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スペードのAをさがして #2.5 『峰くんはノンセクシャル』感想

はじめに

前回の『峰くんはノンセクシャル』あらすじ紹介に引き続き、今回は作品を読んだ私の個人的な感想についてつづっていきたいと思う。

あらすじについては前回のnote記事を参照してほしい。

すれ違う愛情表現の形

『峰くんはノンセクシャル』のストーリーの核をなすのは、主人公村井と峰くんの「わかりあえなさ」であると思う。

村井はキスもセックスもしないという条件で峰くんと付き合うことになるが、峰くんが話す、他者に対して恋愛感情は抱くが性的欲求は抱かないというノンセクシュアルの性質について、しっかりと飲み込めたわけではなかった。

峰くんと一緒に映画館に出かけた際には、思わず体をぴったりと寄せてしまい、「映画に集中したい」と苦言を呈される。さらに、初めてのお泊りイベントでは、その後の展開を期待してか、下着の柄に気を使い、「何も起こらなかった…」と落胆する。自分が積極的に迫れば、何か違う展開だったのではと考えている点から、その時点では、峰くんのノンセクシュアルの性質を自分の行動次第で覆せるのではないかと思っている節がある。

しかし、その後の峰くんとの対話を通して、村井は彼の考えを知り、自分なりに咀嚼していく。無意識に峰くんの逆鱗に触れないように努力する村井の姿はいっそ健気である。ただ、彼女にとっては身体的接触も愛情表現の一部であり、それらが制限される現状にはやるせない思いを抱いていた。

いつも通り二人でDVDを見ていたとき、峰くんは「村井はいつでも別れていいからね 俺は多分村井の欲しいものをあげられない」(Kindle版 33-34/50)と告げる。彼は、村井が抱えている不満をそれとなく感じ取っていたのだろう。そこで、村井は峰くんを試すように「一回だけ ぎゅってして キスして そしたら別れてあげる」と告げる。内心では、断ってくれればこれからも一緒にいられると願いながら。村井の思いとは裏腹に、二人の唇は重なってしまう。

村井が峰くんにキスを求めたのは、結局のところ、自分一人の意思では彼と共に居続ける決断ができなかったからだと思う。彼女は、想い人と手をつないで、キスをして、体を重ねる、そういった恋愛への憧憬を切り捨てることはできなかった。しかし、峰くんが自分を唯一の相手として求めてくれるなら、彼とずっと一緒にいられるのではないか、そう思って決断をゆだねたのかもしれない。彼女の言動は「どうせ別れるなら思い出作りとしてキスがしたい」という動機からくるものではなく、むしろ「峰くんが自分の願いをはねのけてまで一緒にいたいと願ってくれることを確かめたい」という願いから生じたものだと私は解釈した。

一方、峰くんは上記のセリフのように、村井が本当に望むような恋愛関係になれないことに引け目を感じていた。自分にとっての愛情表現は身体的接触ではない。このまま一緒にいても、互いに求めるものはすれ違ったままで、幸せになる未来は見えない。峰くんは村井の言葉を、自分を試す言葉として受け取ったのだろうか。それとも訣別の言葉そのものとして受け取ったのだろうか。いずれにせよ、峰くんはそれぞれが別々に幸せになる未来を選んだ。

村井も峰くんも、互いに自分にはない感覚を知ろうと歩み寄る努力をしていた。しかし、それぞれが信じる理想の恋愛の形は、交わることがなかった。恋愛に限らず、人と人が互いを理解し、一定の合意を求めるとき、大なり小なり妥協が必要になる。妥協はときに、我慢を生み、不満を生み、軋轢につながる。私には、『峰くんはノンセクシャル』が、ノンセクシュアルとヘテロセクシュアルのすれ違いというより、他者理解の難しさを語る物語であるように感じられた。

無理解と傲慢さ

SNS上で『峰くんはノンセクシャル』が公開されたとき、村井の行為は性的暴力にもあたるのではないかと紛糾したらしい。確かに、村井からすれば、心のけじめをつける行為であったとしても、峰くんからしてみれば、(キスとはいえ)性的行為の要求は、レイプ同然の行為と言えるだろう。

