身辺雑記:オックスフォード大学で博士号を取得した友人について
クイーンのブライアン・メイが、60歳にして天体物理学の博士号を取得したということについて投稿しました。
博士号つながりで、今から30年近く前の思い出を書きたいと思います。
オックスフォード大学でPh.Dを取得したのに、大学の先生の道ではなく他の道を選んだ、大学院の後輩についてです。
在外研究先決定のために
私が勤めていた大学では、在職中に長期1年と短期半年の、計2回の在外研究が認められていました。国内留学でも国外留学でも可でした。
私の1回目の在外研究、つまり、長期留学は、1996年夏から翌97年の夏までの1年間でした。その数年前から学科主任からそろそろどうですかという打診があり、それで春休みや夏休みを使って、留学先を決める口実でヨーロッパ各地を旅行していました。
オックスフォードへ
イギリス各地の大学を見て回りました。オックスフォードにも行きました。
当時オックスフォード大学には、私たちのラテン語の先生が留学していました。博士論文を執筆するためです。先生といっても年齢で言えば、私よりも10歳ほど下の大学院の後輩です。ラテン語がよく出来たので、大学生や大学院生に混じって私も週1回、教えてもらっていたのです。読書会と同じですね。メンバーの中で大学教員は私ひとりで、そして、ラテン語の初学者も私ひとりでした。
ラテン語の文法を1時間、それから、キケロの『義務論』を読んでいました。私は、キケロの方はたんなるオブザーバーだったように思います。つまり、全然ついていけなかったからです。
彼は、『神の国』で有名な、古代末期の神学者アウグスティヌスの政治思想について研究していました。それで英語はもちろんのことラテン語も堪能でした。
オックスフォードでは、大学内をいろいろと案内してもらいました。まだデジカメの時代でもなく、当然のことながらスマートフォンもないので、当時の写真が全然ないのが残念です。
何と私たち夫婦は、彼が住む大学の寮に泊めてもらったのです。二人部屋で相方の人が留守だったので、「良かったら泊まりませんか」と言われ、お言葉に甘えて泊めさせてもらいました。
彼の話で印象的だったことは
結局、1泊2日、まる2日間も付き合ってくれました。
イギリスの大学や大学院生の事情についていろいろと教えてもらいました。興味深い話ばかりでしたが、一番びっくりしたのが、オックスフォード大学の大学院の博士課程に進み、博士の学位を取得しても、そのまま大学に残って学者になる人は、三分の一以下だという話でした。
英国で一番で、世界でも最高峰にランクされるオックスフォード大学で博士の学位を取得したのに、大学の先生になろうとしないのだそうです。日本ではまず考えられないことです。
では、残りの三分の二は、何になるのかというと、ジャーナリストになったり、政府機関で働いたり、国連職員になったり、実業界に就職するのだそうです。当然のことながら、日本以上に「学歴社会」なので、博士の学位を持っていると、日本とは違い最初から高い給料が保証されるそうです。
博士の学位を取得して就職した途端に、論文の指導をしてくれた大学教授の先生の給料を抜くことも稀ではないということでした。
「オックスフォード大学やケンブリッジ大学などの世界最高峰の大学院で博士の学位を取得したら、当然のように大学の先生になることが当然の人生と思っていた。その日本人としたら自明の前提が崩れた。だから、matoibaさん、すごく自由になりました」と話してくれたのが、とても印象に残っていました。
数年後ケンブリッジで
私の在外研究先は、ケンブリッジにしました。聴講したい先生が何人かいらっしゃったからです。
在外研究の終わりの方に、オックスフォードで泊めてくれた彼とほぼ同世代で、ケンブリッジ大学で同じく博士論文を執筆していた後輩の二人が、ケンブリッジの寓居に訪ねてきてくれました。
二人ともすでに博士論文は提出済みで、博士論文の審査会を待っていたのか、すでに済んでいたかでした。
イギリスの学問事情や博士論文の執筆についてなど、いろんな話に花が咲きました。何となく話の流れで、博士の学位取得後の計画を聞いてびっくり仰天しました。
オックスフォードで寮の部屋に泊めてくれた彼が、なんと帰国後、牧師さんになるために再び学校に行くというのです。
Ph.D取得者ですから、その学校の先生になるのかと思って聞いていたら、自分が牧師になるために、また、学生になるんですとニコニコしながら話してくれました。自分の耳を疑ったので、何度も聞き直しました。そのくらいびっくりしました。
数年前に会ってお喋りをした時のことを思い出していました。
オックスフォード大学で学んで、生き方が考え方が自由になったと言っていたことを。まさにそのまま実践しようとしていたのです。
博士の学位をとるためには、膨大な時間と労力とお金がかかります。それを軽々と打ち捨てて、家族を養えるほどには十分な給料ももらえない、牧師になる道を選ぼうとしていたのです。
そう、たった一度切りの人生だから、自分の好きなことをやりたい、と。
最後に
クイーンのブライアン・メイの生き方を見て、オックスフォードの彼と同じ匂いを感じました。
オックスフォードの彼は、帰国後、牧師になるための学校に行き、資格を取得し、今、ある教会の牧師として働いています。研究活動も続けているようで、ヨーロッパの学会での報告に行ってきますというメールをたまにもらいます。
ブライアン・メイは、オックスフォードと並ぶ、世界有数の大学の博士課程に在籍し、現に博士論文を執筆していました。それなのに音楽のために軽々と、その道を断念しているのです。メジャーデビューはしたものの、それでも売れるかどうかは分かりません。しかし、それでも好きな音楽をしたい、と。
ブライアン・メイも学問への情熱は捨てていず、音楽活動の傍ら研究活動を続け、60歳を前にして論文を完成させて、博士の学位をとったのです。
二人に共通するのは、自由に生きるということであり、それは、より安全な道よりも困難であっても好きなことをしたいということです。
かっこいいなぁと思うと同時に、その生き様にさっそうとした軽やかさ爽やかさを感じたのでした。
最後まで拙い文章につきあっていただき、ありがとうございました!
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