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「人材育成」とはなにか。

リーダーが10人いれば、そのリーダーが行う「スタッフの育成の仕方」も10通りある。生まれながらのリーダーなんていないから、この育成方法自体も試行錯誤の結果なんだけど。

私は「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」タイプ。

谷底に突き落とすといっても、好き好んで誰かの背中を押しているわけではなく、「このままだと谷底に落ちるな~」と思っても手出しをしない。案の定、足元が崩れて落ちたとしても中途半端なところでロープを垂らしたりしない。落ちるところまで落ち、本人が這い上がってくるのをひたすら待つ。そのことでしか学べないことがたくさんあるし、上がってこれる能力があると基本的には信じているので、ただ上がってくるのを待つということ。

仕事の上でいくつかの選択肢があるとして、Aが茨の道だとわかっているけど、それを伝えたうえでも本人がAを選んだのなら、ただ見守る。また、別のBというチャンスがきたけど「やらない」とう決定をしたならそれでよしとする。もちろんそれって、組織として非常に非効率なこともある。だけど決断し、その責任を自分で取ることで人は成長するものだと思うから、致命傷にならない限りは基本的に本人の決断を一番重視する。

そうやって何度も谷底に落ちていくスタッフを見つめながら気付いたこと。
たとえばいつか、谷底に落ちた人がもう上がってこれない(上がりたくない)と思ったとしても、それはそれでよい。谷底にも会社がたくさんある。ここを辞めて、そっちの会社に入る選択肢はいつだってある。スケジュールもタスクも会社が決めて、決められたことだけをやればいい「代替可能な労働力」として働く方法。

それは「良い」とか「悪い」とか「勝ち」とか「負け」とかそういったことでは全くなく、「人生」と「仕事」の関係をどうとらえるかという個人の価値観の問題。最初に獅子の比喩を出したから「谷底の会社」なんて書いてるけど、逆の立場からしたら、こっちが「地獄の会社」であちらが「天国」ともいえるだろう。価値観はいつだって多様だ。自分たちの組織の価値観が絶対だなんて全く思わない。

だけど、人生を徹底的にカスタマイズしたい人のための組織があってもいいと思う。既存の組織の価値観と合わなくてせっかくの人材がスポイルされてしまう前に、その人たちがいられる場所をつくりたい。今の日本の社会では個人の価値観を最優先にしようとしたら多くの場合フリーランスになるしかない。だけど、フリーランスが背負うリスクはあまりに大きすぎる。「自己責任」という言葉で思考停止しすぎなことがこの社会は多すぎる。前提を疑い、本当にそうなのかを自分で実験するまで気が済まないので立ち上げたのがsyuz'gen(しゅつげん)の原点。

子供がいること、親の介護があること、そういう制約がマイナスではなく、人生経験としてプラスであることを肯定したい。

何かを諦めて生きている人は、無意識に他人にもそれを強いる。やりたいことができている人の足を猛烈に引っ張る。そうしないとあまりにも自分がみじめだから。被害者意識は、気が付くと誰かを加害することを肯定してしまうことがある。

syuz'genを経営してても「自分ひとりだったらフリーランスのほうが稼いでたし、他者の苦悶をこんなに背負って、そして組織内部の人をこんなに苦しませて、これが本当に私がやりたかったことなんだっけ」と全部白紙にしようかと思ったことも何万回もある。だけどいろいろなプロジェクトを通じ、スタッフの成長角度が上がる瞬間に立ち会って、また、必死で這い上がってくる姿を見て、今自分が諦めてどうするんだ、と思い直す。

この2年間で、私に「人材育成」はできないということも理解した。人は本質的に自ら成長したいという欲求があるんだと思う。

そのうえで、管理者として私にできることは、そのもともとあるはずの成長欲求を妨げる要因(それはその人の中にあったり、外にあったり)を、その人と一緒に、取り除く作業をすること。つまり成長のための「環境」を整えることなんだと思う。環境さえ整えば、人は自らすくすくと伸びていく。

それは私という他者が想像するよりももっともっとたくましい姿なんだと思う。

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