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呪縛を解いたその先に

 2005年4月、味の素スタジアムで行われたFC東京-浦和レッズ戦。このゲームが僕にとって初めてのサッカー現地観戦でした。当時、ハンパなヨーロッパサッカーファン(しかも海外に行ったことすらないニワカ)だった自分は、それまで職場の友人と何度か観戦経験のあったカミさんに度々誘われても、おれは行かねえと都度断っておりました。それが、仕事の関係先からたまたまタダ券をいただいたのをきっかけに、味スタへ赴くことになったのです。

 だいたいこういう書き方をすると、のちに「滾るように熱い雰囲気の中、画面からは到底感じ得ないリアルな迫力を目のあたりにして、自分のサッカー観が180度変わった」みたいな流れになりそうなものですが、いただいたチケットがSS席というほぼテレビで観るのと変わらないビジョンだったせいか実際はむしろ微妙な印象で、遠巻きに見えるピッチやスタンドの様子を眺めながら「これどっちがホームチーム…?」と、どちらかと言えばレッズ側に気持ちが寄ってしまっておりました。今となっては本当に失敬な話です。でもそれは隣席にいた知らないおばさまが小声でずっと「(田中)達也!がんばれ!」と健気に応援していたのに多少感化されたからかもしれません。エメルソンと堀之内のゴールで勝利に沸くレッズの姿と、対照的に肩を落とす青赤の姿をそれぞれ一瞥しながら「まあこんなもんか」とクッソ生意気にスタジアムを後にしたことをなんとなく覚えています。

 それから早15年。石川ナオの一発で勝利した熊谷での天皇杯と、平山の神々しい姿が伝説になった国立でのホーム戦。僕はこの2つ、つまり味スタ・埼スタ以外の「イレギュラーな」スタジアムでしか、目の前でレッズに勝利した様を観たことがありません。直近の2019シーズンにしても、エンパテだったけど実質負けに等しいエンディングだった埼スタ、シーズン最重要の踏ん張りどころで不調のレッズ相手に勝ちきれなかった味スタ。埼スタでは「負けた」、味スタでは「勝てねえ」という、同じようでいて微妙に異なる感情をスルメのように噛み締めながら、何度も何度もスタジアムを後にしてきました。いちいち細かく書くとメチャクチャ長くなるので端折りますが、初めはあんなに非東京民だった僕でさえも、2005年のあの日から今日に至る紆余曲折の間に、レッズ戦に対する情念があまりに熟成されすぎて、それこそさんま熟れ鮨30年物のようにもはや原形すら留めないドロッドロのカオスに変化してきたわけです。もはや無に近い。

 思えばいつもの間にか僕も、一端の青赤サポとなりました。


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 そして2020年7月18日、僕にとって今季初めてのホームゲームは、MAX約50,000名の味の素スタジアムで上限5,000名という、超厳戒態勢の下で開催されました。奇しくもこの日の相手はあの浦和レッズ。約8か月ぶりの味スタ、しかもレッズ戦、どんだけ感慨深いことかと思いつつ現地に向かいましたが、しかし感慨よりもまず緊張感が先に立ちました。観戦前にカミさんと立ち寄った飲食店ではほぼ無言で飯を食いさっさと店を出、検問さながらの体温チェックをクリアしスタジアムのゲートを潜ると、スタンドは全席指定、2つまたは3つの席間隔でサポーター各々ディスタンスが確保され、マスク、消毒用アルコール、除菌シートは必須アイテム。そしてスキンシップはおろか会話も少ない静かなスタンド。加えてうちは家族であっても飲食物はシェアしないというマイルールも設けるなど。なぜなら「観客席」がわりとテレビや配信の画面に抜かれるから(事実何度も映ったことがある)。今「スタジアムに行く」というだけで怪訝な顔をし「おまえは社会に対し無責任なやつだ」とレッテル貼りする人もわりといそうな雰囲気の中、スタグルをシェアしている姿が画面に映ってしまおうものなら正義のシェア警察に特定され“タイホ”されるかもしれない。もちろんこの懸念は冗談ですが、もし実在したらなかなかに厄介でしょう。

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 さて、その肝心の試合はというと、終わってみれば2-0の快勝。積年のジンクスも破れる時は実にあっけないもんです。熟れ鮨も口にしてみれば意外にマイルド。食ったことないからあくまでも想像ですが。

