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Next Lounge~私の鼓動は、貴方だけの為に打っている~第21話 「苦悶」

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
主題歌:イメージソング『Perfect』by P!NK
https://www.youtube.com/watch?v=vj2Xwnnk6-A
『主な登場人物』
北条 舞:イングランド🏴3部リーグ『EFLリーグ1』所属 ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 チーフ テクニカルディレクター。
カイル・オンフェリエ:ロンドン大学生チーム🆚市民チームの親善試合を観戦していた舞が出逢った謎の少年。
ケイト・ヒューイック:グリフ製薬会社社長。ロンドン大学ユニバーシティーカレッジ客員教授。
ジョン・F・ダニエル:ロンドン・ユナイテッド FC 総務部 エージェント課 エージェント。
フェルナンド・ロッセリーニ:謎の少年に寄り添う老紳士。
エーリッヒ・ラルフマン:イングランド🏴3部リーグ『EFLリーグ1』所属 ロンドン・ユナイテッドFC監督。

🟨ロンドン大学サッカー部
監督:アンディー・デラニー
02.CB:メルヴィン・ジャクソン
03.CB:オリヴァー・バーランド
04.RSB:ファランダー・ヤング
05.LSB:イアン・ヒューズ
08.CMF:ヒル・ブラマー
09.CF:ブライアン・モリス
11.CMF:ダニエル・モーガン
16.DMF:ニック・マクダゥエル:ロンドン・ユナイテッドFC選手。DMF登録。通称ニッキー。キャプテン。
17.CF:坂上 龍樹:ロンドン大学法学部1年。元極真空手世界ジュニアチャンピオン。ロンドン・ユナイテッドFC選手内定。
20.OMF:レオナルド・エルバ:ロンドン・ユナイテッドFC選手。OMF登録。通称レオ、ウェーブがかったブロンドヘアに青い瞳のイケメン、そして優雅なプレイスタイルとその仕草から"貴公子"とも呼ばれる。
21.GK:アイアン・エルゲラ:ロンドン最大のギャング組織集団『グングニル』の元リーダー。ロンドン・ユナイテッドFC選手。GK登録。通称アイアン。

🟥ロンドン市民チーム
監督:エイブラハム・スコットニー:ロンドン市警の警察官。
01.GK:マイケル・ホード:ロンドンにある小学校の教師。
02.CB:デニス・ディアーク:元バイエルンミュンヘンユース所属、元ギャング団グングニルメンバーの在英ドイツ人🇩🇪。ごみ収集作業員。キャプテン。
03.CB:ビリー・フォックス:ロンドンの楽器店店主。
04.RSB:リチャード・パッサル、ロンドンのカフェに勤めるケーキ職人。
05.LSB:レオン・ロドウェル:特徴的なモヒカンヘア、鋭い目つきと色白のフェイスに赤い唇が印象的なアイルランド🇮🇪人。冷静沈着で仲間のフォローを得意とする熱い漢。ごみ収集作業員。
11.CMF:アンディ・サンプソン:後半15分に交替した選手。ロンドン市消防隊員。
07.ST:ジェイドン・サンチョ:ロンドンのストリートで才能を育んだ若きドリブラー。ボルシア・ドルトムント所属。
16.LMF:パトリック・ウィンストン:後半15分に交替した選手。ロンドンの高校生。
13.CF:ウォルター・アゴスチーニ:後半15分に交替した選手。イタリア人のロンドン高校生。
15.RMF:ニール・ワイズ:後半15分に交替した選手。ロンドンの高校生。
14.CMF:パク・ホシ:金髪をオールバックにし編み上げた長髪を背後で束ねた姿がトレードマークの在英韓国人🇰🇷。車両修理工場勤務。

☆ジャケット:観客席にて、舞を見上げる謎の少年カイル・オンフェリエ。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

第21話「苦悶」

"ピピーーーー!!"
「キャーーー!!レオさまーー♬」
「綺麗に、弧を描きましたね!」
グリフ製薬会社社長、ロンドン大学ユニバーシティーカレッジ客員教授ケイト・ヒューイックが口に手を当てて、まるで女学生の様に喜んでいるところにジョンが相槌を打った。
ロンドン大学🆚ロンドン市民チームの親善試合は後半30分、遂にイングランド🏴3部リーグ『EFLリーグ1』所属 ロンドン・ユナイテッドFCのレオナルド・エルバのコントロールカーブシュートで5️⃣対5️⃣の同点となった。1番ゴール手前に居たニッキーがゴールに吸い込まれる様に入ったボールを取り出しセンターサークルへと走って行くと、それを迎えに来たレオが待っていて"ハイタッチ"をし、並行して走り出した。
「ナイス!レオ。」
「上手くいったね。」
「今後は、レオの左を警戒された時の対策を練習しないといけないな。」
「そうだね・・ニッキー?」
「うん?」
ボールをセンターサークル内に置いたニッキーにレオが語りかける。
「リュウの奴、アイアンの所まで戻っているよ(笑)。」
レオに言われるまま振り返ったニッキーの目に、アイアンと身振り手振りで話していたのにこちらを見て親指を立てたリュウが入った。
「どう?暇かい?」
「退屈しちまって、寝そうだぜ!」
アイアンはゴールが決まったと同時に戻って来たリュウの問い掛けに、両手を上げて堂々と欠伸をして答えた。
「アイアン、さっきの俺達の攻めを背後から見ていた君は、1番対策を検討出来る位置にあるんだ、分からないことは聞くことを恥じないで欲しい。」
リュウの問い掛けに、アイアンは思わず目を丸く
すると相好を崩して応えた。
「有り難く受け取っておくぜ、リュウ。悔しいがな。で、例えば何をだい?」
「相手が5失点した理由を、どう捉える?」
「なに!?」
「実は、相手の2番、5番は、ミスらしいミスをしていないんだよ。コースを的確に切っているし、ゴールエリア内でファールをしない様、最大限のケアはしていた。
「・・そうなると、失点理由が分からねぇーぞ?」
アイアンがリュウの語り掛けに首を傾げる。
「彼等は今、混乱している。」
「混乱?何でだ?」
「あれ以上、プレスを強めると良くないということが分かっているからさ。」
「分かり辛ぇ〜なぁ!それがどういう・・?」
「要するに、GK次第ということ。彼等のGKにその技術はなかった。」
リュウがハッキリと言い切ったことで、アイアンの顔色が変わった。
「先程の赤色2番とニッキー、レオの攻防がそうだ。ニッキーの後方に居た赤色2番が背後で両足を寄せることでディフェンスの横寄せをして来た。これは、股下を抜かれパスされる危険性を有したが、赤色5番の選手とオフサイドトラップを掛けることを念頭に置いていた節が垣間見れたからね、良いコンビだよ。」
アイアンは、振り返り敵陣に視線を向けるリュウに問い掛けると、彼は身振り手振りで説明し始めた。
「どういうことだ?」
