【無料】小説『またあした1』~ユーモア・ミステリー~|第6回|
「ここんとこ、笑ってないなあ」
というあなたに!
ユーモア小説 ケンちゃんシリーズ『またあした』を週1回ぐらいのペースで10週ほど連載します 第1回はこちら
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その四
ええっと、マスター。
この前は、どこまで話したっけ。そうそう、新藤さんの話だよな。
「どこから話せば、いいのか……」
あんとき新藤さんは、しばらく黙ったあと、カシラが事務所に来た夏の暑い日のことを話しはじめた。
そう。ぷいって姿を消した、あの日のことをね。
「あのあと、名古屋城のそばのホテルに連れて行かれた。そのホテルのパーラーでカシラから、お前に知恵ぇ貸してもらいたいんだがなぁ、と言われてな」
に新藤さんは、いえいえ、私に知恵なんてもんはありませんよって答えた。
けど服部さんは、それを聞き流して。
「いや。お前は、さっき若いもん相手に言ってただろ。一枚いちまい、相手の守りを根気強く剥がしていくんだってな」
「ええ、まあ」
「そこでだ。相談というのは、新藤に剥がして欲しい相手がいるんだ」
「そんな、冗談じゃないですよ」
驚いた新藤さんが、慌てて手を振って。
「あれは浅井に将棋を教えるために言ったんで、遊びの話じゃないですか」
「こっちも、冗談で頼んでるんじゃぁないんだ。手ぇ焼いて困ってるんだよ。だからこうやって、相談してるんじゃないか」
でもさ、そんな謎かけみたいな話をされても、何を頼まれてるのかも分からない。それで、新藤さんは困って。
「いったい全体、なんの話なんですか」って訊いたらしい。
まるで、オレが新藤さんに言ったみたいにね。
そんとき、カシラが新藤さんに相談しようとしてたのはさ、マスター。つまり、地上げの話だったわけよ。
帝国不動産ってあるだろう。
そう、財閥系の大手ね。その不動産屋が、三年前から名古屋の都心の再開発をやろうってんで、地上げをはじめてたらしいんだな。
名古屋のど真ん中を、一区画すっぽり地上げして。でっかいオフィスビルを二棟、それにホテルを建てようっていう筋書き。
なんつったかな、そうそう不動産ファンド。
ファンドなんだから、土地転がしじゃなくて、手数料収入で儲けるんだって。まあ、そんな面倒くさい話は、どうでもいいんだけど。
それでさ。その区画の中に、ややこしい雑居ビルがあったんだよ。
ビルのオーナーは台湾人で、一階で台湾料理の店をやってる。
二階には、フィリピンパブとスナック。三階がテレクラで。ええっと、四階にはサラ金が二つだったかな。
それで、いちばん上の五階には、台湾人のオーナー家族が住んでる。
つまり交渉相手にしたら手ごわそうな連中が、一階から五階まで縦にズラッと並んでるわけよ。はっはっはっ。
なかなか強力なラインナップだよな、笑っちゃうだろ。
もしプロ野球のピッチャーだったら、ニューヨーク・ヤンキースのクリーンアップ相手に投げた方が、まだラクかも知れねえ。そんな連中の相手するよりはさ。
いくら不動産会社っていっても、そのビルを地上げするのは、たしかにホネだろうね。
そういうわけで、とうぜん不動産屋はプロに頼むことにした。そう、うちのカシラにね。
この雑居ビルは、もともと服部さんの組のシマ内だし。二階のフィリピンパブとスナックからは、みかじめ料をとってた関係らしいんだ。
サラ金のうちの一社は、金主が不動産会社と同じ系列の財閥系の銀行ということでハナシがついた。
テレクラは、地元のチンピラがやってたんで。
「コラッ。こんなとこで勝手に店開きやがって。どかんかいッ」って一蹴。よそに移転させて、服部さんとこがお守りすることでケリをつけた。
