしていたのですが、その心配は、杞憂きゆうに終わりました。

乗って大正解でした。

来た時のバスは、内陸部を最短時間の20分ほどで着いたのですが、正直、窓の外の風景は何も楽しめなかったのです。

帰りのバスは、セブン・シスターズ沿いを走るバスでした。遠回りだったので、時間は2倍以上もかかりましたが、窓の外の風景も2倍以上楽しめました。

セブン・シスターズの丘の上をウォーキング

下の写真は、セブン・シスターズの丘の一番左端の部分です。
見出し画像に使っている全景写真の右端の部分です。

バスの中からの撮影:セブン・シスターズの左端

絶壁のところに人がいるのが分かると思います。

ここを歩いている人のほとんどは軽装でした。足元も普通の街歩き風でした。近くの駐車場には、観光バスが何台も停まっていましたので、おそらく観光バスで来た人たちだと思います。

観光バス

セブン・シスターズの上をウォーキングする人たちは、ほとんどがキャラバンシューズを履いていました。健脚な老人が多いのには、びっくりしました。

日本でも、本当に元気な山歩きの60代、70代が多いのと同じですよね。

囲いこみの石垣

中国の万里の長城のミニ版のように見えるのは、石垣です。囲い込みの典型的な例です。

走っているバスの中からの撮影:囲い込みの石垣

16世紀に始まる囲い込み(エンクロージャ)運動では、地主たちは、石垣を積んで牧場を囲い込み、小作人たちを強制的に、あるいは、暴力を使って追い出したのです。

小作人たちからの小作料よりも、羊を飼って羊毛を売る方がずっと利益が上がったからです。その背後には、マニュファクチュア(工場制手工業)の登場によって羊毛工業が発展したという事情があります。

こういう石垣を見れるのは珍しいです。
現在では、生け垣か有刺鉄線で囲い込んでいるからです。

ということで、走るバスの窓から慌てて撮影しました。

エンゲルス終焉の地

イーストボーンの沖合は、エンゲルスの終焉の地です。というのは、エンゲルスは、遺言で遺灰をこのイーストボーンの沖合にいてほしいと頼んでいたからです。

それで、イーストボーンの町と港が見えたので慌てて撮影しました。

イースボーンの町と港:エンゲルスの終焉の地

2階建てバスの2階席の中央部分に座っており、そこから撮影しました。
前のお客さんのシルエットが映っています。

エンゲルスと聞いても、多分、ピンと来ない人が多いと思います。かれは、『資本論』を書いたマルクスの盟友です。私たち、団塊の世代前後の「若者」にとっては、マルクス・エンゲルスの本は必読書とまではいかなくても、まぁ、押さえておくべき本でした。

1970年代という、学生紛争の嵐はすでに通り過ぎた時代でもそうでした。

大学1年の時、たまたま知り合った3人で読書会をやろうということになりました。一人はクリスチャン、もうひとりは右翼の壮士っぽい男、そして、私の3人です。週1回だったと思うのですが、昼休みの時間を使って、大学近くの喫茶店で読書会をやりました。

私たちは、完全にノンポリ(nonpolitical )でした。セクトどころか、学生運動らしきものには完全にノータッチの男3人です。

それなのに、読書会で読んだ本は、F・エンゲルスの『空想から科学へ』、マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』なのです。読書会は、『共産党宣言』を読み終えて、『経済学・哲学草稿』か『ドイツ・イデオロギー』に進むかどうかという時に、授業値上げで学生紛争が再燃したことで、終わりになりました。

学生時代に本を読んだ縁で、何となく親近感をもっていたので、それでの撮影でした。

ノンポリは、英語の「nonpolitical(ノンポリティカル)の略で、政治運動に関心が無いこと、あるいは関心が無い人。そのような集団をノンポリ層とも呼ぶ。元は1960 - 70年代の日本の学生運動に参加しなかった学生を指す用語である。政治にまったく興味を持たなかった人だけではなく、政治問題に関心はあるものの、次第にセクト化・過激化していった学生運動を嫌い、特定の党派に属することを拒否した人々(ノンセクト・ラジカル)なども含まれていた。また、無党派の中の消極的無党派をノンポリと呼ぶことがある。「ノンポリ」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

保養地イーストボーン

にぎわっている街でした。以前は、海辺のさびれた村だったようです。以前のといっても、それは、19世紀のヴィクトリア朝以前のことです。日本の幕末ですね。

ヴィクトリア朝(1837-1901年)の時代に、リゾート地として開発したのは、7代デボンシャー公ウィリアム・キャヴェンディッシュです。

ロンドンからあまり遠くなく、何よりも海沿いの街で気候が温暖であったからだと思います。現在は、ロンドンから急行列車で1時間半ぐらいです。

熱海や箱根よりも近いような印象があります。

桟橋に至る遊歩道

ロンドンからの鉄道は、1849年5月に開通しています。
ちなみに、現在のイーストボーンの人口は、約10万人です。

路上演奏と女の子

リゾート地として計画された都市

このイーストボーンの街が、リゾートとして計画された街であることがはっきりと分かるのは、鉄道の駅と中心街が近いことです。

というのは、イギリスでは、多くの街は、19世紀に鉄道が開通する前に、すでに都市として発展していました。よって、中央駅は、街の中心部から遠く離れたところにあることが多いのです。

ここイーストボーンでは、駅の改札をでるとすぐに、各方面にいくバス停が道の両端にあり、そして、そのまま直進するとこの遊歩道に着くのです。まさに中心街と直結しています。

この遊歩道をまっすぐに進むと海に出て、観光名所である桟橋さんばし(Pier)に出ます。

海と桟橋

桟橋は、1866年から72年にかけてリゾー地開発の一環として作られたものです。この街の名所のひとつです。

砂浜とホテルやリゾートマンション

桟橋から撮影した海辺です。

写真右端の建物は、ホテルやリゾートマンションです。

桟橋

下の写真は、桟橋の突端に向けて歩いて近づいているところです。

桟橋
正面に見えるのが、桟橋の突端
桟橋の灯台

終わりに

ロンドンの自宅に帰宅したのは、午後11時過ぎでした。

ちなみに交通費は、列車代(ロンドン・ヴィクトリアからイーストボーンまでの往復2人)で16ポンド、バス代(イーストボーンからセブン・シスターズまでの往復)が3.5ポンドです。合計で20ポンド弱ですから、当時の相場で2人で3,000円ほどです。

実は、これは格安なのです。

その日に思い立って駅でチケットを購入すれば、週末だったので、120ポンド(18,000円)は、最低でもかかります。

日本ではいつ購入しようとあまり交通費は変わらないと思うのですが、イギリスでは、ネット社会になってからは、1ヶ月以上前に時間帯を考えながら購入すると格安で購入することができます。

16ポンドと120ポンドの列車運賃の差は、大きいですよね。
6倍以上の差です。これは、ネットを駆使した差、つまり、出来るだけ早くに予約し、格安な時間帯を選んだと結果なのです。

ということで、私たちのイギリス旅行は、格安の時間を選ぶので、いつも帰りが遅くなっていました。

このセブン・シスターズへの日帰り旅行で天候を気にしていたのは、1ヶ月以上前に価格が一番安い日の一番安い時間帯のチケットを購入していたからです。あらかじめ日時は決まっていたのです。
よって、雨だからといって旅行を取りやめる訳にはいかないのです。貧乏人の旅の宿命ですね。それが、面白さであり、妙味でもあります。

これで白亜の断崖:セブン・シスターズシリーズはお終いです。

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。


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