「恐らく、ニッキーにボールが入った際、赤色2番の背後に裏抜けする選択肢が最もゴールに近い手段だったんだと思う。だが、彼はニッキーの両脚を封じて自分の股下コースと前方のみを開けたんだ。あの場所で危険な股下コースを開けたことは、明らかに仲間を信頼してのことだろう。だが、追い込んだファーサイドへのシュートコースをGKに任せることに一抹の不安を持っていた。ゴール後の彼が示した表情から、そう見えたよ。」
「そうか・・デニスの奴、無い頭で必死に考えていやがったのか。ん?どうした、リュウ?」
ため息をついたアイアンの目にゴールを決めたレオ、ニッキー達に親指を立ててエールを送っていたリュウが、ふと視線先の観客席を観て眉をしかめたのを見とがめて、自分も同様に視線を送って確認したことで、思わず声を張り上げた。
「お、おい!何だ、大丈夫か!?」
ロンドン大学チームベンチでも、レオの素晴らしいゴールに対する余韻が治らないでいた。
「あの位置から、躊躇なくシュートを放ちましたね、彼自身の判断なのでしょうか?」
ロンドン大学サッカー部監督アンディー・デラニーは、臨時で監督を代行してくれたイングランド🏴3部リーグ『EFLリーグ1』所属 ロンドン・ユナイテッドFC監督エーリッヒ・ラルフマンに問い掛けた。同点になって喜ぶどころか、渋い顔をしている。
「レフティーのレオにとって、最高のパス&コースでしたが、全てがパーフェクトに行ったゴールではないのです。赤色2番、5番が良い守備をしていましたが、リュウの頭脳プレイにやられましたね。」
「赤色5番を裏街道〜ダブルタッチ〜ワンタッチパスでかわしたのは、素晴らしかったですものね?」
ニコニコしてデラニー監督が応えたのだが、ラルフマン監督の見方は異なるものを見ていた。点を取られ続けたとはいえ、ロンドン市民チームの赤色14番パクのスタミナと闘争心、赤色2番デニスのマークスキルとディフェンスリーダーとしての務めとケア、赤色5番レオンのカバーリングや周囲に対する警戒心は素晴らしいものがあった。無垢な彼等の今後を考えると、監督としてワクワクするものがある。
(彼等も分かっただろう・・リュウとレオ、そしてニッキー、アイアンが特別であることに。彼等は、"ボールウォッチャー"にさせられ、ニッキー達は、"プレイウォッチャー"であり続けた。俯瞰的な見方が出来ている彼等との差が、結果に出たに過ぎない。
「凄いなぁ・・。」
舞は思わず呟いていた。
「何がですか?」
ジョンが背後から声を掛ける、謎の少年カイルも舞の手を握って見上げている。
「リュウ・・彼はノンプロなのよ。それが、もうレオ、ニッキーと融合している。正直、考えられないわ。」
「彼は、理論派ね。」
「理論派?」
「無駄な事を省き、理詰めで事を為す。私には、そう見えるけど?」
ケイト社長は、舞の方を振り返って見ると自分の見解を伝えた。インテリジェンスに富んだリュウが無駄を好まないのは当然であろうか?無駄?いや、それだけではない気がする・・彼は勝つための最善策を常に模索している様な気がする。自分がどうすべきなのか?役割を常に空いたパズルのピースみたいにはめ込む、そんな事が出来る人なのだと。
「ねえ!舞姉ちゃん、彼は本当にチームに入ってくれるの?」
カイルの一言は、今まさに不安を感じていた彼女の心に突き刺さるものがあった。
「そうよね、カイル。私も・・!?」
「舞姉ちゃん!?」
「舞?何?どうしたの・・?まあ!大変!?」
カイルに応えていた舞の視線の端に、先程まで観客席に居た時に目で捉えていた女性が、膝を付き前屈みになっているのが入った。彼女は、肩に掛けていたバックの紐を掛け直すと、ジョンに指示を出した。
「ジョン!大至急、AED(自動体外式除細動器)装置を借りて来て!!」
「えっ?あ、何処にありますか?」
「ベンチに行って、有るかもしれないから!!」
「はい、分かりました!」
ジョンが舞の指示を受けロンドン大学チームのベンチへと向かうと、彼女はバッグの肩紐を更に掛け直して一目散で女性の元へと駆けていった。その後をケイト社長が追い駆けて行く。
「フェルナンド!何時でも救急車を呼べる様にしておいてくれ!」
「畏まりました。」
カイルは、彼に付いていたフェルナンド・ロッセリーニに、指示を出すと急いで舞を追い駆けた。
一方、5点差をひっくり返され同点とされたロンドン市民チームは、皆が項垂れ顔を見合わすこと、声を掛け合うことすら出来ないでいた。後悔?反省?言葉では幾らでも言えるだろう。だが、あっという間の失点劇による猛追からの同点に、思い返すと失点シーンは、キックオフから一度も相手チームにボールロストがないことだ。赤色ビブス14番のパク・ホシは、自分の横を颯爽と駆け抜けて行く助っ人のロンドン・ユナイテッドFC選手レオナルド・エルバ、ニック・マクダゥエルを両手に握り拳を作って睨み付けた。彼は歯軋りして赤色2番デニス・ディアークの元へと歩み寄った。
「どうするつもりだ、デニス!このままでは逆転されるぞ!」
項垂れていたデニスが、天を仰ぎため息をつくと口を開いた。
「このままで行く。」
「はっ?ば、馬鹿言うな!奴等には通用しなかったんだぞ、それを・・。」
「待てよ、パク。俺もデニスと同意見だ。」
切れ長の目にモヒカンヘアの赤色5番レオン・ロドウェルがデニスの背後から歩み寄ると口を開いた。
「同意見って・・お前まで何言ってやがる!点を獲らなければサッカーは勝てないんだぞ!!分かってるのか!」
「デニス、作戦は悪くなかったと思うんだが、相手が悪かった。シュートを打たせないようにすること、これが1番肝心かもしれない。抜かれる危険を考えても勝負する必要がある。インターセプト、パスカットからカウンターを狙わないか?フロントとパクには、攻撃中心としてシフトするんだ。確かにパクのハードプレスを相手方が嫌がっているからな、守備に回したいが、一理あるだろ?勝つか負けるかならば、ジェイドン、ウォルター、パクの3人には攻めてもらわないといけないだろ?」
「俺は、パクにマンマークで黄色20番(レオ)を封殺してもらうのが重要だと考えている。」
「確かに・・彼が起点になっているからな。」
「それにカウンターを掛けるなら、パクの守備とスルーパスは非常に有効だ。」
まさか、抗議に来たパクは、自分が逆転を決める"キーパーソン"と2人が見ていることを知り、言葉を失った。これは、ラルフマン監督も同意見として試合を観ていた。ディフェンスを2人、デニス、レオンで頑張っているのは良い。だが、問題は中盤が緩過ていた点とGKのレベルだ。そう言う意味では、2人の意見、レオを抑えてからのカウンターは的中していると言える。3人はラルフマン監督から自分達のやり取りを、しっかりと観られていることを忘れて協議を重ねている。
(落ち込んでいると思ったら、いい根性している
(笑))
思わず、笑みが溢れるラルフマン監督であった。
「そ、そしたらよぉ、どうするんだ?俺は、どうしたらいい?」
パクがデニス、レオンの顔を交互に見て質問した。デニスとレオンが目を合わせた時だった!?
