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人生は結構ポジティブだらけだ!

ふと思い立って、実家のある岡山へ帰ってきました。

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東京から岡山まで、新幹線で片道3時間17分。
僕が初めて上京した19年前は、たしか5時間近くかかっていたはずです。
今みたいに「のぞみ号」の本数が多くない時代です。その頃に比べるべくもなく、3時間ちょっとで実家につけるなんて、ほんとに便利な時代になりました。

今回の帰省の目的は「お墓参り」です。お彼岸ですからね。

僕はここ10年、ほとんど帰省をすることはなく、「仕事が忙しい」と言い訳をしては実家を省みない生活を続けていました。祖父母不幸もしたし、親不孝もしたという自覚があります。今年の初めに、父が病で倒れ昏睡状態になり、今も入院生活を続けています。当然ながら、僕にとっても大きな出来事で、そのことは以前のnoteにも書きました。

僕は、かつての自分の「薄情さ」を反省しています。
父も母もいつまでも元気にいてくれるわけではなく、いつまでもおしゃべりができるわけでもないことを、恥ずかしながら今頃理解したのです。

仕事も大事だけれど、何のための仕事かということを再確認せねばなりません。そして、自己実現も大事だけれど、何のための自己実現なのかをも再度考える必要があると自省しました。僕は、いつのまにか人生のヴィジョンよりも、手段にこだわり、手段のための人生を送るようになっていました。そのことを痛感し、自分の夢や自己成長、自己実現も大事だけれど、そのヴィジョンは何なのか?それを考えるいい機会になっています。

岡山のオシャレなカフェで朝食を食べてから、お墓参り行ってきました。岡山は暑くなる予報なので、朝早いうちに行動開始。

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38歳なのに運転免許を持ってない僕は、父のロードバイクを借りて市内を人力で走り回っております。

この10年ほとんど帰省していなかった僕には、岡山市内の景色は結構変わっていて、あったはずの道がなかったり、なかったはずの道があったりして、Googlemapなしでの行動が難しい。地元の街なのに、すでに僕の知っている地元は、影を潜めつつあるようです。

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道に迷いつつ、祖父母のお墓のある小さな山について、駐輪場が見つけられずウロウロしていると石材屋さんのおじいさんを見つけ声をかけました。

僕 「すみません。このへんに自転車置いていい場所ありますかね?この上にあるお墓に行きたいんです。」

おじいさん「駐輪場は向こうにあるんじゃけど遠いけぇな、こけぇ置いとかれぇ。わし見といてやるし、こけぇな道、誰も通りゃせんけぇ大丈夫じゃ。」

僕「ここにいいんですか?」

おじいさん「ええ、ええ。そこに置いとかれぇ。」


久しぶりのコテコテの岡山弁に癒されました。僕は意識しないと岡山弁をしゃべれなくなっています。ここが地元なのに、自分がヨソモノのような気がしてしまいます。

僕「じゃ、すみません。30分くらいで戻るんで、お願いします。」

おじいさん「そんな急がんでええけぇ、ゆっくりしてこられぇ。」


4月の帰省時にお参りに来たきり、ほぼ半年ぶりのじーちゃんばーちゃんのお墓は草がボーボーでした。山道で汗だくになり、さらに草むしりで、地面に汗がしたたり落ちます。でも、草をむしり終わってから、振り返ると、そこには岡山市内を眺望できる素晴らしい景色が広がっていました。

そういえば、この場所をじーちゃんが買った時、「ええ場所が買えた」と喜んでたんですよね。たしかに、ええ場所じゃな、じーちゃん。そんなことを思いながら、しばし景色を眺めていました。それから、大きなゴミ袋に草木がいっぱいになって、お墓掃除をやりきった満足感とともに、お線香に火を灯しました。

少しの間、じーちゃんばーちゃんとお話を。聞いてくれているのかはわからないけれど、僕は勝手に気分がスッキリしていました。やっぱり心のどこかで”ひっかかっている”ものはあるのだと感じました。じーちゃん、ばーちゃんに、「また来るね」と言い残し、お墓を後にしました。ゴミ袋を抱えて自転車を取りに戻り、自転車を見張ってくれていたおじいさんにお礼を言いに行くと、おじいさんはお店から表にわざわざ出てきてくれました。

僕「自転車置かせてもらって、ありがとうございました!お参り終えたので帰ります。」

おじいさん「おぉ、ご苦労さんじゃったなぁ。暑い中を。あ、あんたそのでけぇゴミ袋どうすんで?持って帰るんか?」

僕「はい。捨てる場所なかったし、かなり大量なんで家で処分します。」

おじいさん「いやいや、わしんとこで捨てといちゃるけぇ、置いときゃええ。置いときゃええ。どこまで持って帰る言うんで?」

僕「〇〇という場所です。」

おじいさん「アホ言われな。あんた、そんな遠いところまで、自転車でそんな大きなもん抱えて行けんじゃろうがぁ。置いてかれぇ。どうやって行く言うんでぇ。」

僕「そうなんですけど、ゴミは持って帰れって書いてあったし・・。」

おじいさん「そりゃそうじゃけど、そうはゆうても、無理なもんは無理じゃろうがぇ〜」

そういって、おじいさんは笑いながら僕から大きなゴミ袋を僕から受け取って、奥の方へ持っていってくれました。

僕「すみません!ありがとうございます!」

おじいさん「ええ、ええ。かまわんかまわん。ご苦労さん。気をつけて帰られぇよぉ。もう行きんさい。あとはやっといちゃるけぇな。じゃあな。」


正直なところ、実家へ帰るのは少しばかりの踏ん切りと勇気が必要です。なぜかと言うと、この街に帰ると「現実」があるからです。父が病床に伏せっているという紛れもない現実。それは緊張となって僕の心を固くします。でも、そのおじいさんとのそんな会話と、おじいさんの優しさで、その固くなった心を和らがせてもらうことができました。

僕はそのとき、僕の人生のヴィジョンはこれだな、と心の底から思いました。

それは、人と繋がること。たとえそれがすれ違い程度の、ささやかなつながりであったとしても、ここまで気持ちを温かく、心を豊かにすることができるのです。

父の病気をきっかけに地元をほんの少し意識するようになりました。あれだけ嫌いだった故郷にまた違った想いを抱き始めています。人生で起きることに、何一つ無駄なことはないし、きっと必要だから起きていることなんだと今はそう思えます。だからこそ、目の前の一つ一つのことを大事にしたいと思います。

日々を丁寧に生きる。
難しいことは何もなく、ただそれを心がけていようと思います。

きっとその積み重ねが、素敵な人生を創り上げてくれます。
自分自身が成長したいと願う気持ち、もっと素敵な人になりたいという気持ちは、もっともっと素敵な人たちと出逢いたいからなんだと思います。
これが僕にとっての人生のヴィジョンです。

そんな想いを再確認できたあのおじいさんに心から感謝しています。
あのおじいさんとの会話は時間にして、数分のものでしたが、そのあとの僕にもたらした効果はその時間では計り知れないものとなっています。

人生って、結構ポジティブなことに溢れています。
なぜかって?

現在、地球上には76億人の人間がいると言われていますね!
ということは、76億回は人と出会える可能性があるいうこと!
それだけ感動できる回数があるという可能性があるということ!

最高じゃないですか。

そう思うとね、やっぱり人生は自分がどう動くか、なんですよね。

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