もう一社のサラ金は関西系で、バックにうちらの同業がついてた。あれやこれやと、かなりうるさいことを言ってきたらしいけど、カシラんのとこの番頭格の山本さんが大阪まで何回も足を運んで、きれいにまとめたって。
ビルのオーナーの台湾人とも買収交渉がすすんでいて、近くまとまりそう。
やっぱ餅は餅屋でさ。うちらじゃなきゃ出来ない仕事ってのが、世間にはいっぱいあるわけよ。で、この雑居ビルは面倒だと思われてたけど、あらかた話がついたらしい。
じゃあ、問題ないじゃん。そう思うでしょ、マスター。
ところが、そうは簡単にはいかないんだな、これが。
不動産屋が地上げしたいのは、名古屋のど真ん中の大きなワン・ブロック。それが、だいたい四千五百坪なんだって。そのうち三千坪は、もともと帝国不動産系列のもん。まあ、財閥系の不動産屋だったら、あの辺にたいがい土地を持ってるよな。
残りの千五百坪の三分の一は、おんなじ系列の火災保険会社のビル。それに、やっぱ系列の運送会社の配送センターが五百坪ぐらいあって、このへんは話がついてる。だから、その分は地上げする必要はない。
身内なんだから、うちのオヤジと兄さんたちがハナシ決めるみたいなもんでさ。
不動産屋のハゲ親父と保険屋のスケベなおっさんが、どうせ錦あたりのクラブで一杯飲みながら。
「ひとつ、よろしく頼むわ」
「わかりました」でチョン、みたいな話だろ。
カシラんとこにきたのは、それ以外の五百坪ぐらい。そいつを「まとめてくれ」ってハナシだったんだよ。
雑居ビルの敷地は、八十坪ぐらいだったかな。それ以外に、敷地が広めの二階建ての家が一軒。この家については、何代か前から住んでる四十歳ぐらいの普通のサラリーマンでさ。
まあ、あんな街のど真ん中に住んでるんだから、そこんとこだけは普通じゃねえけどな。わりと早めに、すんなりカタがついたんだって。
その他は、ガソリンスタンドが一軒あって。これも移転するってことで話がまとまった。ガソリンスタンドってのも、いまどき儲かんないもんな。でも移転費用は、かなり払ったらしい。なんせスタンドってのは、地下にタンクがあるからね。移転先でも、また掘らなきゃいけないわけで、地下の工事ってのは、えらくカネがかかるらしいんだよ。
あとは、雑居ビルの隣にある、古くさい二階建ての店が一軒だけなんだけど。その店ってのが、大問題だったんだ。
「これが頭痛のタネなんだ」
あのカシラが、そう言ったらしい。
「新藤よぉ、お前さっき言ってただろ。一枚いちまい、相手の守りを根気強く剥がしていくんだって。この案件については、これまで二年半ぐらいかけて、一枚ずつていねいに剥がしてきたんだよ。それで、ようやくここまできた」
そこで大きく、ため息ついて。
「でもなぁ、最後の一枚が、どうしても剥がせないんだ」
服部さんが、珍しくコボしたそうだ。
その店ってのが、そう。
正解ッ。
なんと、尾張屋だったんだよ。
なッ、おっどろいただろ。マスター。
それ聞いたときに、マジで腰を抜かしかけて。もう、ネエさんの店の止まり木から、転げ落ちそうになった。
アタマん中じゃ、いきなり『仁義なき戦い』のテーマがかかって。
波がザッパーン、そこに東映の三角マークがドーン。
それから『ゴッド・ファーザー』のテーマが、がんがん鳴り響いて、テンションあがりまくりって状態。
まったくさ。そんなデカイ話だったら、なんでもっと前に教えといてくれねえんだよって。
そしたらネエさんが、オレの前にグラスを出してくれて。
ポンッと栓を抜くと。
「まあまあ、落ち着いて」
ビールを、注いでくれるわけ。
そういうのって、いいなあって思うんだ。なんていうのかな、間っつうか阿吽の呼吸つうか、大人な女の感じなんだよな。
それに比べてトモちゃんって、やっぱ若いせいか、そういうとこ全然ないんだよ。オレの気持ちがさ、伝わらないっていうかさあ。
えッ、そんなもん?