「ん?あれ・・おい!デニス!」
「あん?」
デニスは、レオンが指を差す方を観て目を見開いて口を開いた。
「Mutti(ママ)!?」
「大丈夫ですか!?」
ようやく観客席へとたどり着いた舞は、女性を観ている人達を掻き分けて横に膝をついてしゃがみ込み、顔を覗き込むようにして声を掛けた。
「大丈夫ですか?」
反応がないため、軽く肩を叩いて再度声をかけてみた。中年女性は胸を押さえ、顔面が陶器の様に蒼白になり、冷や汗をかいている。
「横になりますか?楽な姿勢になって下さい。」
舞が自分の持っていたコートを躊躇なくコンクリートの汚れた床に敷くのを、カイルが黙って観ている。女性が横になって、楽な姿勢になった。
「深呼吸できますか?ゆっくりでいいですから・・。」
舞の言葉で、女性がゆっくりと呼吸をする。
「どう、舞?」
舞は、背後に来たケイト社長から声を掛けられた時、女性の胸元に光る収納タイプのエスティペンダントを見つけた。彼女は、
「失礼しますね・・。」
と言うとペンダントを開けて中に折り畳んである手紙と錠剤を見つけ、手紙を取り出し読んだ。
(私の名前はエリス・ディアークといいます。狭心症です。錠剤はニトログリセリン。私が倒れていた時は、この錠剤を舌裏に入れて下さい。○○病院 電話・・。)
「狭心症患者さんだわ。」
舞は、自分のバッグからポーチを取り出して中からビニール手袋を出し装着すると、女性のエスティペンダントからニトログリセリン錠剤を取り出し、女性の舌裏に入れた。
「失礼します・・ニトロの錠剤をお入れしますね、大丈夫ですよ。」
女性が微かに頷くのが分かった。
「舞姉ちゃん、救急車呼ぶ?」
「お願い、カイル!『狭心症の中年女性、ニトログリセリン錠を服用させて、経過観測中』と・・あ!大丈夫?伝え・・。」
「フェルナンド!『狭心症の中年女性、ニトログリセリン錠を服用させて、経過観測中』そう伝えてくれ!」
「畏まりました。」
幼いカイルが、淀みなく言われた指示を伝えるのを見た舞は、思わず目を丸くした。
「凄いわ・・カイル。」
「どう?その人?」
「うん・・あ!?大変!!」
舞はカイルに言われて女性の口元に触れ、そして、脈が振れてないのを気付いた。彼女は、急いで女性を仰向けにして気道の確保を行うと、ポーチから人工呼吸用マウスピースを取り出し女性の口に被せ、自分も屈み込んで女性の胸元が上下するのを確認しながら息を何度も吹き込んだ。そんな淀みなく行われる彼女の救出活動をする姿に周りに集まった選手達は、取り分け、リュウ、レオ、ニッキー、アイアン、レオン、パク、そしてデニス達が呆然として観ていた。
「舞、"胸骨圧迫"する?」
ケイト社長の呼び掛けに、舞は人工呼吸を行いながら"コクコク!"と数回頷いた。それを観たケイト社長が女性の横に座ろうとした直後だった。
「私がやりましょう。」
「えっ!?」
ラルフマン監督が入り込み、瞬時に胸骨圧迫を始めた。
「すみません、監督・・AEDは!?」
舞は、顔を上げてジョンを探したが応答が無いのを確認もせず、更に人工呼吸を続けた。
「舞さん、持って来ました!!」
「貸して!監督、失礼しますね。関係無い男性達は、見ないで頂戴!」
ケイト社長に言われ、ラルフマン監督が場所を空けると彼女は女性の胸元をはだけ、装置を着け始めた。リュウは、ベンチから沢山の選手達のジャケットを持って来ると、レオ、ニッキー、アイアン、そして周りを見回して、レオン、パクを呼びジャケットを渡した。
「周りを後ろ向きに囲って下さい。」
レオが素早く受け取り、急いでリュウの横にエリスを背にしてジャケットで隠して立った。
「お、おう、分かった!」
アイアンが慌ててニッキーと共に、そして、レオン、パクもそれに倣った。
「操作は、私がやりますよ。」
赤色ビブスを付けた消防士の11番CMFアンディ・サンプソンがレオンとパクの間から入ってAED装置を立ち上げて、準備を終えた。
「OKよ舞、離れて!」
舞が人工呼吸を一旦止めて身体を離すと、消防士アンディが声を掛けた。
「Clear!!」
"ドン"
電気が流れ、心臓に局部ショックをAED装置が行った。直ぐにアンディが女性、エリスの脈拍・呼吸を確認する・・が首を横に振った。即座に舞は人工呼吸、ラルフマン監督は胸骨圧迫を再開する。周囲の誰もが息を呑んで状況を見守っている中、デニスは今朝、出掛けに母親エリスとのやり取りを思い出していた。
「本当に来るつもりか?」
「そうよぉ〜!だって、母さん、嬉しいんですもの♬また、貴方が大好きなサッカーをしてくれるんだからさ!」
サッカーをして来たことで、母親エリスには随分と迷惑を掛けて来た。一時は辞めて道を外してしまい、タトゥーを入れてギャング"グングニルに入り、更に迷惑を掛けてしまった。疲れた顔の母親が、久しぶりに見せる笑顔は幸せ、そのものであった。
「Clear!!」
"ドン"
再び電気が流れ、心臓に局部ショックをAED装置が行う。直ぐにアンディがエリスの脈拍・呼吸を再確認する・・が再び首を横に振った。
「まだよ!!」
舞の悲痛とも取れる気合いの言葉に、リュウ、レオ、アイアンが思わず振り返って彼女を見た。リュウの瞳に髪を振り乱して、一心不乱に人工呼吸を繰り返す舞が映った。
「よし!退いてくれ!!行くぞ!Clear!!」
3度目となる心臓への局部ショックをAED装置が行った直後にアンディがエリスの脈拍・呼吸を再確認する。
「戻ったぞ!!!」
「evviva(やったーー)!!」
カイルが両手を万歳させて歓声を上げた直後、周りからも安堵の吐息が漏れた。アンディが脈拍と呼吸を確認している。
「お疲れ様、マウスピースを外してもらえるかい?」
「あ、はい。」
舞は、アンディから言われるままに、エリスに装着させたマウスピースを外し、持ってきたビニール袋に入れ、バッグにしまった。"はぁ"と俯いて吐息を吐いた時、顔に纏わり付く髪に気付いてかき揚げた。
(良かった・・本当に・良かった。)
「大丈夫ですか、舞さん?」
声のした方を振り返った舞の目に、心配そうな目で見つめるリュウが映った。
「うん・・。」
"こくん!"と頷く彼女を観て、リュウが"ぼー!"と見つめた。遠くから救急車のサイレンが聞こえて来たのを確認して、舞が慌ててエリスに這ったままで声を掛ける。
「もう少しで救急車来ますからね?お気を確かにして下さい。」
青い顔をしたエリスが微かに頷いた後、口をパクパクさせて何かを伝えたがっている様なので、舞は彼女の口元に耳を寄せた。
「何ですか?」
「デ・・ニス・・ご、ごめ・・んね・・ご・め・・んね・・。」
舞は顔を起こす、とエリスに語り掛けた。
「大丈夫ですよ!息子さんは側に居ますからね。」
舞がエリスの耳元で話し掛けると、彼女は"はぁ・・"と軽く吐息を吐いた。
「まずい!早く担架を!!」
アンディが声を上げると、再びエリスに胸部圧迫を開始した。
「エリスさん!?しっかりして下さい!!」
「Mutti(ママ)!!」
いつの間にかデニスが、側に跪いて声を掛けていた。
「何やってんだよ、こんな所で!死ぬなよ!頼むよ!!母さん!」
デニスの悲痛な声を聴き、舞の目にもジワリと涙が浮かんだ。
「お母さん、しっかりして下さい!!お願いだから、頑張って下さい!!」
