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私の休職日記22日目

 こんばんは!この日記を読んでくださっている方は休職中の方が多いのでしょうか。ゆっくり休めましたか?復職された方、元気にお仕事されている方、仕事でちょっとお疲れの方、今日も1日お疲れ様でした。

 私は昨日調子を崩したまま、今日もよく眠れず。寝付けないし、中途覚醒するし、早く起きた。しんどい。復職がますます不安になっていく。

 恒例の朝散歩へ行き、今日はおにぎり専門店で朝食をとった。前回行った時は満席だった人気店。今日も行列はしていたけれど、運良く席が空いていた。結構大きくて、1つでも満足感がある。ふんわり握られているけれど、食べても崩れなくて、美味しい。

 復職に関しては希望が通るかは分からないけれど、復職これで行く!と思ったはずなのに、診断書をもらった途端に不安とこれで良いのか?という終わりなき自問自答を再開してしまい、会社への連絡の手が止まる。連絡しないまま為末大氏の『諦める力』を読んで、自分は自分が生きるところを選ぼうとしているのか?それとも逃げているだけなのか?また内省。下記引用は印象に残った部分。

「人間に優劣はないが、能力に優劣はある」という割り切りがあるのだと思う。この「人間に優劣はない」とういことが信じられない限り、いくら能力の優劣を否定しても、幸福感は得られない。

競争から解放された人と、競争から逃げた人は違う。自分なりの幸せに気づいた人と、負けるのが嫌で競争を否定する人も違う。優劣はないと心底信じるためには、自分自身を徹底的に肯定できないと難しい。僕の感覚ではその自己肯定に至る作業はどんな競争よりも厳しいものだ。

為末大『諦める力』

 諦めることは明らめること、自分の能力や特性など現状を明らかにして、それでもその道を進むのか、戦略的に撤退して自分が勝てるフィールドを探していくのか。手段は諦めても目的は諦めない。
 そういった言葉を読みながら、自分の選択は逃げではないと言えるのか?考え込んだ。自分の幸せってなんだろう?目的は?自己認識力が低く、選択の経験もこの年齢にしては少ない中で、私の選択の精度はかなり悪いだろうと思う。
 けれど結局、選択の良し悪しは後にならないと分からない。今の自分なりの優先順位、価値観、幸せの基準に照らして選択していくしかない。諦観の境地に至りたい。

 午後にはまたサウナへ行った。この休職中で5回目。今日は初めて熱波を浴びた。凄い。想像以上に暑くて汗が出た。秋晴れの空の下、外気浴も気持ちよかったです。しかし外気浴って冬場はどうなるのか……だんだん適さないシーズンが近づいているようにも思う。でもサウナの本番のフィンランドの人は氷が張った湖にも飛び込んでいるし、サウナガチ勢は寒さなんて関係ないのかな。帰宅途中にはフィンランドは高福祉で幸福度も高いイメージだけど、実は自殺率は日本と同じくらい高いし、ストレス多いと人ってサウナ行きたくなるのかななんてとりとめのないことを考えていた。

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