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苦痛

 苦痛が始まる。それは精神的な苦しみではなく、ダイレクトな肉体の痛みだ。
 僕が、これから味わう苦痛のことを思い憂鬱になっている一方で、妻は寧ろこれから妻自身が行う行為に対し、嬉々としている。わくわくしている。うきうきしている。
 鼻の、角栓と呼ばれる老廃物を、ピンセットのような金属製の器具を用いて取り除くのだ。その行為は最初、それがどんなものなのかの説明がなされぬまま行われた。痛い。あまりに痛い。激痛に耐えかね、妻の膝枕に頭部を預けながら、何度も顔を背けた。もう止めるよう催促しても、妻はそれを許さなかった。
 やがて、妻は僕に、スマートフォンでYouTubeの動画を見せた。鼻の角栓を、妻がやるのと殆ど同じ方法で除去する模様を撮影した動画だ。その、にょろにょろと、毛穴から出てくる黄土色の老廃物は、汚らしく、醜く、気持ちが悪いものだった。
 そんな動画を僕に見せつけ、妻は僕に対しこの行為の意義や必要性をアピールし訴えたかったのだろうが、僕はその行為に何の興味も抱かなかった。専用の器具を使って強い力で鼻を局所的に押し付けなければ現れないものなら、何もしなければ毛穴の中に隠れているのであって、それを除去しなかったところでそれは何も不潔なことではないと思った。というか、そんな理屈を抜きにしても、単純に、痛すぎるのだ。あまりに。
 その思いや考えを妻に伝えたが、妻はどうしても僕の鼻の角栓を除去したがる。僕が「もうしたくない」「やめてほしい」「いやだ」と拒んでも、妻はそれを認めず、それどころか、駄々をこねて僕の鼻の角栓を取りたいと言って聞かなかった。
 僕は降参した。妻を説得することは不可能だった。
 そうして、一ヶ月に一度という約束のもと、僕は今日も妻の膝を枕にするのだった。
 妻の膝に頭を乗せる前から、僕の憂鬱や、痛みへの恐怖は始まっている。僕は前回気づいたことを、取り敢えず実行した。
「鏡、取っていい?」
「うん」
 手鏡で、除去の様子を常に確認しながらだと、少しだが痛みが不思議と減り、幾らかましになる。おそらくだが、妻がいつどのタイミングで、鼻のどの部分を施術するのかを把握することで、痛みに対する覚悟のようなものができるためではないかと思っている。その仮説が正しいのかどうかはともかく、手鏡の有無は僕にとって大きい。
「あ、ちょっと待って」
 妻がいよいよ施術を始める直前、僕は妻を制止した。別に、少しでも苦痛の始まりを遅くしようなんていう無駄な目論見はない。僕は、無音のこの空間に、音楽を流したかった。音楽もまた、この苦痛を多少は和らげるためのものになる。 
 僕が選んだのはボブ・ディランの『追憶のハイウェイ61』だ。ディランの美声が、苦しみを緩和してくれる気がした。
「じゃ、始めまーす」
 遂に始まってしまった。心拍数が少し高まっているのは、恐怖のせいだろう。取り敢えず、手鏡は持っているし、ディランは歌っている。
 まずは、鼻ではなく、鼻以外の顔の部分である。顎にできた小さなニキビをピンセットで潰す。
 鏡に、ニキビに対してピンセットが押し込まれている様が映る。いつも通りなかなか痛い。今回は、少し血が出てしまった。「ごめんね」と言い、妻は慌ててティッシュでそれを拭いた。「いや、大丈夫」と、僕は妻の言葉に答えた。
 痛いのだが、こんな痛みは、鼻の角栓を取り除く作業に比べたら序の口だ。妻は、更にもう二箇所だけ、顔(額と頬)のニキビを潰したが、その二箇所は、血が出なかったし、やはり鼻の角栓に比べればまだ優しい方だった。
 すぐに前座は終わり、もはやメインアクトだ。
 ピンセットのような細長い金属だが、ピンセットと違い二又にわかれておらず、先端が、針金を小さく丸めて輪にしたような形をしている特殊な器具が、鏡に映る。それを見ただけで僕は嫌な気持ちになる。これから自分の身にふりかかる苦痛を連想するからだ。まず、小鼻の付け根が施術される。激痛とはこういう痛みを言うのだろう。痛みを必死に我慢する自分の顔が鏡に映っている。激痛は、一瞬ではない。数秒間の持続的な激痛が鼻の付け根に、燃えるように走る。その一方で、鼻の角栓が、確かに毛穴から排出されている。だから一体何だというのだ。こんなもの、放っておけば、無いのと一緒じゃないか。僕はそう思って少し怒りの感情を滲ませてしまうが、決して怒ってはいけない。痛みにより、おそらく否応なくアドレナリンだとかそういう脳内分泌物が出ている気がするが、以前、痛みによる怒りを隠しきれなかった僕に、「どうして怒ってるの?」と妻が腹を立て、それをきっかけに夫婦喧嘩が始まってしまったことがある。犬も食わないとされるそれを、僕は出来るだけ避けたい。
 次は鼻先だ。
 上から下へ、舐めるように器具の先っぽが移動する。本当に痛い。それが三回繰り返される。下の方からは角栓が出た。しかし上の方からはほんの少ししか出なかった。妻は、念入りに上の方に器具を押し付けた。さっきまでより強い力でだ。やめてくれ、と僕は強く思念する。出ないのなら、それで良いじゃないか、諦めてくれと心の中で懇願する。五回強めに押し付けた結果、妻はその場所を諦めた。最後の一回の激痛はまるで気が狂いそうだった。その時の僕の顔は、情けなく不自然に歪んでいた。鏡に映るその醜い顔は僕が実家で昔飼っていた猫の死顔に似ていた。老衰で餌もろくに食べれず、歩くこともままならなくなって死んだあの猫の最期は、とても苦しかったんだと思う。
 ディランは歌っている。美しく味わい深いはずのその声を、僕は今味わう余裕がない。妻の施術を受けながら、僕は拷問について思いを馳せる。かつて日本でも行われていたし、世界史に全く詳しくないがおそらく世界中で行われてきたのだろう。その忌々しい人間の所業を、僕は今リアルに想像できる。僕がもし、妻が今行っている方法で拷問されたら、秘密などいとも簡単に白状してしまうだろう。友達や仲間も裏切るだろう。親や兄弟はどうか。多少は耐えるだろうが、いずれ裏切ることになる。妻が毎月行っているこの拷問のような施術は毎回せいぜい十分間程度だが、これがもし一時間なら? 二時間なら? 三時間なら? 四時間、五時間、六時間、七時間、八時間、九時間、十時間、十一時間、十二時間なら? 秘密を隠し通すことはおろか、発狂せずに正気を保つのは不可能だと言い切れる。
 最初とは反対側の小鼻の付け根が今施術されている。鏡には、確かに角栓が排出されている様子が映っている。激痛に耐え続ける僕の瞳からは、今回もまた、いよいよ涙がこぼれ始めた。昔飼ってた猫の死顔のような情けない顔をして、自分の意思とは無関係に情けなくも涙を流す僕は、拷問についてイメージしながら、ただひたすらにこの施術が終わることを待っている。
「痛い?」妻が僕に尋ねる。
「うん」と僕は答えた。

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