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「マタニティリープアンバサダーインタビュー」ブリンク祥代さん(さっちゃん)


こんにちは。マタニティリープの渡辺有貴です。マタニティリープの活動では、このコンセプトを広めるにあたって、アンバサダーという名前を使ってもらうことで、遠慮なく発信して応援してもらえる方々がいます。
今日はご自身も3人のお子さんを持ち、コーチングという天職に出逢いながら、マタニティリープの活動を応援してくださっているブリンク祥代さん(さっちゃん)のマタニティリープストーリーをお届けします。


一番下のお子さんと一緒に

結婚までのストーリー


――まずは、ご家族やこれまでどんなことをされてきたのか、聞かせてもらってもいいですか?

はい。日本に住むイギリス人の夫と10歳の双子の男の子と7歳の女の子がいます。大学に入るまでの半分ぐらいを海外で過ごしました。NYで生まれて、4歳の時に日本に来て、年中から中2までを日本で過ごしました。そこからイギリス、ロンドンのインターナショナルスクールでティーンエイジャー時代を過ごし、大学は日本に戻りました。仕事では、外資系金融機関に3社に勤めました。その間、シンガポール支店に転勤したり、スイスの老舗プライベートバンクの日本法人立ち上げなど、貴重な経験することができました。プライベートバンクのお客さんは年配の方が多い中、一回り以上離れた同僚達から、「旧姓さんは話聞くのが上手いよね。」と言われていたことが、後々コーチングを業にしようかな、と思ったきっかけの一つでした。

――旦那さんはどんな方ですか?
最後に転職した会社で激務の中、夫に出逢いました。根本的に体の疲れを改善しようとヨガを始めたんです。そこに偶然夫がいました。夫はたまたまイギリス人。社会人人生を日本で過ごしている人でした。いろんな意味で縁を感じることがありましたね。歳はわたしより7つ上で、夫は最初、子どもは欲しくないけど、おじいちゃんにはなりたいと思っていました(笑)。責任はないけど可愛がる立場がよかったみたいです。混沌とした世の中で21世紀の子ども達の将来を案じて、怖いなぁと思っていたようです。

――そうなんですね。さっちゃんはどうだったんですか?
わたしは実は、18歳の頃からママになりたかったんです。当時のボーイフレンドの家族の関係がとても素晴らしくて、こういう家族になりたいという憧れがありました。それに加えて、わたしは母性が強かったんだと思います。5歳離れた弟が生まれてすごく嬉しかったことを覚えています。ご飯をあげたりオムツを変えたり、ずっとお世話を焼いていました。どこにでも連れて行って自慢したり、学校から帰るとずっと一緒に遊んでいましたね。ママになりたいというのが小さい頃からありました。

子どもが生まれて、これまでのママのイメージが激変


――それでお子さんが生まれて、どう思いました?
子どもの頃は、赤ちゃんと言えば可愛い赤ちゃんのイメージを持っていました。当たり前ですよね。実は母が夜中にもお世話していたこととかは知らないわけですから。妊娠したのが双子で、44時間もかかって産んで、そこから授乳。寝れない。産むのがママになるということではなく、そこからがママのスタートだということを悟りました。そこから10年が経つという感じです。
子育て自体が日々尽きることないチャレンジですね。自分の理想としているママ像と自分が離れていることに驚愕します。特にこの5年ですね。マタニティリープだと出産した後のキャリアどうする?とか復帰どうする?というテーマが挙がりますが、わたしの場合は子育てが目下のテーマです。子ども達の自我が少しずつ出てきても、3−5歳までは何とかなったんです。むしろそこから先が大変でした。5歳以降の何を言っても言うことを聞かない時期の葛藤です。
そんな中、CTI(世界有数のコーチの養成機関)に出会いました。葛藤や悩み、家族とのコミュニケーションに、何かが違う、変えたいという強い思いがあって、コーチのトレーニングプログラムを受講することにしたんです。

職場でのアンコンシャスバイアス


――お子さんは自然な流れで3人授かったのですか?
妊娠はそれほど苦労はしなかったんです。二人とも年齢が高かったので、妊娠可能かどうかをチェックするためにクリニックには行きました。
妊娠中も双子だったのに、ギリギリまで働いて、7ヶ月で復帰しました。その頃のことを思い出すと、とてもアンハッピーだったと思います。ちょうど組織のトップが変わって、みんなが戦々恐々としていました。その時の上司はアンコンシャスバイアスがあって、良かれと思ってわたしをマミートラックに乗せた感じです。望んでいないのにです。妊娠を告げたら、これを機会に辞めたらどうですか?と言われました。復帰のタイミングを相談しようという面談で。前年女性の同僚が、同じようなハラスメントに遭って、人事に掛け合ったけど助けてはくれなかった。自分はそんなことをしてもどうしようもないと思って、色々言わなかったんです。

