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【アジア横断&中東縦断の旅 2004】 第2話 旅立ち

美術大学を卒業した後、私は研究生として大学に残った。
そして研究生を修了した後、職を得て社会人の仲間入りをした。
当時、就職氷河期と呼ばれた時代だったが、それでもなんとか職に就くことができた。

仕事は楽しかった。
だが一つ悩みがあったとすれば、それは自由に旅に出る時間が無くなってしまったことだった。
就職してからも旅に出ることは何回かあったが、帰国日を気にしながらの数日間の短い日程の旅ではやはり物足りなかった。

そして、そのような短い旅を繰り返すうちに、「アジアは陸続きでどこまで行けるのだろう。その果てをこの目で見てみたい」と思うようになっていった。

飛行機に乗って数時間で目的地に着いてしまう「点」の旅ではなく、移動のプロセスそのものも含めた「線」の旅をしたい。
帰りのチケットも持たず、行き先も決めずにバスや列車を乗り継ぎ、徐々に移り変わる季節や風景、文化や芸術、そしてそこに生きる人々の生活や社会の中を通って、五感で距離を感じながら陸路でアジアの果てを目指したい。
いつしか、そんな自由な長旅に出るということは、私の中で「夢物語」ではなく確実に実行しようとする「目標」に変化していった。

仕事を辞めて旅に出る。
当然帰国後の保証など何もない。
その空白の期間がその後日本社会に復帰する上で大きなマイナスになるかもしれないことも重々理解していた。

不安だった。
だが若い今行かなかったらこれから更にそんな時間は無くなるだろうし、いつかきっと後悔する。

今しかできない。今ならまだ間に合う。
高まった気持ちの後戻りはもうできなかった。

20代半ばだった私は、ついに仕事を辞めて長旅に出ることを決意した。
その旅の軍資金として100万円用意した。
一人暮らしをしていた当時それが旅に使える精一杯の金だった。

いざ仕事を辞めて一人暮らしの部屋を片付け実家に戻ってみると、いよいよ失うものが何もなくなった。
それまで何を恐れていたのだろう。
私が守っていたものなんて大したものではなかったのだ。
どこにも属さず何者でもない空気のような存在感が身軽で不思議と心地よかった。

そして中国の北京行きの一番安い片道航空券を買った。

アジアの極東に位置する日本を出発し、大陸東端の都市北京から、陸路でアジアの最西端に位置するトルコのイスタンブールまでのアジア横断を目指す。
その後は、金と時間の許す限り行ける所まで世界の果てを目指して旅を続ける。

この旅の中で私は何を見るのだろう。
出発前夜、興奮してなかなか寝付けなかった。
けれども不安はもう無かった。

2004年1月4日、27歳の冬。
最終目的地未定、期間無期限。

ついに私の旅が始まった。


続く
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