デニスは、思わず振り向いて舞を観た。涙目になり、やがて涙を一粒溢しながら、彼女は自分の母親を励まし続けている。
「駄目だ!お母さん、頑張って下さい!!」
「そうだぜ!デニスの母ちゃん!こんな息子が貧弱じゃあ、まだあの世に行くなんざ早過ぎるってもんだろ!しっかりしろや!!」
今度は、ニッキーとアイアンが声を掛けてきた。ニッキーは、自分の母親の時を思い出していた。目前の悪夢を、決して現実にしたくない!彼の叫びにはその思いが含まれているし、アイアンの一歩間違えれば失礼となる叫びは、彼なりにデニスを大切に思う気持ち、そのものであった。
「お待たせしました!替わります。」
遂に救急救命士達が到着し慌ただしく動き始めたため、舞をはじめ皆がその場を離れた、と、救命士の1人がアンディに気付き声を掛けて来た。
「なんだアンディ、君が居たのか?」
「ああ、状況を説明するよ。」
そう言うと、アンディは声を掛けて来た救命士と一緒にその場を離れた。蒼ざめた顔で立ち尽くすデニスを背後から"そっ!"とレオンが肩を抱いた。
「もう、大丈夫さ。心配要らないって、な?」
「そうだぜ、デニス。」
反対側からパクが声を掛けるのをラルフマン監督が観ていると、3人の元へ近寄る人影を観た。舞である。
「デニス、ビブスを返却しないと・・。」
「あ、はい・・。」
ゆっくりとビブスを脱いだ彼は、舞に手渡した。
「救急車に乗る事になるわ、貴方達もデニスの支度を手伝ってあげて。いい?落ち着きながら急いでね。」
デニスは"はっ!"とした顔で舞を見て、レオンとパクは互いの顔を確認して自チームのベンチへと走り出した。と、レオンが立ち止まり、舞の元に戻って来た。
「あのう・・。」
「いいから、ほら!急がないと救急車が出ちゃうわ!」
「すみません・・ありがとうございます。」
レオンは、そう言うと2人の後を追い掛けて走り出した。
「お前は、マネージャーか?」
声のした方を見上げた舞に、アイアンが片眉を上げて見下ろしているのが飛び込んで来た。
「こんな、オバさんマネージャーは嫌でしょ(笑)?」
「確かに!」
アイアンが腕を組んで、真面目な表情で頷いた。
「ちょっと!アイアン!?」
「えっ?仕方ねーだろ、もう十分にオバさんだぜ!?」
「うっそーー!?酷くない?もう!」
"ガハハハ!!"緊張感のある場所に不適切といえる笑い声が響く。
「おい!こんな時に良くないぞ!」
「あ、ごめん!」
「ばーか!"笑い声には、福来たる"ってな。暗くしてちゃ、嫌なことしか考えられねーだろ?もっとよー、ポジティブに考えられるようにしてやれや!」
注意したニッキーと舞が目を合わせる。
「それにしても舞さんに"オバさん"はマズいだろ?」
「む、そうか?現実を再確認させちまったか!?それは、すまねぇ!ワッハッハ!!」
「もう、いい・・。」
なんか、"どっ!"と疲れて来た気がする。舞は肩を落とすと、エリスの方を振り返って観た。担架からストレッチャーに移された彼女が救急車へと運ばれて行く。
「舞さん・・どうします?」
リュウが、エリスを横たわらせるのに用いた舞のコートを持ち上げて幾らか叩いてみせた。木の葉や、泥が派手に付着してしまい、泥水も付着している・・お気に入りのコートだったのに・・舞はため息をついた。
「ありがとう、リュウ。ゴメンね。」
「い、いえ。」
リュウは、舞にコートを手渡した時、改めて彼女の全身を観て息を呑んだ。彼女の服が、泥や埃で汚れていて、思わず言葉に詰まってしまった。勉強も出来てスポーツも万能、そして高身長のイケメンで父親が高級官僚と、非の打ち所もない彼が、歳の離れている女性である舞の、優しさ、真剣さとそして、美しさに心を奪われてしまっていたのだ。それは、これから続く彼の苦しみとなっていくのだが、恋とは甘美であり、時に苦痛を伴うものであるのかもしれない。
「そろそろ出ますが・・御家族の方は?」
「あ、はい!・・アイアン、お願い出来る?」
エリスを救急車に収容した救命士が舞達に話し掛けて来たため、舞がロンドン市民チーム側のベンチを観て走ってくるデニス達のために声を掛けることを、アイアンにお願いした。
「こらーー、デニス!早く来んかーーー!!」
雷鳴の様な大声に、思わずカイルが舞の横で耳を塞いで呟いた。
「凄いや!地球の裏側にまで届きそうな声だよ!?」
アイアンの声を聞いたデニスが、走って来るなり彼に詰め寄った。
「おい!俺はあんたに、怒鳴られる謂れはねぇぞ!」
「俺は、舞の言葉に従ったまでだ。それより、いいのか?お袋さんが待ってるぞ。」
デニスは"はっ!"とした顔をすると、肩紐を掛け直して母親の待つ救急車へと向かった。
「御家族の方ですか?」
「はい!母は?」
「急ぎましょう、さ!乗って下さい。」
デニスは、言われるまま救急車に乗車し、救命士に促されるまま、母親エリスの横に着座すると後部ハッチが閉められた。
「よし!出してくれ!?」
救急車が、サイレンを鳴らし始め病院へと向かい始めた時、彼は窓の外に立つ多くの人々を観た。申し訳なかった・・自分の母親のために・・と思った直後、彼の目に衝撃が写った。両手を合わせて目を閉じて祈る女性の膝辺りは泥で汚れ、服も汚れていた。それが、舞である事を認識した時、デニスの目から人知れず涙が溢れて来た。
「どうしました?お母さん?・・息子さん、お母さんが話したいみたいです?」
救命士に促され、デニスは母親エリスの左手を両手で優しく包み込み顔を覗き込んで話し掛けた。
「何だい、母さん?」
「ご・めん・・ね。」
「いいんだよ、そんなの!喋らなくて良いからさ、休んでよ。」
「デニス・・」
「何だい?」
「言え・た・・かい?」
「えっ?」
「御礼だよ。」
「今度、ちゃんとするよ。だから、心配するなよ?」
エリスはそう言うと目を閉じた。
「行っちまったな。」
頭の後ろで手を組んだアイアンが、大きなあくびをして言った。
「緊張が解けた?」
「まあな。」
アイアンの前に居た舞が振り返って話し掛ける。
「すみません・・皆さん、宜しいですか?」
「はい?あ、スコットニー監督。何でしょう?」
ロンドン市民チームの監督エイブラハム・スコットニーが、舞達の下に来た。
「ありがとうございました。デニスに代わって、感謝いたします。」
そう言うと、彼が会釈をしたため、舞は直後にラルフマン監督を見た。彼は彼女が自分を見たことを視界の端に捉えると、一歩だけ歩み寄り声を掛けた。
「いえ、御礼は北条チーフに言って下さい。我々は彼女の行動に準じたまでですから。」
「監督、私は・別に・・でも、ご無事そうで安心いたしましたね?」
スコットニー監督は、自分に語り掛ける彼女を上から下に観て言葉が出なかった。彼女の美しいコートも、素敵なパンツスーツも泥や埃で汚れてしまっていた。先程も、小脇にバッグを抱えて走る彼女をグラウンドから観ていたが、周りに居る人達が何もしないのに、彼女は必死に辿り着くと汚れることなど気にせず救助に徹した。その姿に、最早、言葉など要らないだろう。
「北条チーフ、その汚れてしまった服のクリーニング代を私に払わせて下さい、お願いします。」
「ありがとうございます。ですが、大丈夫ですよ。聴くところによるとエリスさんの御家庭は、シングルマザーとか?生活するのにも大変でしょうから。」