今思えば、子どもが赤ちゃんの頃に転職しておけばよかったんです。保育園に入れて復職したので、退職してしまったら、退園に追い込まれてしまうという恐怖から、退職もできない。その時の夫は、優しい言葉を掛けてくれるというよりも、「だったら辞めたら?」という感じでした。でも夫は収入が不安定な仕事のため、当時は余計に一人で背負い込んでいました。

そうこうしている内にコロナ禍になりました。ステイホームの時期は午前1-5時までしか寝れなかったんです。ずっとオンラインで、意識の半分が仕事、半分は横に子ども達、どうにか食材を調達して3食作る。心身ともに不調でした。その頃にコーチングに出逢って、いろいろトライしていきました。最終的には、息子達が1年生になった冬にその時の仕事は辞めました。希望とは掛け離れた部署に異動させられたり、意向と反することが多く、辞めることにしたんです。

コーチングとの出会いが転機に

ーーコーチングはどんなご縁で?
コーチングはずっと気になっていました。巷にそういう言葉があったのも知っていました。2018年、一番下の娘が2歳になる頃にファミリービジネスアドバイザーの資格を取ったんです。プライベートバンク時代から、ボランティアで家業を継いだ次世代経営者をサポートすることをやっていました。彼らと同じ立場で語ることは出来ないけれど、自分が付加価値を出せる貢献はないかな?と思い、金融の知識+人生に寄り添った支援ができないかと思っていました。そしてコーチングを主軸にしたい、と考えるようになりました。

コンサルではなくて、その人の生きたい人生を生きることを応援したかったんです。ファミリービジネスを継承するという運命を背負っている人が、その家に生まれたからではなく、自身と向き合って、納得して人生の選択をしていくことを応援したかったというのがあります。
わたしの母の家が曽祖父の時代から家業をやっていたというのがあって、小さな頃からそうした家業の様子が見えていたという背景があります。そのビジネスは今はもう上場して、専門的な経営がされていますが、そこに至るいろんな家族の話を聞いたこともきっかけでした。

子供は5人ぐらい欲しかった


ーーところで、お子さんは3人欲しかったのですか?

子どもは5人欲しかったんです。自分の性格から、1人だと入れ込みすぎちゃう。5人ぐらいいたら、わたしがあっぷあっぷで勝手に育つかなぁと思っていました。(笑)双子からのもう1人は、自然な流れです。子供が3人いるとファミリーの調和がとれるかなって直感的に思いました。夫は、えっ!?頭おかしい?という感じでしたが、結果的には娘が居ることで取れているバランスが確かにあって、生まれたことを一番喜んでくれています。こだわりとしては生まれてくるシーズンでした。双子は春生まれ、夫は夏、わたしは冬。季節毎に誕生日を祝いたくて、次の子は秋に生まれて欲しかった。ラッキーにも願い通り秋に生まれ、名前はずっと悩んでも思い付かず、出産日の数日前に夢で思い浮かんで名前を付けました。
振り返ると、ストレスフルな職場を去ったけれど、ストレスは無くなりませんでした。むしろ、そこから子育ての大変さが始まりました。家に居るので、つい頑張って子どもの事や家の事をやってしまいます。会社で仕事に集中していたら、子どもから離れている時間があるわけですが、子どもと居ると一生懸命にやってしまいます。コントロールできないことが膨らんで、ストレスを感じます。年齢的にも、言うこと聞かない、聞いてない、スルーする、ということが増え、子ども達にイライラしたり、時には怒りすら感じてしまいます。わたしは勉強はどうでもいいと思っているんです。勉強ができるかよりも、しつけ、片付けをきちんとするとか、食事のマナーとかが大事なんです。食事中でも立ち歩いたり、勉強中も座ってられずに遊びに行ってしまったり。3人いるので、常にもぐらたたきをしているような具合で、イライラが積もるわけです。上の二人が全然宿題が終わらない。そんな中で、下の子どもの受験もあったので、本当に大変でした。一番下の子は上二人と違う学校にいっていますが、学校によって宿題の量も違うんです。同じ家庭内で、それぞれの個性に寄り添って子育てする、というのが目下のチャレンジです。

これからの夢


ーー夢についてお伺いしてもいいですか?

