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【小説】ヴァン・フルールの飴売り 第1話

「また失踪事件が発生したそうだ!」
 一九〇五年、フランス、パリ。一人の記者が新聞社に駆け込んできてそう言うと、途端に社内はざわついた。
「またヴァン・フルールか……どうなってるんだ、あの町は」
「これまでの失踪事件、まだ犯人捕まってないんだろ?」
 他の記者たちがひそひそと囁き合う中、アンベール・フルニエは自分の机で一人考え込んでいた。机の上には過去に起こった連続少女失踪事件の資料が広げられている。
「アンベールさん? どうしたんですか、深刻そうな顔して」
 声のする方を向くと、相棒のウィリアム・ノアが不思議そうに立っている。彼は半年前に新聞社に入ってきた新人で、明るい茶髪と縁の厚い眼鏡、そして幼さが残る顔に広がったそばかすがチャームポイントだった。
「なんだ、ウィルか。噂話の盗み聞きだよ」
 アンベールは親しみを込めて、ウィリアムを「ウィル」という愛称で呼んでいた。
「ヴァン・フルールとかいう町の話ですよね? 一つの事件が社内でこれだけ話題になるなんて、珍しいですね」
 ウィリアムはコーヒーを二人分のカップに注ぎ、アンベールの机と向かいの自分の机に置いた。
「ありがとう。……ところでウィル、ヴァン・フルールってどの辺りにあったか分かるか?」
「え? 確かフランスの北東あたりで、パリから百三十キロは離れてたと思いますけど……この国の地理のことは、アメリカ出身の僕よりもアンベールさんの方がよくご存知なのでは? 確か、パリのご出身でしたよね?」
「ああ、そうだ。でも、俺はあまり調べたことが無いからなぁ……お前は記憶力が良いから、地図で見た町の位置を覚えてるんじゃないかと思ったんだ。ほら、ついこの間、失踪事件のニュースが入った時に地図見てただろ」
「アンベールさんの記憶力ほどじゃありません。そんな細かいことまで覚えてませんから」
「なるほど、そうかもしれないな」
 二人はカップを口に運びながら笑い合った。
「……ところで、アンベールさん。ヴァン・フルールってどんな町なんですか? どうして立て続けに人が……それも少女ばかりが、消えるんでしょうか」
「分からない。ただ分かっているのは、その町では五十年ほど前から少女の失踪が続いていて、未だに全員見つかっていないことだ」
 アンベールはコーヒーを飲み干して青い瞳を伏せた。一方、ウィリアムは少女の失踪が長年続いていたことに目を丸くした。
「え、そんな前から続いているんですか⁉︎ なら、町の警察がまだ真相に辿り着けていないのはおかしいんじゃ……」
「ウィルもそう思うよな? 俺もおかしいと思っていた。どうして警察がまだ解決できていないのか……それを突き止めたいんだ」
 アンベールは机の上の資料に目を通し始めた。
「もしかしたら、警察は既に真相に辿り着いているが、なにか公になってはまずい事情があって、町ぐるみで隠蔽している可能性も……」
「そ、それは無いと思いますよ。いくらミステリー小説がお好きでも、まさか現実にそんなこと……」
「確かにベタ過ぎるかもしれんが、可能性はゼロじゃないだろ?」
 アンベールは若干呆れ気味のウィリアムには目もくれず、椅子から立ち上がった。
「さてと……今から編集長に事件の担当許可をもらいに行ってくる。少し待っててくれ」
「え? あっ、はい!」
 去っていくアンベールの背中を見送りながら、ウィリアムは小さくため息を吐いた。

 アンベールは幼い頃から好奇心旺盛で、幽霊騒ぎや得体の知れない怪事件に興味があった。
 ある日、新聞で少女が立て続けに消えていく町の存在を知ると、彼は事件の裏に何か巨大な陰謀が隠されているのではないかと疑った。その疑念と、長年フランス中を騒がせている謎を解き明かしたいという好奇心が混じり合い、彼の足を新聞社へと運ばせたのだった。
 そんな彼とタッグを組むことになったのが、ウィリアムである。彼は社会の闇を暴く新聞記者に憧れを抱き入社したのだが、まさか自分の上司にこれ程までに振り回されるとは思っていなかっただろう。アンベールは事件の担当記者になると相棒と共に現場へ赴くが、そのたびに相棒を取り残し、自分一人でどんどん取材を進めてしまうのである。
 そのうえ、アンベールが担当する取材は例外なく危険と隣り合わせ。ついこの間「スプラッターホラーが売りのグランギニョール座で本当に人が殺害された」という噂の取材で劇場へ訪れた際は、なぜか強制的に劇を鑑賞することになり、降り注ぐ大量の血糊にウィリアムの意識が飛びそうになった。なんとか新聞社に戻ってきたが、彼はこの一件でアンベールと共に取材をするのが怖くなってしまった。
 きっと今回も、何かが起こるに違いない。しかし、だからといって上司を一人現場に向かわせる訳にもいかない。相棒として、上司と共に危険に立ち向かわなくてはならない……でもやっぱりやだ!
 ウィリアムが悶々としていると、アンベールが戻ってきた。
「編集長から許可が出た。さっそく行くぞ」
「は、はい! 承知しました!」ウィリアムは不安を拭い去るように頷いた。
 アンベールはロッカーからグレーのスーツを取り出して、袖を通し始めた。ウィリアムもグレーのベストを羽織り、ブラウンのスーツに袖を通した。
「ウィル、地図を持っていってくれ。あと財布も忘れるなよ」
「はいっ!」
 アンベールは早足で新聞社を後にする。ウィリアムも小走りで後ろに続く。
 春の正午の暖かい日差しに目を細めながら、二人の新聞記者はパリの大通りを歩いていった。