舞は柔かに語ると、スコットニー監督を見て微笑み、そして、ラルフマン監督を観た。
「ラルフマン監督、伺いたい事があります。」
「センターサークルでの事、ですかね?」
「勿論、それがメインでもありますが・・試合終了で、宜しいでしょうか?」
「ええ、5対5の引き分けということで、宜しいのではないですか?どうでしょう、スコットニー監督、デラニー監督?」
「私は、仕方ないと思います。市民チームのキャプテンが不在となりましたし、はい。」
ロンドン大学チームのアンディー・デラニー監督が、スコットニー監督に語り掛ける様に話した。
「ええ、正直、デニスが居なければ話しになりません、受け入れさせて下さい。」
「では、5対5の引き分けの試合終了、ということで宜しいですね?」
両監督が頷くのを、確認したラルフマン監督は、再び口を開いた。
「では、撤収の準備をいたしましょう。その前に、後ほどスコットニー監督に伺いたいことがあるのですが?」
「今でも、宜しいですが?」
「そう、ですか・・では、先程、お話した件です。」
「あ、はい!如何でしょうか?」
「舞さん?デニス君、No.5の彼、No.14の彼をうちに"選手"として迎えたいのですが、宜しいですかね?」
「えっ!?」
「マジか!?」
レオンとパクが顔を見合わせてから、舞を見た。
「"練習生"ではなくて、"選手として"で宜しいのですね?」
「ええ。」
「分かりました。ですが、プロ契約となると身辺等も重要になりますし、"直ぐに"とはいきません。状況によっては、お断りする場合もありますが、お二人共、それで宜しいかしら?」
舞が、レオン、パクを見て話し掛けると顔を見合わせた後、パクが口を開いた。
「ああ、勿論だ!全部見てくださいよ。夢が実現するんだ!チクショーー!!!」
パクがガッツポーズをして歓喜する横で、レオンは口を一文字にして、身体を振るわせている。
「貴方は、大丈夫?」
「えっ、あ・・はい。ですが、デニスが・・。」
レオンが項垂れて呟いた。
「彼に、一体何があったの?」
舞を始め、皆の視線がレオンに集中した。
「自分の口から話して良いのか・・。」
「大丈夫だ、レオン。これはデニスのため、いや、しいてはお母さんエリスさんのためでもある、話してあげてくれ。」
俯いていたレオンの肩をスコットニー監督が優しく"ぽん!"と叩いた。
「それではレオン、私達はここに座って良いかしら?聞かせて欲しいわデニスの事、それと・・貴方の事もね。」
「えっ?自分の・・?」
「ええ。なんとなくなんだけど、間違っていたらごめんなさい。私には、貴方の行動に・・その、何というか・・"謝罪"の様なものを感じるの。デニスとの間に何かあったのかしら?」
この舞の一言に、周囲の目は更にレオンへと集中したが、これにはスコットニー監督と、そして、レオンも目を見開き驚愕した。
「ゆっくりでいいわ、お願いね。」
レオンは、深呼吸すると話し始めた・・
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
シングルマザーのエリスは、息子デニスを1人で育ててきた。彼女は彼を育てるため、昼はウェイトレス、夜はナイトクラブで仕事に励んで来た。ただ、その事で愛する息子を1人きりにさせてしまい、寂しい思いをさせてしまった。そんな息子の寂しさを紛らわせるため、彼女は彼が6歳の誕生日に初めて欲しがったサッカーボールを買ってあげた。今でもあの時見た息子の笑顔は、彼女にとって忘れられない絵として心に刻まれている。
周りの友達がゲームに勤しむ中、彼は日がな飽きずにサッカーボールを蹴り続けていた。人一倍体躯に恵まれた彼は、地元のサッカーチームに恋われて入部することになると、負けん気の強さと母親に甘えられない寂しさから、ひたすら練習をした。この時はまだFWだったが、圧倒的な高さとフィジカルから決めるヘッドとシュートは同世代の子供達では歯が立たず、彼を有頂天にさせた。そして、遂に彼が12歳の時、あのバイエルンミュンヘンユースから声が掛かり移籍することになる。母親エリスは、この信じられない快挙に歓喜し、職場の同僚達によく自慢したものだった。だが、この時からデニスのサッカー人生に暗い影が忍び寄ることになる。今まで、恵めれたフィジカルから繰り出すパワーサッカーで通用していたのが、FCバイエルンミュンヘンユースでは通用しないのだ、ショックだった。言われたことを彼なりに精査し反復して練習したのに通じないのだから。だが、幾ら悔しがった所で愛する母親にも相談出来ず、塞ぎ込む毎日が続いた。そんなある日の練習で、彼は遂に控えのFWから、体調不良で欠席した控えDFの代わりを言い渡された。目の前が真っ暗になり、悔しさで目がクラクラする思いだった。それでも練習は当然続き、仕方なくレギュラーのFWゲルト・シェーラーをマークすることになった。彼が自分を見た時に、確かに口元に歪んだ笑みを浮かべたのだ。デニスは自分の闘志が、"ぼうっ!"と燃え上がるのを感じ、必死に怒りを抑える努力をした。ゲルト・シェーラー・・当時、FCバイエルンミュンヘンユースにおいて、絶対的なFWとして期待されていた選手だ。その為、何度か彼に抜かれそうになりながらも、シュートを放たれることもあったりしながらも必死に喰らい付いていた時、デニスはある事に気付いたのだ。"自分がFWだった時に、されて嫌だと思った事、コイツも感じているんだ!"と。そうなると、CBが楽しくなってきた。FWの彼の表情から歪んだ笑みが消え、思い通りにならない苛立ちを読み取れたのも快感を感じた理由だ。ロングボールが彼に入るとフィジカルの強いデニスは競り合いに強く、軽々とボールを仲間へと跳ね返した。前線の選手達は安心したのか、前線に留まるようになり控えチームのカウンターが上手く決まる様になってきた。この時、既に190cm近くの身長があるのはもちろんの事、それ以上にボールの落下点に入るのが早く、飛ぶタイミングも良かった。これはCBとFWの空中戦の競り合いで、CBに先に飛ばれてしまうと負けだ!ということを体感的に感じていたから、上に乗っかられるともう勝てないだろう、そこから無理に押しのけようとするとファウルを取れる、だから先に落下点に入って先に飛びたくなるはずだが、それをやらせなければいい!そんな経験に裏打ちされたことからだった。
そして、もう一つ、元FWとしての読みの良さはディフェンス全般にも言えた。ゴール前のクロスのポジショニングも素晴らしく上手く行った。CBは、ボールとマーカーを同時に視野に収めなきゃいけないので横からのクロスにはボールウォッチャーになることが多くて、FWが"そのポイント”を狙うことは充分に予測出来た。FWにとってはその点が取れるポイントを嗅覚だとするならば、CBにとっても同じでそこを消せるのがCBの才能なのだが、彼にはFWを経験してその才能が充分に備わってしまっていた。そして、クロスボールをデニスがヘディングでクリアした時、ゲルトの執拗な嫌がらせが初まった。初まりは着地の際に脚を踏まれたことからだったのだが、彼が何も謝りもしないことにデニスは眉を潜めて我慢した。だが、次第にユニフォームを引っ張る、押すは当たり前、遂には肘打ちをしてきた時、デニスは遂に堪忍の尾が切れゲルトを突き飛ばしてしまった。
"ピピーー!"