この場面には、村井のマジョリティゆえの傲慢さと根本的な無理解が表れているように感じられる。どれだけ峰くんから身体的接触が苦手であると聞いていたとしても、彼女は切迫したものとして受け止めることができなかった。わかっているようで、やはりわかりきれてはいなかったのだ。いつか自分の求める恋愛の形を実現できるのではないか。いつか峰くんとキスができるのではないか。いつか、いつか……。村井は自分の中の普通を捨てて峰くんを眼差すことができなかった。

また、村井はすくなからず、相手が変化することを求めていた。そして、相手の変化を期待することをあきらめるという決断も、自分の行動ではなく、相手の行動にゆだねた。それが、相手にとってどのように映るかまでは、彼女が思い至ることはなかった。変わるのは、動くのは、私ではなく、あなた。村井がこんなことを言ったわけではないが、彼女の言動の端々には、こうした姿勢があるように思えた。

「欠落じゃない」

村井と峰くんの恋が、徹頭徹尾悲劇であったかというと、そうでもない。彼らは、お互いのことがわからないなりにわかろうとしていた。その交流の中で生まれた笑顔や幸せは決して偽物ではなかったはずだ。

『峰くんはノンセクシャル』の中で最も私の印象に残った場面は、別れ際の村井が「何も峰くんは欠落なんてしてない だって 今の峰くんだから私は好きになったんだよ」(Kindle版 41/50)と告げる場面だ。この言葉は、物語中盤の「自分は普通の人と違っててそれは欠落なんじゃないかって」(Kindle版 23/50)という峰くんの一言へのアンサーである。

求める恋愛の形が異なったために、二人の道は分かたれたが、その別れは、どちらかが劣っていることを示しているわけではない。どちらの理想も尊くて、譲れなかったからこそ、別れたのである。このような私の解釈は、いささか好意的がすぎるだろうか。

余談

同人誌版の『峰くんはノンセクシャル』には、SNSに公開されたバージョンにはない作者のあとがきと、登場人物のその後を描いたページが存在する。

あとがきには、ノンセクシュアルといえど、悩みもそれぞれ異なり、身体的接触がどこまで許せるかも異なることが説明されている。「峰くんはノンセクシャル」だが、「ノンセクシャルが峰くん」ではないのだ。一つの作品で多様な性の在り方を網羅的に示すことは難しい。この説明があることそのものが、作者のセクシュアリティ表象に真摯に向き合おうとする姿勢を示している。

また、登場人物のその後のページには、峰くんがノンセクシュアルであることを疑ったり、しきりに峰くんとの交際をあきらめるようにつつく村井の友人も描かれている。このページを見ると、彼女の一見無神経な言動の背景を知ることができる。まあ、理由があるとは言えども、他人のセクシュアリティを勝手に判定することは許されないのだが…….。最後まで読むことによって、多少は物語の見方も変わるのではないだろうか。

おわりに

『峰くんはノンセクシャル』には、アウティング(他者のセクシュアリティを同意なしに外部に伝えること)や、前述した身体的接触の強要など、多少問題のある描写もみられるが、なかなか世間に注目されることのないノンセクシュアルという性的指向を描いた稀有な作品であると思う。特に、恋愛感情を抱くがゆえのノンセクシュアルの周囲とのすれ違いを、短い作品の中で丹念に描いている。

村井と峰くんの破局は、決してノンセクシュアルとヘテロセクシュアルが相いれないことを示しているわけではない。セクシュアリティの相違だけでなく、人と人として妥協しあえず、すれ違ってしまった結果が二人の破局である。誰かと共に居続けたいと願うとき、変化を迫られることもあるだろう。その変化は果たして受け入れてよいものか?あるいは他者に変化を強要できるのか?そんなことを考えさせられる作品だった。

伊咲ウタ先生は、この作品の後、恋愛感情も性的欲求も抱かないアセクシュアルを主題とした『きみのせかいに恋はない』(全6話)を発表している。折を見て、そちらの作品も紹介していきたい。

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