 目指すヴァン・フルールは、フランス北東部のシャンパーニュ=アルデンヌ地域圏にある。パリからは鉄道で行くことができるが、駅舎が存在しないため、最寄り駅のランスを経由する必要があった。
 二人はパリ東駅から急行列車に乗り、二時間ほど列車に揺られてランスに到着した。
「ここからは徒歩で向かおう」アンベールは地図を開いて言った。
「ランスからすぐ近くなんですね」
「ああ。あと数分で着く」
 二人はランス駅を出て歩き始めた。住宅街を抜けて郊外に出ると、ブドウ畑が一面に広がる。この辺りでシャンパンが生産されているためだ。
「……そういえば、俺もお前もヴァン・フルールに行くのは初めてだな」
 ブドウの甘い香りを嗅ぎながら、アンベールが言った。
「そうですね。あ……確か、僕の母が行ったことがあると言ってましたよ」
「へえ……お前の母さんが? 観光か?」
「はい。どうやら母もミステリーが好きだったようで……ミステリーツアーに参加したそうです」
「ミステリーツアーか……俺も行ってみたかったな」
 会話に花を咲かせながら歩いていると、前方に「ヴァン・フルール」と書かれた木の看板が見えてきた。
「ここだな。まずは、今回起こった事件について聞き込みをしよう」
「はい!」
 二人は木々の間を縫うように入っていった。

 町には穏やかな時間が流れていた。立ち並ぶ木組みの家々は、まるで絵本の中から飛び出したように可愛らしい。あちこちで聞こえる鳥のさえずりも相まって、二人をいっそう童話の中に迷い込んだ気分にさせた。
 しばらく住宅街を歩いていると、突然ウィリアムが立ち止まった。
「え……ちょ、ちょっと、アンベールさん!」
「どうした?」
「あれ、見てください……!」
 ウィリアムは目を見開き前方を指差している。
 住宅と住宅の間に、二メートルほどの掲示板がある。その板一面に、紙が貼られていた。
 ーー全て異なる少女の絵が描かれた、紙。
(これは……今まで失踪した少女たちの捜索願か? 五十……いや、百枚はあるぞ……)
 二人が掲示板に近づいてみると、少女の他に、成人している男性や女性の顔が描かれた捜索願も目に入った。
「ど、どういうことですかこれ……いなくなったのは少女だけじゃなかったんでしょうか……?」
「落ち着けウィル。近くの人に話を聞いてみよう」
 その時、誰かが二人に声を掛けてきた。
「なぁあんたら、ここらじゃ見かけない顔だが……こんな所で観光かい?」
 振り向くと、一人の老人が立っている。少し気難しそうな顔立ちだ。
「いえ、私たちは新聞社レポックの者です。この町で起きている事件について、取材させていただいているんです」
「新聞社? 取材?……やめとけ。今さら、何の解決にもなりゃあせん」
 老人はうんざりしたようにため息を吐いた。
「解決に、ならない……?」
「あんたらもこの張り紙見て分かっただろ。今までこの町でこれだけの人が消えてるんだ。女の子だけじゃなく、女の子を探しに出かけた人もな……その中には、わしの孫もおる。まだ小さい男の子だった。前まではわしも、いの一番に捜索に出かけてたさ。でもな、孫が……ヴィルジールがいなくなった時に気づいた。もうどうやっても、あの子たちは帰って来ないって」
 老人の声は、小さく震えていた。
「あぁ……『飴売り』さえいなければ!」
「飴売り……?」
 アンベールが訊くと、老人は掲示板に目を向けて答えた。
「……この子たちを連れ去った、人攫いのことだ。みんなそう呼んどる」

                  〈つづく〉

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