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【美術展2024#79】田名網敬一 記憶の冒険@国立新美術館

会期:2024年8月7日(水)~11月11日(月)

近年、急速に再評価が進む日本人アーティスト、田名網敬一。武蔵野美術大学在学中にデザイナーとしてキャリアをスタートさせ、1975年には日本版月刊『PLAYBOY』の初代アートディレクターを務めるなど、雑誌や広告を主な舞台に日本のアンダーグラウンドなアートシーンを牽引してきました。その一方で、1960年代よりデザイナーとして培った方法論、技術を駆使し、現在に至るまで絵画、コラージュ、立体作品、アニメーション、実験映像、インスタレーションなど、ジャンルや既存のルールに捉われることなく精力的に制作を続け、美術史の文脈にとって重要な爪痕を残してきました。 本展は、現代的アーティスト像のロールモデルとも呼べる田名網の60年以上にわたる創作活動に、初公開の最新作を含む膨大な作品数で迫る、初の大規模回顧展です。

国立新美術館


今年の夏の注目の展覧会が始まったなあ、なんて思っていた開会直後に訃報を聞いた8月上旬。
早く行かなければと思いながらもなかなかタイミングが合わず、会期終了も近づいてきた10月下旬にようやく都合がついた。


金魚のバルーンが美術館を見つめる。
今となっては作家本人の魂が乗り移って来館者を迎え入れているようにも見える。


会場に入ると大きな屏風と橋を象ったインスタレーションが来場者を出迎える。

《A Hundred Bridges 百橋図》 2024

橋にはプロジェクションマッピングが投影される。
田名網ワールドへの入り口が可視化される。


初期の頃は1960年代のサイケなイメージに、ステレオタイプなアメリカのイメージが重なるキッチュな作風。
随所に反戦メッセージが盛り込まれる。
戦時中に生まれ、連合軍占領時代を経てアメリカ大衆文化の洗礼を受けた自身の暦がそのままビジュアルとなっている。


年齢も同じ(しかも1ヶ月違い)で作品ビジュアル的にも似ている横尾忠則と比較されることは多い。
だがこの時期横尾氏がインド的精神世界に傾倒していくのに対し、田名網氏はひたすらアメリカンポップ。
博報堂界隈にいただけあって流行の最前線にいた、というか作り出していた側の人だからか作品のイメージがそのまま時代のイメージに重なる

アメリカンポルノを用いてのエログロナンセンスの引用とアメリカンポップアートが混ざったイメージ。
この時代やはりアメリカの影響は大きい。



1975年に日本版「PLAYBOY」アートディレクターに就任し、1986年まで務める。
1985年10月号のタモリとマイルス・デイビスの対談のポスター。
このポスター自体は知っていた。
だがマイルス繋がりでデザインは横尾忠則だと思い込んでいたが、実は田名網氏だったのは知らなかった。
(横尾氏はマイルスのアルバムジャケットデザインを複数枚手がけている)

《日本版月刊「PLAYBOY」》 1985

その時の対談。
タモリさんめちゃくちゃ緊張している。

Adobe Illustrator無き時代、当然コラージュもアナログだった。
直接の切り貼りや、筆で絵の具を乗せた跡が見て取れる。


外国の情報=アメリカからの情報だった時代から、日中国交正常化を経て、1970年代後半に中国が外国人に門戸を開放して以降、一大中国・シルクロードブームが沸き起こる。
田名網氏は1980年に訪中し中国文化に興味を持ったようだ。
時代の流れに乗るように中国ネタがモチーフに。

曼荼羅のように立体作品が並ぶ。


このあたりから今に続くザ・田名網ワールドが炸裂していく。

アナログの切り貼り


世界観の洪水。


コロナ禍にはピカソの模写をしまくる。
一方この時期、横尾忠則氏は寒山拾得を描きまくっている。
ちなみに横尾氏は1980年にMoMAで見たピカソ展に衝撃を受け、その後「画家宣言」をしている。
よく比較される二人が(時期は違えど)共にピカソに強い影響を受けているのが面白い。
だがこの二人、当然互いの存在は意識しつつも、実際には面識はほとんど無かったようだ。

ピカソの洪水


キャリア後半〜晩年にかけての作品群。
時代や国境を越え、神羅万象あらゆる事象からの引用や自身の暦の再構築。
このビッグバンはもうどうにも止まらない

某ランドのメインキャラクター似のキャラクターの顔にウニが付きまくっている、というカオスな状況。


手描き作品には絵の具の素材感や筆の痕跡がしっかりと見られる。
この辺りが村上隆のスーパーフラットとは大きく違う部分か。

だが横尾氏のようにアート方面にがっつり舵を切って方向転換しているわけでもない。
積み重ねてきた作風や技法・表現を深化させ、デザイン・イラストレーションの枠組みを拡張して、そちらからアート側へ片足を踏み込んでいる、といった作品群(私感

いや、もしかしたら田名網氏こそ日本美術の正当な伝承者だったのかもしれない。
アカデミックな日本美術史の文脈からはどうしても弾かれてしまうが、油絵が欧米から入ってきて以降の西洋美術史の亜流としての日本絵画のメインストリームとは別の文脈での一つの方向の最極端のようにも思う。



2022年に制作した赤塚不二夫とのコラボ作品。
赤塚不二夫の不条理な世界観が田名網氏によってさらに昇華され、狂気すら帯びた唯一無二の作品になっている。

幼少の頃、漫画家を目指して漫画雑誌に投稿していた田名網氏は、同じく投稿常連だった赤塚氏のことは10代の頃から意識していたようだ。
その後、大人になって面識はあったが漫画家として大成した赤塚氏を前にやや気後れして積極的な交流はできかったとのこと。
だがこのコラボによってそんな引け目も消化できたのではないだろうか。



各種コラボ。
アディダスやら等身大バービーやらスケボーやらベアブリックやら。
確かにストリート系のアパレルやフィギュアあたりとは相性が良さそうだ。
だけど何も知らない人にとっては、アーティストがまさか80代のお爺さんだとは言われなければ想像すらできないだろうな。


いやあしかし今までも物量がものすごい展覧会をいろいろ見てきたけれども、その中でもなかなかの物量、そして世界観と圧が溢れかえっている展覧会だったなあ。
何よりしっかりと生前のご本人が関わった企画だったおかげでリアリティや会場の息吹を感じられたのが良かった。



会場外のショップには先ほどの田名網バービーが。
危うくアーカイブしちまうとこだったが、なんとか踏みとどまる。


享年88歳。
直前まで精力的に活動されて最後に自身の大回顧展も企画に関わり、その会期中に亡くなるなんてドラマチックな展開だが、作家にとってこれほど冥利に尽きる幕引きは無いのではなかろうか。

合掌。



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