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宮沢賢治 やまなし 本質の解明 ④

 ここで、私が着目した箇所は、「にわかにぱっと明るくなり、日光の黄金は夢のように水の中に降ってきました。波からくる光の網が、底の白い岩の上で美しくゆらゆらのびたり縮んだりしました。泡や小さなごみからはまっすぐな影の棒が、斜めに水の中に並んで立ちました。」の部分です。初め、谷川は、「上の方や横の方は青く暗く鋼のように見えます。そのなめらかな天井を…」と描かれています。この描写を二つの描写を比較すると、明らかに谷川の中で何か大きな変化が生じたことが分かります。
 そして、この変化をきっかけに、魚の様子にも異変が表れてきます。谷川の変化が起きる前に、魚が上にのぼったり、下りてきたりしたのと同様に、変化後も魚は上にのぼり、またもどってくるのですが、この変化後の魚の様子が何やら不自然で不気味なのです。上へのぼる時には、「そこら中の黄金の光をまるっきりくちゃくちゃにしておまけに自分は鉄色に変に底光りして」とあり、下へもどってくる時には、「今度はゆっくり落ち着いて、ひれも尾も動かさずにただ水にだけ流されながらお口を輪のように円くしてやってきました。その影は黒くしずかに底の光の網をすべりました。」とあります。
 ここでまず気になるのは、「まるっきりくちゃくちゃにして」です。よく分からない言い方ですが、言葉のとおり素直に受けとるなら、魚は激しい動きを見せたということになります。それは暴れたのか、慌てたのか、いずれにしても普通の状態ではなさそうです。また、「鉄色に変に底光りして」という表現も、何か魚の体にも異変が起きていることを暗示しているように思えます。
 次に、「ひれも尾も動かさずにただ水にだけ流されながらお口を輪のように円くして」という描写です。いよいよここで不気味さが際立ってきます。上にのぼる時の異変が、魚にとってよくないものだとしたならば、この状態は魚の「死」または「瀕死」の状態と捉えられます。その事実を、兄は「お魚は…」と言って弟に告げようとしてしまったのかも知れません。ただ、宮沢賢治はその真実の告知をも「カワセミ」の捕食によって遮ってしまいます。
 ここでも、「クラムボン」のときと同様に、やはり兄だけは残酷な真実を知っていて、それを弟には告げないという構造が見てとれます。「クラムボン」は、誰なのかという主語の部分を隠したのに対し、「お魚」は、どうなったのかという述語にあたる部分を絶妙に隠しているのです。
 さらに、「お魚」の「死」についてより説得力を与えてしまう表現が、その色です。色について見ていくとここにも仕掛けがありました。お魚ははじめ「銀色の腹を」と表現され、谷川に変化が起きて「鉄色に変に底光り」と表現され、もどって来るときには「その影は黒く」と表現されます。銀色、鉄色、黒色を想像してみると、徐々にに輝きがなくなり色自体が暗くなっていきます。黒はやはり「死」を暗示します。ちなみに、カワセミに食べられる際には、「白」です。
 谷川に一体何が起きたのかについては、他の作品との関連で見ていくこととして、ここまでの論考で、兄のカニが背負う生の苦しみ、残酷な現実は重くのしかかっていることが作品から伝わってきました。

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