そんなもんかなあ、マスター。
あっ、ごめん。尾張屋の話だよな。
オレは、地上げってのを手伝ったことがないんで、知らなかったんだけど。うちらの業界で請けるときは、たいてい期限が切られてて。その時までに、まとめることができれば、成功報酬が入るらしいんだ。
で、この土地については、年末までに更地。つまり建物をぜんぶ壊して、空き地にして渡すのが条件。
でも、新藤さんがカシラから聞いたのが、八月のお盆過ぎ。オレが聞かされたのは、もう十月の下旬だろ。
しかも、それまで服部さんとこの連中がなんべん足を運んでも、きしめん屋は「うん」と言わなかったわけでさ。
いや、最初はえらく調子よく話がすすんでたんだって。
婆さんの息子。息子つっても、もう五十歳ぐらいらしいけど。そのオッサンと話し合いをすすめてたそうなんだよ。
尾張屋は、そんなに儲かってないし、息子もあんまり商売熱心ってタイプじゃない。だから、けっこう乗り気だった。
そこに、あの無愛想な嫁はんも加わって、かなりいい感じで話がすすんでた。
もう移転してまで、きしめん屋を続ける気はない。息子夫婦が口を揃えて言うんで、あとは金額の折り合いだけ。カシラんとこじゃ、そう踏んでたそうよ。
ところが、じゃあ土地の権利証とか印鑑。そう、実印とかって段になったら。
いや、それは婆さんが握っているので、って話になった。つまり、この土地の所有者ってのが、婆さんだったんだ。
それで、あの婆さんが出てきてから、この話がおかしくなった。
新藤さんの話じゃ、婆さんは、もう七十過ぎで耳が遠い。しかもボケてる。だから何度足を運んでも、なかなか話が前にすすまない。
おんなじところを、ぐるぐるぐるぐるまわるだけ。何度も会ってるのに、いつも、
「おみゃあさんは、どなた様でしたかなも」ってとこからはじまって。
「はあ、はあ。こないだウイロウをちょうでゃあした」となる。
でもな、誰もウイロウなんて持って行ってない。まあ、最初に挨拶に行ったときに、菓子折りぐらいは持ってったらしいけど。
そんな調子で、この春から話が一歩も前にすすまなくなったんだって。
しかたないから、婆さんはボケてるんだから代理人……ああ、後見人っていうの?
その手続きをしたらどうかって、カシラんとこが息子夫婦にすすめた。そしたら、
「うちのお義母さんは、ぜんぜんボケてなんかおらんよ。あんなもんはフリだがね」
あの無愛想な嫁はんが、キレたらしい。
「その証拠に、結婚して二十五年もたつのに、いまだにレジの鍵すら、私にも、実の息子のこの人にも渡さんもんね。いっつもレジの前に座って、お金勘定するのが趣味みたいな人だで。あんたら、あのお義母さんに騙されとるんだがねっ」
そんな話を聞かされて、ふと思った。
「でも、カシラんとこは、なんでテレクラのときみたいに脅さなかったんですかね」
「テレクラの経営者はチンピラ。きしめん屋は素っ堅気。ヘタに堅気を脅してたら、俺たちは生きていけない」
そう言うんだ、新藤さん。
「警察だって、チンピラを脅しても笑ってるだけだ。しかし堅気に泣き付かれたら、放ってはおけんだろ」
まあ、実際その通りなんだよな。県警のマル暴に言わせりゃ、
「ヤクザに人権なんかあるか」だもんな。
なに言いやがんだよ。いまどきパンチパーマなんかかけてる奴に、そんなこと言われたくねえよ。うちの組だって、パンチかけてんの瀬戸の兄さんぐらいだぜ。
マル暴の連中なんか、ヤクザ以上にヤクザで、アッタマ悪いくせにな。
まッ、そんなことはどうでもいいや。
話を戻すとさ。尾張屋ってのは十年ぐらい前まで、新栄の店に婆さんと息子夫婦、それに孫の男の子、そう真一くんが一緒に住んでたそうなんだ。
ところが、あの愛想のかけらもない嫁と婆さんの折り合いが悪くて。息子夫婦と孫は出て行っちゃって、野並の団地に住んでるんだって。それで、野並から通ってきて店を手伝ってる。つまりさ、あの店に住んでるのは婆さんだけなんだ。
「どうだ、ひとつ手伝ってくれ」
そうカシラから直々に頼まれた。
だけど、新藤さんとしては、そんな話を簡単に請けるわけにはいかない。服部さんが力を入れても前にすすまないものを、おいそれと請けられないよな。しかも期限が切られてるわけで時間もない。
だから、不動産なんていじったこともありませんし知識もないので、この話はなかったことにしてくださいって断った。
そしたらだよ、マスター。
服部さんが、テーブルに両手をついて。
「新藤よぉ、このとおりだ」
なんと、いきなり頭を下げた。
「俺を、男にしてくれないかッ」
カシラに頭を下げられちゃったら、さすがに断れない。それで断ったら、この世界から足洗わなきゃならないもんな。