 ただ試合後にネット等でいくつか見られた「現地で観れてないからなんか負けた気がしない」というレッズサポの反応や「せっかく勝てたのに思い切り喜べない」というモヤモヤした青赤サポの心情は、概ね僕にも理解できます。普段なら満員必至のカードが満員どころかスッカスカのスタンド、サポーターはマスク姿の東京サポ限定、大旗振りもチャントも手拍子もユルネバも禁止、ハイタッチも肩組みも禁止。許されるのは拍手のみ。これではせっかくのゴールや勝利がなんだか味気なく感じてしまうのもやむを得ないと。しかも勝利の相手は浦和レッズ。長年苦しんで苦しんで苦しんだ上にようやく手にした勝利のはずです。本来であれば試合後、青赤に染まったスタンドが「もう念仏とは言わせない」とばかりに抑揚のついた歓喜のユルネバを大合唱しながら、この日がロシア渡航前のラストゲームだった青赤の若大将を盛大に送り出し、その一方で反対側のスタンドは赤い横断幕を畳んでスゴスゴと撤退していたでしょう。そう考えると、今回の勝利ももまた「イレギュラーな」ものなのかもしれない、と。

 しかしCOVID-19はこれまでの文化や習慣、公衆衛生意識も全部ひっくるめて、既成概念を無理矢理ねじ曲げやがりました。僕はコイツのせいで、スーパーのレジ待ちで買い物カゴを地べたに置くようなおっさんを残念な目で見るケツの穴の小さい奴になってしまいました。そしてコイツが終息すればまたこれまでの日常が帰ってくるという甘い希望的観測にももはや与しません。新国立競技場の予定表は、おそらく来年も空白が目立つようになるでしょう。元に戻ればもちろんいい。しかしおそらく完全には戻らない。もしコイツが去ってもよりヤバい奴が現れないとも限らない。

 誤解を恐れずに言えば、例えばもし浦和が未だに「またあの熱い雰囲気が戻ってきさえすれば東京には負けない」という気持ちでいるなら、浦和はしばらく東京に勝てなくなるかもしれません。なぜなら、夥しい数の横断幕とフラッグがはためき、大勢の観衆が声を張り上げ歌い跳び跳ね、ゴールが決まれば歓喜に酔いしれ、酷いファールや不可解なジャッジには盛大なブーイングを送る、なんていう今まで当たり前だったスタンドの光景は、この先見られなくなるかもしれないから。むしろこれからは今回の試合のように、人目や音を気にしてたまに吐息を漏らしながら物陰でこっそりセックスをするような、抑圧された中でのスリルや緊張感と共に観戦することがスタンダードになるかもしれません。少なくとも来シーズンまでは。よく「サポーターは12番目の選手」というフレーズを目にしますが、スタンドで飛び跳ね声を嗄らすことで「自分もチームの一員として熱く戦った」という充足感を得ていた人は、残念ですが今後スタジアムからは徐々に遠のいていくでしょう。なので選手やクラブも、もうあの素晴らしかったスタンドの光景やかつての美しい思い出にすがることなく、経済的な意味でも、変化を受け入れプロ意識を持って粛々と戦っていかねばなりません。再開後のあの状況にあってもキチッと逆転優勝を果たしたレアル・マドリーのような、鋼のメンタリティと強靭な実行力を持って。

 そもそも、僕らの愛するクラブがいつだってそこにあるとは限らないのです。先日、フィリピンのセレス・ネグロスに所属していた小田原貴君のクラブ解散に関するツイートを見かけた時は、現実は本当にシビアだなと、改めて思い知らされました。アジア最高の舞台であるACL出場権を賭け、夢にまで見た味スタの舞台で、彼が小さい頃から “ずっと愛してきた” FC東京と真剣勝負をしたあの感動的な試合から、まだ半年しか経っていないというのに。

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 レギュラーだったことがイレギュラーになり、イレギュラーだったことがレギュラーになる。陳腐な例えですがまるでオセロです。これを機に、これまで当然とされてきた事象や価値観を一度メタ的に振り返った上で、この先を見据えて各々の認識をアップデートすることぐらいは、少なくともやっておかねばならないのでしょう。

 レッズに対する呪縛を解いたこの日の、あの異様なスタンドの光景で感じたあれこれを心に留めつつ整理しつつ、次回は拍手のタイミングや強弱によるピッチへの意思表示をどう工夫すれば良いか、個人的にはそんなことをぼんやりと考えています。それも、スタジアムに行けることが前提となるのですが。

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