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死んだらかわいそうだから、飼うんじゃない。

Noteを始めて15日目。
今のところ連続投稿できていて、スキをしてもらえるとワクワク嬉しくて、楽しみが増えました。お読みいただいて、ありがとうございます。
そろそろ、noteでの方向性を考え始めているのですが、今日もフリーテーマのエッセイです。
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小学生くらいの時に、ミヤマクワガタを見つけて、飼うつもりで大事に持ち帰った時、母に言われた言葉が
「死んだらかわいそうだから、飼うんじゃない」である。
子ども心に、納得のいかないモヤモヤを抱えた。

その後も、犬を飼いたくなった時もそうだった。
「死んじゃうんだよ。かわいそうだよ。やめておこう。」
ペットの類で実際に飼ったことがあるのは、金魚くらいで結構長生きした覚えがあるが、その後どうなったかまでは覚えていない。
ちなみに、今流行の“毒親”とか、そういうわけではなく、母には母の考えがあっただけなんだろうと思う。

何が言いたいかというと、飼っても飼わなくても、どの道生き物は死んでしまうということ。そして私は子供のころから小さな生き物が好きだということ。
今もこうして、沢山のクワガタたちのお世話をしているのは、子どもの頃に抑圧された感情が今頃になって出てきたのだろうか。

天寿を全うして死んじゃったのなら、感謝して葬ってあげるほうが優しいのではないかと思っている。
クワガタの成虫が卵を残して死んでしまうのは、かわいそうなことではなく生物的には循環で自然の摂理である。
その死は、終焉を告げるものではなく次のフェーズに突入しただけ。
卵を残して親が死ぬ。その卵が次の年に孵る。この自然の素晴らしい奇跡の営みを感じられる体験を息子と共有することに、この上ない喜びを感じている私。

だが、母の気持ちもわからないでもない。
子どもが飼いたいと言っている生き物については、主に親がお世話することになるからだ。
子どもが三人もいて、共働きだった母。子どもの世話だけで、てんやわんやだったに違いない。
つまり、末っ子(私)の“生き物飼いたい”ニーズに応えることをしなかっただけ。私をなだめるために、死んじゃったらかわいそうといったのかもしれない。

その反動か、私はクワガタ採りが大好きで、シーズンにはケースの中は真っ黒だ。
16年前にレーシックで完全に矯正した良好な視力で、木陰で休むクワガタを見つけることができる。トラップも仕掛けたことはあるが、他の虫は好きではないので、もっぱら目視派である。

成虫が死んじゃったら、お墓を作ってあげることもあるが、ほとんどは土の中に潜ったままお逝きになるので、あえてそのままにして、卵が孵って幼虫たちが食べる土の養分へと循環させる。

私がケースで大事にゼリーを与え、愛でている行為が、なぜかわいそうなのか?

野生のクワガタ。
野生は危険がいっぱいだ。
小動物やカラスの餌になって命を落とすこともある。
息子に愛でられ、食料には困らない、雨に打たれることも風に吹きつけられることもない。メスもオスもいっぱいいる。
これの、どこがかわいそうなのか?
という持論を展開し私の影響を受けて、クワガタが大好きな息子はどんどんたくましく育っている。

卵も幼虫も大切に管理し、成虫になってまた立派な姿を見せてくれるのを、心待ちにしている。

私と息子を魅了して止まない、クワガタ達。
早く夏になって、ワイルド(野生)な成虫を探す散歩に出かけたい。
今年は車をミニバンにしたので、車中泊しながら夜の採集も楽しみである。

去年はマダニに噛まれたことがあったので、マダニ対策は念入りに。

以上、今日もクワガタが好きだという気持ちを、書きなぐりました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。



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