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自然と人間

前回の話の続きになるが、ファーム生活を3ヶ月終えた後は、そこで出会った友達と2ヶ月弱のロードトリップが始まり、走行距離は約8000km。

この期間は毎日外で暮らすキャンプ生活。

雨の日も晴れの日も、寒い日も暑い日も外で料理し外でテントを張って寝るという、まさに憧れていた自然と共に生きる毎日が始まった。

オーストラリアの自然の多くからは、そこに人為的なものをほとんど感じず、長い年月をかけて自然が作り上げているからこそ、言葉を失うほどの美しさを感じると同時に、恐怖も感じる。

ここで感じる恐怖とは、自然の偉大さを全身で感じる時に訪れる死の恐怖であり、うまく説明できないが一つ例を挙げると、人の気配がなく、水がこれ以上ないほど澄んだ小川で泳ぐと、自分が水の中から得体の知れない何かに、食い殺されるのではないかと感じる動物本来の本能のようなものである。

この感覚は、今まで人が暮らしやすいように、人を第一に考えて作られた世界で生きてきた自分が一度も感じることのなかった感覚だ。

強いて言えば、渡豪する直前に沖縄県の西表島へ2泊旅行をした時に感じたものと少し似ている。自分が知らないだけで、日本にも美しい世界はたくさんあるのだろう。


そんなキャンプ生活を過ごすうちに、人間は人間にとって便利なもの、都合のいいものを求めすぎて、大切なものが見えなくなっているのではないかと感じることが多々あった。

大自然の中で生活していると、自分も動物であるのに何を背伸びして自分の欲を満たそうとして、本来必要のない物を過剰に求めているのだろうと、地に足をつけて生きることの大切さを教えてくれる。

一つ言えることは、アスファルトや高い建物に囲まれて生活していたら、どれだけ自然について多くを語っている映画やテレビ番組、ドキュメンタリーを観たとしても、自分が住んでいる「当たり前」の世界から飛び出さない限り、間違いなく気付くことはなかったのだろうと思う。


ただ、そんな自然の偉大さ、自然と共に生きる素晴らしさを感じながらも、バイトで毎週のように通っていた週末の夜の六本木の騒がしい空気が堪らなく恋しいと感じる自分がいることに矛盾を感じたりもするから、人間って本当に不思議な生き物だな〜と思う。

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