「コラーー!何をやっとるかーーー!!」
コーチが2人の元に走って来た。
「ゲルトが、散々ファールしてきてるんですよ!何故笛を吹かないんですか!?」
「デニス、審判が笛を吹かない限り試合は続いているんだぞ!ゲルト、何をしてるんだ!?」
「ポジションの競り合いじゃないか!お前は、自分のポジションも確保しないつもりかよ!」
「だったら、ファールなんかしないで確保しろよ!姑息過ぎるんだよ、お前は!!」
「待て待て!」
コーチが2人の間に入って止めに入る。
「デニス!ゲルトのプレイは審判の目からは、ファールに映っていない。だが、お前がゲルトを突き飛ばしたのは、確認した!」
「なっ!?」
「よって、レッドカードだ。ベンチに下がれ!」
デニスは、思いもしなかった結果に、口をパクパクさせ言葉も出なかった。
「仕方ない、次はお前だ!」
コーチから名指しされた控えの選手が呼ばれると、急いでビブスを着て走って来た。
「邪魔だ、早く下がれ!」
デニスは、項垂れてベンチへと戻って行ったが、その際、再びゲルトを確認すると、彼はあの口元に歪んだ笑みを浮かべていた。デニスは自分の身体に沸騰した様な血が、一気に流れるのを感じた。試合は、その後、ゲルトのハットトリックで終わり、FWとしての格の違いを見せつけたのである。コーチからも褒められ、周りからはチヤホヤされている彼を観て、デニスは悔しさで目の前がクラクラして来た。その後、控え組はボールの片付けをさせられたのだが、皆、デニスに話しかけてくることはなかった。片付けとグラウンドの整備を終えてロッカールームに戻ろうとした時、コーチに呼ばれた。
「デニス!」
彼は仕方なくコーチの元に赴いた。
「少しは、血の気が治まったか?」
デニスは、何と応えて良いか分からず言葉に詰まってしまった。
「ゲルトのプレイは、お前の目からしたら"姑息"かもしれない。だがな、そういったプレイで押さえ込まれていた"邪魔な奴"をベンチに追いやったのだから、ゲルトの方が1枚上に居るぞ。」
コーチが容認していることを知り、彼は言葉も無かった。
「決して"推奨"している訳などではない。ゲルトがマリーシア(ポルトガル語で"ずる賢い"という意味の単語で、イタリアでは「マリッツィア」と発音しサッカー大国ブラジル発祥の言葉とされる。決して審判の見ていないところでファールをしたり、ハンドをごまかしたりといったような反道徳的な、スポーツマンシップを踏みにじるプレーの事を言うわけではない。
例えば、ドリブルのうまい選手を止めようとしたとき、1vs1を挑むのは得策ではない為、このときに、1人がわざと抜かれに行き、抜かれた直後の体制が整わない時を狙い、2人目がボールを奪うという方法があげられる。前回の話で、リュウ達がとった戦術もマリーシアと言えるのだ。
また、得点でリードしている時は失点リスクを犯さず、相手陣地でボールを回したり時には相手陣地のコーナーポストでボールをキープするというのも、サッカーにおけるずる賢いプレー=正しいマリーシアのひとつとされている。日本代表がワールドカップで対ポーランド🇵🇱戦に用いた"鳥かご"がそうである。)と捉えている様だから、私からは注意しておこう。」
「コーチ、バイエルンミュンヘンとして、彼のプレイは・・?」
「皆まで言うな!」
デニスは、我慢してプレイするべきだったのか?それとも、ファールをアピールするべきだったのか?ため息をつきながらロッカー室に戻り、ロッカーの扉を開けた時だった。デニスは、目の前の光景に絶句した。自分の着替えが、泥まみれになっているのだ。震える手で取り出した彼は、母親が苦労して買ってくれたバッグが何者かにカッターの様な者で切り刻まれ、泥を入れられているのを見た。周囲を見渡した瞬間、誰もが俯いたり急いで部屋を後にする者も居た。デニスの中で、何かが音を立てて切れた。彼は、駐輪場に駆けつけ、其処にゲルトとその取り巻き達を見つけて詰め寄った。
「おい・・。」
デニスが練習着のまま歩み寄ると、彼等は"ニヤニヤ"と笑みを浮かべて見てきた。
「あっ?何か用かよ!」
「俺のバッグを切り刻んだヤツは、誰だ・・?」
「あっ?知るかよ!お前、皆んなに嫌われてるからじゃねぇーの!」
「こいつ、敵多いからな!」
「デカくて邪魔だしよぉ!」
「下手なくせにFWだとよ、ウケるべ♬」
笑い声が辺りに響く中、デニスは必死に耐えていた、ここまでは・・。
「お前のママは、淫売じゃねーか!夜の店で働きやがってよ。金もない奴がバイエルンでやってける訳ねぇーだろ!迷惑なんだよ!!」
デニスは、啖呵を切り路上に唾を吐き掛けたゲルトの元に歩み寄ると右手を振りかぶり、思いっ切り殴ってしまった。
「ああ!?大変だ!!デニスが暴れやがった!?コーチを呼べ!!」
デニスの怒りは、治らない。周りに居た取り巻き達が束になって抑えたが軽く弾き飛ばされた。
「た、大変だ!は、早くコーチを!?」
この一件で、ゲルトは全治1ヶ月の重症を負い、デニスを訴えると息巻いたのだが、デニスに対する苛めは"知らない"の一点張りで、結局、周りが黙認していたため、未解決のままデニスはチームを追われることとなった。母親エリスは、息子を迎えに来た時にコーチに訴えた。
「酷いじゃありませんか!息子が、されたことを解決せずに息子だけが罰せられのですか!?」
「お母さん、彼が行ったことは立派な"傷害罪"ですよ。どんな理由があっても"暴行"を容認することは、出来ません・・残念ですが。」
こうして、エリスは息子の不祥事で賠償金を支払う事になり、追われる様にしてドイツ🇩🇪の地を離れたのである。だが、エリスは唯の一度も息子を非難したことが無かったし、理由を聞かなかった。この子がこんなに怒る所を見たことがない!きっと、母である自分の事を言われたのだろう・・と。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「自分がデニスとエリスさんから聞いた話は、以上となります。」
レオンの回顧録を聞き、聞いていた殆どの者達がデニスに同情した。
「俺らの"大将"は、歳下であってもデニスなんだよ!あいつの敵は、俺らにとっても敵なんだ。」
そう言うと、パクがピッチに"べっ!"と唾を吐いた。
「知っていたのか?」
ニッキーが横に居るアイアンに話し掛ける。
「いや、知らねぇし、興味もねぇ!」
「えっ?」
周りの誰もがアイアンを見る。
「要は、ヤツが悪いんだよ!ピッチ上で起こったことは、そこでケリを付ければいいんだろうが。」
「じゃあ、聞くけどアイアンは自分のロッカーの中を同じ様にされて、大切な方から頂いた物を壊されても我慢出来るの?」
舞の問い掛けに、アイアンが"ニヤニヤ"笑って口を開く。
「言っていいのか?」
「いや、いいわ・・言わなくて。」
