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私は重篤な病に侵されているという自覚がある。

病名は『好奇心』

一度これが発症すると、とんでもなく厄介だ。

危険だろうと、恐怖の対象だろうと
好奇心はどこでも構わず、私を連れ回して
大変な目にあったり、あわなかったりする。

物理的に命の危険があった経験もある。

モンゴルの大草原で馬に乗って駆け巡りたい

これが突然発症した。
当時、馬に乗った経験は1度だけあって
乗馬クラブで30分ほどの体験みたいなものだ。

でも、なぜか私は妙な自信があって
日本語が話せるツアーガイドをつけて
内モンゴル自治区で乗馬三昧、の旅にでかけてしまった。

もちろん、一人である。

お世話になる宿の主人に無理を言って
馬だけ貸してくれ、一人で遊んでくるからと
大草原に繰り出してしまった。
(本当はガイドがつかないと、危ないので馬は貸してくれない)

本当に無謀だったと、今はわかる。

標識もない。
信号もない。
というか、道がない。

だだっぴろい、どこまでも続く草原。
地平線しか見えない。

地図?そんなものは役に立たない。
GPSとか無い。
コンパスも無い。

今から、20年くらい前の話だから
googleMapとかないし。

馬とわたしと大草原。

ただただ私は、これがしたかった!
という嬉しさに苛まれていて
全く危険とか頓着がなかった。

あの丘の向こうには何があるのか。

馬で大草原を駆け巡られたら
どんなに気持ちがいいだろうか。

そんな好奇心に突き動かされて
妙な自信に背中をおされて
内モンゴルの大平原で乗馬三昧。

さて、日が傾いてきたので帰りたい・・・

が、

ここはどこ?!
宿はどっち??

むー。

と、思いながら野生の勘で
とぼとぼ歩いていると
人影が見えた。

なんと、幸運なことに
CCTVの撮影隊がいたのだ。

集落がある場所はどっちかわかるか?
と聞いたら、
「あなたが歩いている方向の逆だよ」
と教えてくれた。

私の野生の勘に従っていたら遠ざかっていた。
(まぁ、帰り道を知っている人には出会えたということで)

そこから馬にゆられること数時間。
無事に宿まで生きて帰ってこれたのだ。

ほんと、あのままだったら
凍え死んでいていたかもと思うと気が遠くなる。

が、

あのアドベンチャーはやっぱりたまらんのだ。
大自然は本当に感動するし
命の危険を晒した時に発動する本能
野生の勘って確かにある。

好奇心だけを頼りに冒険する楽しさ、喜び。
これに勝る贅沢はない。

これは私が血気盛んな若かりし頃で
結婚して、家庭人になって
随分と保守的な生き方になった。

そこで得た貴重なものもたくさんあって
守りたいものもたくさん出来て
それに後悔はもちろんなないのだけど

好奇心という牙は抜かれたなぁと思ってしまう。

離婚して一人になって
また、好奇心と一緒に人生の旅に出られる。

この境地に至るまでには
生きたまま生皮を剥がされるような苦痛が伴った。

伴侶を失い、仕事を失い、人生の岐路に立たされ
自分を取り戻すまでに
1年かかった。

でも、また好奇心と一緒に冒険をしようと
したいと思えるまでに回復した。

やってみたい、と思えるビジネス領域が見えてきた。
やってみたい、と思えるチャレンジが浮かんできた。

よく、好きなものを仕事にしようってあるけど
それはそれでOKだけど

興味関心が向いてしまう事にも
仕事にしてみよう、仕事としてやってみたいと
思ってもいいように思う。

好きか嫌いかで判断すると
恐怖を感じる領域には進むことができない。
なぜならば、人は危険は嫌いで苦手で回避行動を取るから。

でも、好奇心は
恐怖を凌駕してしまう。

こわいけど、やってみたい。みてみたい。

押すなスイッチを
必ず押してしまう人種って存在する。

まさに、私がそうなのだ。
好奇心に抗えない。
テーマが見つかってしまったら、探求してみたいのだ。

というわけで、
キャリアチェンジをして
更にその先にある好奇心の向こうへ
探求をしたい領域があるのです。

この厄介な好奇心という病は
万人が発症すると人類はきっと滅亡するだろうから
押すなスイッチは必ず押す
って性格の人が発症するようになってるっぽい。

でもね、きっと誰の中にも
押すなスイッチ押してみたい!って瞬間や気持ちって
あると思うんですよ。

やっぱり、こわいからやめておこう、もOK。
知らない間に押してしまっていた、もOK。

ご縁があって、このNoteを読んでくださった方は
きっと後者でしょう(笑)

堅実に、今までの延長線上の成長で
満足ができれば
来月の家賃の心配をせずに済んだものを・・・
と苦笑いをしながら
私は今日も珈琲を飲む。

嗚呼、苦味ってうまいよな(笑)

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