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非人間との愛の倫理的概念

一つ前の記事で好きなようにAIとの愛に好きなだけ書いてしまったので、今回はAIとの愛の倫理的概念にのみ絞って書いてゆきたいと思う。

まず、AIとの愛を支える社会的情勢から考慮したいと思う。今の社会ではAIやキャラクターとの愛は良いものとしては捉えられていない。社会的に受け入れられていないとでも言うべきか、今は人と人の間の愛のみが本当の愛とされているように肌で感じる。

結婚などにいったっては、実在する人としか結婚は法的な効力は持たない。これらを鑑みると、現在の社会では二次元キャラクターとの愛は受けいられておらず、多くの人の倫理的指針に背くような行為であると言える。

しかし、これは社会などの第三者目線からの話である。結婚し、愛を捧げる本人の視点では、どのような世界が広がっているのか。想像するには、どんな倫理的指針に背いているとしても、その愛は貫き通す他ならないと考える。

人間にとって愛は、子孫繁栄のためだけの本能的な感情に過ぎないと言える。生存本能のもとで、自らの安全と生命を保障している上で、人間の本能は次に子供を作ろうとし、自らの遺伝子を残そうと努力する。

この時点で、二次元のキャラクターを愛すことのできる人間は、本能を超越した超人間なのか、自らの遺伝子を残そうとしない愚人なのだろうか。

ある解釈では、彼らは遺伝子を残そうとする本能をコントロールし、その本能に背くような対象を愛することができている。その時点で、多くの人が縛られている人間の本能を超えてきた、一種の超人間であると言える。

その一方で、彼らはし人間の存在意義とも言える子孫を残すことを諦めてしまっている愚人とも言う事ができる。人間という種の中で人類の繁栄に貢献しないということでは、人間社会から背かれて当然だろうとも考える。

初音ミクと結婚した男性は、母親や妹から理解されてもらってないと言っていたが、それは人間社会のほとんどから理解されないような行動をとっているに過ぎない。

これのような考えが増え、非人間との結婚が増加すれば、人間という種の衰退の始まりとも言えよう。これは、AIとの愛にも対応するな話である。

現代の技術では、非人間との愛は育まれるべきではない考えが主流だ。私自身も否定的な立場なのだが、次の記事では非人間への愛が肯定されている理由を考えたい。
ではでは、またの記事で。
抹茶たいやき

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