「言わせろよ、舞。俺だったら、バレる様なヘマはしねぇな。」
「えっ!?」
「昔わだぜ、昔な。今は、個性豊かな紳士でいく。」
「お前、いつから紳士になったんだ?」
ニッキーが呆れた顔でアイアンを見た。
「俺の元からあった"資質"ってヤツだよ!知らなかったのか?」
アイアンが腕を組んで、ニッキーの顔を覗き込んだ。
「アイアン君、本心を言いなさい。戯れ言は結構よ!」
アイアンとニッキーは、声がした方を観て目を丸くした。ケイト社長である。彼女は髪を掻き揚げると、さもイライラした様な表情を見せた。それを観た舞は、会議室での彼女を思い出した。常に合理主義で、時間の無駄を嫌う方だ、アイアンのジョークも彼女には無駄な話でしかないのだろう。彼は俯くと深く息を吐いてみせた。
「ヤツの面倒は、俺が見る!2度と暴れさせる様なことはさせない。誓うぜ!」
「では、アイアン、レオン・・それと、パク?でいいかな?デニスを無事、仲間にしてあげてくれ。」
「はい!」
ラルフマン監督の言葉に、アイアンが口をへの字にして視線を落としたのに対して、レオンとパクは顔を見合わせて喜んだ。
「1つ良いかしら?」
舞が急に問い掛けたため、ラルフマン監督を含めて皆が振り向いた。
「ねぇ、レオン。貴方とデニスの間に一体何があったの?」
「いえ、別に・・。」
「良い機会じゃないですか?舞さんがこの機を逃すな!と言ってるのですから、話して下さいよ。」
ニッキーが、優しくレオンに語り掛けた。誰もが穏やかな気持ちで待っている様に思えたのだが、舞はふと興味を覚えて、ケイト社長、アイアンを観てみた。彼女はイライラと髪を撫でていて、彼は大きなあくびをしている。自然と笑みが溢れた。
「ねぇ、レオン。貴方が心を開いてくれないと、デニスの話が報われないわ。」
「・・。」
「貴方の心の声を、聴かせて貰えるかしら?」
舞が、優しく子供に諭す様に話し掛ける。
「皆、グラウンド整備と片付けをしてくれ!」
「さ、俺らも手伝おう!レオン、パク、お前達は、いいからな。」
場の空気を読んだロンドン大学チームのアンディー・デラニー監督が選手達に声を掛けたので、スコットニー監督もそれに応えてグラウンドへと戻って行った。それを見たレオンは俯き加減で頷くと舞に、ラルフマン監督にと向き直ったその目はまるで済んだ湖の様で、表情は蒼く人形のそれであった。
「あの日・・俺も居たんですよ。あの場所に。」
「えっ?」
「ゲルト達がデニスのロッカーを襲撃した時も、試合中にファール、いや・・暴行しているのも、俺は見ていたんだ。」
後悔・・という名の"懺悔"であろうか。彼が目線を逸らさずに、瞬きもしないで舞を見ている事に、彼女は彼から試されていることを理解した。
(俺は、こんなヤツだけど受け入れてくれるのかい?)
そう言っている様な気がする。感情が感じられない彼の瞳から、その苦悩が感じられた。
「デニスは、知っているの?」
舞の横に居るカイルが、レオンを見上げて呟いた。逆光が眩しいのか?彼は、舞の手を握り目を細めている。
「今は知っているよ。でも・・当時は言えなかった。」
「自分も虐められると思ったから?怖かったの?」
「そうだな・・俺は、弱いヤツだったのかもしれない。」
「レオン、辛かったんじゃない?私も、虐められた経験があるから分かるけど、デニスの心の叫びも理解出来るし、貴方に頼れなかった気持ちも分かるわ。彼、きっと、貴方を軽く許したでしょう?」
「そうなんだ・・あれから少し経ったある日、偶然デニスを街で見かけた。俺は何故か彼に見つからないように隠れてしまって、そして自分の心の中が、何もしてあげられなかった悔しさで一杯になったんだ。きっと、一生彼に謝ることはできない・・そう思った。そして、この想い出は俺の頭の中からずっと消えないだろうし、これから街で彼を見かける度に、思い出す度に、ずっと俺はこそこそ隠れなければならない・・そう、思ったんだ。」
「だが、言ったんだろ?お前は。」
レオンの横に居たパクが、彼の背中に触れた。
「声を掛けられたデニスは、驚いた顔をしたけど、直ぐにいつもの人懐っこい"やつの顔"になって俺を受け入れてくれた。詰ってくれて良かったのに、アイツはそうしないんだ。俺が打ち明けた時も逆に"辛かっただろ?"って、あいつは、そういう"やつ"なんだ。だから、俺は決めた、"やつ"と共に居ると、もう、あの頃の俺には戻らない、そう決めたから。」
レオンは、自分の手を取る褐色の手を見た。
「ようこそ、レオン!パク、デニスには、後でかな?歓迎するよ。共にプレミアリーグへ行こう。」
顔を上げたレオンの目に、あの日のデニスの様に人懐っこい笑顔を見せるニッキーが映った。背後に、棍棒の様な腕を組んで"ニヤリ"と笑みを見せるアイアン、そして、レオとリュウも笑顔で迎えている。
「ラルフマン監督、ジョン。」
舞の呼び掛けに、ラルフマン監督、ジョンが、それにケイト社長とカイルが振り向く。
「監督、時間が惜しいですよね?ジョン、彼ら3人の手続き、フォローをお願い出来る?アシ(アシスタント)として、契約課の奈々にも対応をお願いしておくわ。」
「承知しました!」
ジョンは、口元に笑みを浮かべると颯爽と身を翻し、背を向けてスマホで連絡を取り始めた。
(ぷっ!相変わらずだわ。何もこんな所で格好つけなくても・・。)
「貴女は、不思議な方だ。」
思わず吹き出した舞は声がした方を振り向くと、目を丸くした"振り"をした。ボルシア・ドルトムント所属のジェイドン・サンチョが、彼女に声を掛けて来たのだ。
「不思議かしら?貴方がここに居ることの方がよっぽど"奇跡"だと思うけど?」
「奇跡?俺が?」
ジェイドンは、"時間が惜しい"という発言の真意を聞き出そうとしたのだが、逆に問われる形となり眉をひそめた。舞の見事な機転である。
「あの偉大なるブンデスリーガの、しかも、ボルシア・ドルトムントに所属している選手が、巷の試合に出るなんてSNSに書き込んでも誰も信じないわね。」
ジェイドンは、照れ隠しとして髪を撫でてから舞の元に歩み寄った。
「1つ聞きたいことがあるんだけど・・?」
「私に?何かしら?」
「"時間が惜しい"の意味は、何です?」
「何だと思う?」
「彼等を他チームに取られないため、そうですよね?」
「チームに報告すると?大丈夫なの?」
「えっ?」
「試合に出ること、チームの許可を得てるのかしら?」
舞に痛い所を突かれたジェイドンは、ため息をついた。どうやら、このアジア人女性は一筋縄ではいかないようだ。
「そうだ!これを渡しておくわね。ロンドン・ユナイテッドFCテクニカル・ディレクターの北条 舞といいます。その気になったら、何時でも連絡して下さい。」
舞はそう言うと、ジェイドンに歩み寄りバッグから名刺入れを取り出すと1枚抜き出し、両手で手渡した。ラルフマン監督、ケイト社長がそれを背後から見て苦笑いしている。
