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目的と、倫理性の天秤

とある目的を達成するためであれば、手段を選ぶ必要があるのか?

これは、リーダーや人としての資質、倫理性を問うために多く聞かれる質問だろう。

「たとえその行為が非難されるようなものでも、もたらした結果さえよければ、それでよいのである」

君主論 ニッコロマキァヴェッリ

そんな問いに対して、イタリアの外交官、マキァヴェッリが言ったように、結果が良ければ全て良いという思想は一般論的には不正解とされることが多いだろう。

しかし、人の上に立ち、民衆を導くような立場にあるリーダーなどは違うと説いたい。リーダーには、強くある義務がある。上が弱ければ、組織が弱くなってしまう。無論、卑劣な手段を行使しないのが理想ではあるが、そんな手を汚さずとも生きていける世の中でもない。

弱きものは喰われ、強きものは繁栄する。それが世の常ではあるが、進歩を遂げた現代社会でもそうだろう。階級社会が浸透し、資本主義のもとに立っている我々日本経済はもとより世界経済は弱肉強食の容赦ない世界なのだ。

そんな中、手段をゆっくりと吟味している余裕は多くの人にはない。それは、元からの強者のみに与えられた選択肢であり、そのような場合でも最善の手段とは到底限らない。

このような世の中であり、我々が生物として生きる上でどんな手段を行使しても目的に突き進む他ないだろう。


ではでは、またの記事で。
抹茶たいやき

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