夢については、日々忙しくあまり願ってこなかったですね。
コーチングを学んで、コーチとしてやっていきたいと思っています。ライフワークですね。回り道しているけど、それはずっとコンパスの先にあると思っています。
子どもには、海外と日本の両方のカルチャーを知ってもらいたいと思っています。どこかでは海外に行くのだろうなと思っています。なぜ今日本の小学校に子どもを通わせているかというと、日本の小学校にはいいところが沢山あるからです。ただ、コミュニケーションが日本語だけになっています。いろんな国のいろんな背景の人とコミュニケーションが取れることは、わたしの財産だと思っています。だから、子どもにも同じように、国内外誰とでもコミュニケーションが取れるようになって欲しいと思います。目の前だけではなく、世界に目を向けて欲しい。世界は大きいし、知らないことがいっぱいあるんだよって伝えたいです。最近の子どもは、SDGsが当たり前だから、きっと偏見のない、何か地球の大きなつながりみたいな意識は持ってくれるんじゃないでしょうか。

マタニティリープアンバサダーになって

ーーさっちゃんはマタニティリープのアンバサダーということで、今度出版する本やワークの一部を読んでもらったり、やってもらっています。そこから本について紹介してもらってもいいでしょうか?
ワークについては、リストを見て、惹かれるものをピックアップしてやってみました。全部をやろうとはせずに、気になるものをやってみたらいいと思いました。さすがコーチが作った本だと思いました。質問を投げ掛けられると、答えなきゃって思いますよね。すぐに答えられなくても、問いかけられているので、それが心に残っている。だからふと戻ってきたいと思うような本ですね。思ってもみなかったことを考えるきっかけになりました。例えば、夢について投げ掛けられる。夢は忘れていたなって思えたり、夢を見ていいんだって思えたり、いろんな展開が起きます。使い方も本人が自由に使える本ですね。だから、この本を持っていることで、本が提供してくれる価値が大きくなるのを感じます。

ーーアンバサダーについてもご興味がある方もいらっしゃると思うので、感じていることを教えてください。
ママになってからのつながりは、ほとんどが「ママ」です。職場でのランチもママとが多かった。ママという業種?というんでしょうか、それだけで打ち解けられる魔法なんじゃないかと思います。それぞれの考えは違うんだけど、「ママ」ということでつながることができる。そういう人たちと話せる機会は、常に嬉しいんです。単純に悩みを聞く、愚痴るでもよし、共有できる時間がとてもいいものです。アンバサダーをやっていて、こうやっているよと伝えられたり、興味を持ってくれる人がいます。そこからこの本が目指していることを話したり、お薦めできることが嬉しい。営業というのではなく、気になるママと話して、会話のきっかけとしてこのことが話せるのがいい。きっとその方が、その人も嬉しいと感じてくれると思います。嫌味なく、営業感みたいなものもないし、単純にアンバサダーがわたしのbeingの一部になってくれたら嬉しいなと感じています。
「マタニティリープ」という言葉を最初に聞いて、そこから何か連想するイメージがあって、ずっと気になっていました。今はそれに関われるのは嬉しいし、自分自身が目覚められるかなという感じがあります。何かがここから芽生えて欲しいという願いがあります。
アンバサダーとしての個人の夢は、これを海外に持っていきたいですね。色々大変なこともあるけれど、それでいていろんな気づきもある。子どもには怒るし、時に凹むし、でも愛している、好きだよっていう想いがある。相矛盾する気持ちの両方があるのがママです。子どもが自分の人生を広げてくれますよね。例えば、これまで全然興味もなかった恐竜とか、駒とか、街のサインとか、バレエですら。英語のmaternityというのはmotherhoodに近い言葉です。 お母さんになった人に紐づく言葉なんですね。だから妊娠出産前後限定ではなくて、10年経ってもmaternityですし、子どもの存在からリープしていくことは続いていくんですね。

ーー色々と聞かせていただいてありがとうございます。さっちゃんのこれまでの物語とマタニティリープとの出会いや本、アンバサダーのお話でした。
本の出版のクラファンは7月15日まで続いていきます。引き続き応援していただけると嬉しいです。応援してもらうことで、私たちも応援できるよう、発信していきたいと思います。


こちらが出版クラウドファンディングのサイトです。


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