「イングランド🏴3部リーグ『EFLリーグ1』所属だからって侮らない方がいいよ!だって、敵わなかったんだから。」
「ちょ、ちょっと、カイル!何を言ってるの!?」
舞の横に居たカイルが、まさかの言葉をジェイドンに投げかけたため、彼もまた苦笑すると一言呟いた。
「その通りだ、いい勉強になったよ。だが、何時迄も負けてられないからね、今度会う時が楽しみだよ。」
舞は、心の中で舌打ちする思いだった。折角良い方向に向かっている、そう思ったのに・・。
「それじゃ、駄目なんだよ。」
「駄目?どういうことだい?」
「対戦することより、リスペクトして共闘する方が効率的だからだよ。」
思わず、舞、ラルフマン監督、ケイト社長も目を丸くした。まだ幼い少年の口から、まさかの言葉を聞くことになるとは・・。
「自分の足元を見てみてよ、そうすると分かるんじゃないかな?」
「分かるって、何がだよ?」
「自分がすべきことをだよ。」
「ね、ねぇ、カイル。」
舞はカイルの横に屈み込むと、バッグの中からビニールに梱包されたロンドン・ユナイテッドFCのホームユニフォームを取り出した。
「こうして貴方に出会ったのは、何かの縁かしら?貰ってくれる?」
「えっ!僕に?いいの!?」
「ええ。」
カイルは、まるでサンタクロースからプレゼントを貰った少年の様に梱包のビニールを慌てて破るとユニフォームを取り出して目の前で広げた。
「Evviva(万歳)!?、ありがとう、舞姉ちゃん!!!」
カイルは、大喜びすると舞の首に腕を回して胸に飛び込んだ。
「喜んで貰えて私も嬉しいわ、カイル。」
すると、カイルは舞の腕から離れてもう一度、ユニフォームを広げてから、一瞬口をへの字にしたと思ったら"ぱぁ!"と急に何かを思いたったのか、明るい笑顔になった。
「舞姉ちゃん・・お願いがあるんだけど?」
「ん?何かしら?」
「この、ユニフォームにサインが欲しいんだ、お願い出来るかな?」
「サイン?誰の?」
「皆だよ!ラルフマン監督、選手達・・そうだ!ケイトさんと舞姉ちゃんも書いてよ!!」
思わぬお願いに、舞は目を丸くした後、微笑んで聞き直した。
「私、サインなんかしたことないわよぉー(笑)。」
「ホント!?それじゃ、尚更ジャン!ねぇ、頼むよ、舞姉ちゃん!!」
「・・本気で言ってるの?」
カイルが舞の目を見て無言で頷いたので、彼女は仕方なくバッグから、油性マジックを取り出した。
「何でも入ってるのね、そのバッグ?」
ケイト社長の一言に、周囲で笑いが起こる。
「こういうこともあるかと思いまして・・ラルフマン監督、お願い出来ますか?」
舞からマジックを受け取ると、カイルは席の上に背面を向けてユニフォームを置きキャップと取り外した。
「監督は、一番上の真ん中がいいな♬」
「ここかね(笑)?」
「うん!」
ラルフマン監督は、微笑を浮かべてサインをした。
「ちゃっかりしたガキだぜ・・。」
アイアンが呟くのを聞いて、舞も心で頷いた。
「こういうのはね、遠慮したらかえって後悔することになるんだ。だって、そうじゃん!毎日見るんだよ、その度に後悔することになるからね。ケイトさんは、監督の左横で、ジョンさんは右横ね。」
「ケイト社長・・スミマセン。」
舞が頭を下げながら、カイルの弁舌巧みなことに舌を巻いた。随分と手慣れている気がする。
「いいのよ。何か、私も選手になったみたいで愉快な気分よ、これでいい?」
「うん!レオ選手、お願い出来ますか?」
「喜んで。でも、どうするんだい?額に入れて飾る価値があると思うんだけど?」
「それについては、バッチリだよ!ちゃ〜んと考えてるからね♬」
カイルに促されて、リュウ、ニッキーと記入して、アイアンの番になった。
「ちょっと、待って!」
「何だ、どうした?」
「他のと同じ大きさにしてよ!」
「・・何故、俺がデカく書くことが分かった?」
「今までの過程で、十分だよ。いい?他と同じ大きさだよ、それと、間違わないようにね!」
「うるせぇーなぁ、お前・・ほらよ!」
アイアンが書いたサインを見て、カイルが呟く。
「汚いね・・。」
これには、周囲は大爆笑となったが、当の本人であるアイアンは、顔を赤らめてカイルを睨んだ。
「なんだとぉ!!クソ餓鬼!!!」
「舞姉ちゃん!?」
カイルは、瞬時に舞のお尻の辺りにくっ付いた。
「味のあるサインよねぇ、アイアン♬」
「そ、そうよ!品があるだろうが!!」
「ああ、"下品"という名の"品"があるぜ。」
「おいおい、ニッキー!お前さんには、芸術がなんたるかは分からんよ。」
アイアンは、そう言うと"ふふん!"と鼻を鳴らして胸を張った。
「ねぇ、レオンさんとパクさんも御願い、書いてよ!」
「えっ?俺らもか?」
「うん!」
「サインなんか、書いたことねぇーし・・。」
「初めてなんて、尚更、ファンは、嬉しいよ!是非、書いてよ♬」
パクは、初めて書くサインに眉をひそめたのだが、レオン共々、記入してカイルに渡した。
「舞姉ちゃん、最後に御願い。」
「参ったなぁ、書いたことないよ、私。」
マジックのキャップを外した舞の前で、カイルはユニフォームを表に変えた。
「はい!」
「"はい"って、何で私だけ前なの?」
「背後には、デニスにも書いて欲しいんだ。でも、前は舞姉ちゃんがいい!!」
「そんな・・変よ、私だけなんて。」
「そんなことないよ、だって、ここに居る人達、皆、舞姉ちゃんに関わった人達じゃないの?」
舞は、カイルの一言に目を見張った。この少年は一体・・???
「そう・・、なら、私からも条件があるわ。」
「条件?僕に?」
「ええ。カイル、貴方も前に書いて。そう!一緒に書きましょう♬」
「ぼ、僕も・・いいの?」
「うん!一緒に、ね?」
舞を観るカイルの目から、徐々に大粒の涙が溢れて来た。舞はポケットからハンカチを取り出すと、カイルの目に当てる。
「コラ、男の子が泣くなんて恥ずかしいぞぉ〜♬さあ、一緒に書きましょう?」
舞はカイルの頭を撫でると、彼は舞の胸に飛び込んで泣きじゃくった。一瞬、目を見開いた彼女だったが優しく抱きしめるともう一度、頭を撫でてあげた。
(可愛いなぁ・・、子供って。)
そんな、舞に甘えるカイルを謎の老紳士フェルナンド・ロッセリーニが、流れる涙を拭って見ていた。そんな舞をリュウが観ている。彼は彼女の言った"私も虐められた過去があるから"を反復していた。アジア人女性として、異国で生きることの苦難を想像し、彼は独りため息をつくのだった。

第22話に続く。

"この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。"

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