見出し画像

Vol.15 視点ってどうしてる?

 子どもたちに対する視点も大切ですが、自分自身の視点ってどうしているかっていうメタ認知的な意味も込めた記事になっています。

 皆さんは例えば次のような話の時にどんなことを伝えますか?

遠足の帰り道のバスの中、Aさんは疲れて眠たかった
でも、Bさんたちがトランプをしていてうるさかった
Aさんは、
「疲れている人もいるんだから、静かにして」
Bさんたちは静かになりました。

作り話だよ

 (背景も何もないから、何も言えないよってなっても仕方ありませんが💦)
 結論や、展開は人それぞれだと思いますが、きっとAさんとBさんのそれぞれの立場の話は避けて通れないと思います。
 日常の場面でも、他者に対する視点を先生方は必ず伝えているはずです。

ですが・・

 自分のこととなるとこの他者に対する視点ってなくなっていませんかっていうお話です。管理職が話していることを、理由をつけてウザいといい、委員会からの通達はなんだこんなものと、もっともらしい理由をつけて自分の視点のみで論じる日々を過ごしていないかっていうことです。
 習慣というのは、積み重ねで出来上がっていきます。他者に対する視点を常にもって生活している人は、様々な視点から物事を考えたり、裏のことを読み取ったりすることが習慣となってきます。反対も然りです。
 
 この視点の話は学校ですと、「担任は学年主任の視点で、学年主任は、管理職の視点で物事を見るようにしてください」なんていう形で語られることがあると思います。これは、レベルが高いですがそう間違ったことではないと思います。学級の生徒だけを見ている視野と学年(せめて隣のクラス)を見ている視野では全く違うからです。自分の学級だけの視野ではいけないのは、これからの生徒たちのことを考えると「〜だけ見ていればいい」という視野ではいけないからです。視野を広げるその成長速度は人それぞれでいいですが、最大値へと持っていけるように教師側が思っていなければ成長は望めません。
 
 担任の人は、「学年主任レベルの視野なんて無理」って思うかもしれません。それでいいんです。大切なのは他者に対する視点なので、まずは、身近な人からスタートしていけばいいですし、3年目くらいの人でしたら、初任者はどういう視点なのかなって寄り添うだけでもかなり見え方が違ってくると思います。

まとめ

 この記事を書こうと思ったのは、あんまりいい理由ではありません。視野を最大限に狭める「怒り」です。怒りは基本的には「自分の思い通りにいかないとき」に湧いてきます。まさに、それが今日でした。
 でも、そういう時にはそういう時に必要な言葉に出会わせてくれました。
尊敬するXの一人である「平熱さん」のポストです。

まさに、他者に対する視点でした。
言葉は伝えるためにあるもの。言うだけなら、つぶやくとか、叫ぶと同じ。
視野を広げていこう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?