「そういう話だったんだよ」
そのときのやり取りを思い出したらしく、新藤さんはフーッと大きなため息をついた。
そういやぁ、あの婆さん。最初に会ったとき、
「おみゃあさんは、どなた様でしたかなも」って言ってたわ、たしかに。だから、そんとき、この婆さんボケとるな、って思ったもん。
でも実際に相手してみると、ボケてるどころじゃない。えらい、こき使われてるもんな。
だから新藤さんにも、そう言ったのよ。
「絶対ボケてなんかないッスよ、あの婆さん」
だったら、なんでボケてるフリをしてるんだろうって、新藤さんは首をひねってるんだ。それが、よく分からんのだって。
でも、そんなこと訊かれてもさ。オレに分かるわけねえよな。
「ひょっとしたら、まだらボケかもしれないわね」
ネエさんは、自分のグラスにビールを注いで。
「私のおばあちゃんもそうだけど、なじみの人にはしっかり受け答えしてるのよ。でも、知らない人とか、普段と違う状況になると急にボケちゃう。そういうことって年寄りには、よくあるのよ」
たしかにな。そういや、うちの実家のそばの西澤の爺ちゃんも、そんな感じだったわ。
「ふうん。ばあさんって、どんな人なんだ」
新藤さんがグラスを置いた。
「ほかの人にとっては、どうだったか分からないけど、わたしにとっては、すごくいいおばあちゃんよ。とても可愛がってくれて。兄にも優しかったし、やっぱり年寄りって孫には甘いから」
それを聞いて、尾張屋の婆さんの孫のことを思い出してさ。
「そういやぁ、あの婆さんも孫の真一くんには、甘そうだったな」って思わず口にしたら。
「えっ、孫に会ったのか」
新藤さんが驚いた。
「俺のときは、大須へ週に一回だけだったのに。ケンちゃんは、あの婆さんにえらく気に入られてるんだな」
「ケンちゃんは、女のひとには気に入られるわよ。だって、愛嬌があるものね」
ネエさんが、そう言ってくれて。
「よく男は度胸、女は愛嬌っていうでしょ。でも女の側から言わせてもらえば、男のひとも愛嬌なのよ」
いや、ネエさんってホント大人なんだ。
まあ、それで金山で真一くんに会ったときの話をしたんだけどさ。
「ふーん、専門学校の学生か。これまで婆さんと息子夫婦としか話してなかったけど、いちど会うか」
というわけで、オレが真一くんに連絡をすることになったのよ。
つぎの日、野並の自宅に電話した。もちろん真一くんのケータイの番号なんて知らないから、新藤さんに家の電話番号を教えてもらってね。
やる気のないおっさんと無愛想なおばはんの夫婦が、出かけた後のほうがいいだろう、ってことで九時過ぎに電話すると。こっちの計算どおりに、真一くんが出た。
「ああどうも、きのうは」
なんて最初は、愛想よかったんだけど。
「でも、どうしてうちの電話番号を……」
「うん、お婆ちゃんに教えてもらったんだよ」
しょうがねえから、苦しい嘘をついた。
「ちょっと話があるんで、会いたいんだけど」
そう切り出すと、だんだん警戒しはじめた。
そりゃそうだよな。婆さんの知り合いとはいえ、きのう会ったばっかりの男がさ、専門学校の学生に話があるって。いったいどんな話だよって思うわな、フツー。
「今日は……、授業のあとアルバイトがあるから会えないんです」と言うわけよ。
「じゃあ明日は」
「明日もバイトが」
「じゃあ、明後日は」って、さらに詰めると。
「明後日は、バイトは休みです」
なんつったらいいのかな。このへんの感覚が、素人なんだよなあ。
堅気の人間って距離を測るじゃない。相手の気分とか出方を見てね。だからさ、話を決めんのに時間がかかっちゃう。
でもオレたちは、そんなまどろっこしいことはしないわけ。ここはひとつ攻めてもOKって相手には、ドンドン攻めちゃう。だから、地上げなんて堅気には時間のかかる仕事が、うちらのとこにくるわけでさ。
えッ、トモちゃん?
トモちゃんは、ぜんぜん話が違うでしょ、マスター。
ガンガン攻めて、ソッコーアウトだったら、誰がケツ持ってくれんのよ。
やっぱ、そこは新藤さんにならってさ。手間かけて一枚いちまい、ていねいに剥がしていくしかないでしょ。
また逸れちゃったけど、話を戻すとさ。
真一くんの学校は、こないだ会った金山の店から歩いて、五分もかからない場所らしいんだ。
で、その専門学校のそばのスワンって喫茶店で、待ち合わせることにした。こっちのケータイの番号を教えておいて。授業が終わったら、掛けてもらうことにしてね。
(つづく)
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