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香港旅の最中に襲われた心身の不調。そこからの超回復〜劣等感のこと〜


はじめに


香港の街を訪れていたとき、正直にいうと僕のコンディションはあまりいいものではなかった。

香港の旅の最中に襲われた心身の不調


久しぶりの一人旅に高揚している心とは裏腹に、僕の身体は悲鳴を挙げていたのだと思う。少し前に「走ることでクオリテ高い人生を作る」というnoteを書いて、そのときには心身ともに充実していた状態だったのだけれど、そのあと少しずつ歯車がズレている感覚があった。でも、僕はそれを見ないふりをした。それが香港の街を歩きながら、少しずつ露呈してくるのがわかった。

香港のロンドンバスやMRTに乗っている最中に、呼吸がどんどん浅くなり、脈拍は早くなった。心臓の音で身体が少し揺れている。「あぁ、またこれだ。」と思った。30代前半のころに、経験したあれだ。

「やっぱりそうなるよね」とゆっくりと香港を歩きながら一人ごちた。「やっぱり」と思うには理由があって、理由があるから僕は香港に来た。むしろそれを解消するために香港に来たと言っていい。今回はそんな内面的なことを綴りたいと思う。

会社員時代に始まった心身の不調

僕は約10年前、会社員時代にガムシャラに仕事をした。おおげさでなく、午前6時前から会社に行き、深夜終電が行った後も会社に残って仕事をしているなんてザラだった。10年くらい前だから今ほど、そのへんのコンプライアンスも厳しくなくて、むしろそういう「ガムシャラさ」が評価される時代だった。

吐血した話

その頃、あるとき立ち仕事をしていたら、クラっと立ちくらみがした。目が回って、吐き気がした。急いでトイレに行って個室のドアを閉めて、思いっきり吐いた。驚くことに便器が「真っ赤」に染まった。血が混ざっていたとかではなく、まさに"「血」そのもの"だった。

さすがに「やばいな」と思って病院に行っていろいろな検査をした。そして、さらに驚くことに検査の数値上まったく異常がなかった。むしろ、数値だけを見れば健康体だと言われた。吐血は「胃が荒れているのだろう」とのことだった。このときほど健康体だと言われて安心ができない診断はなかった。

そのあと、セカンドオピニオンを受けたりしたけれど、やはり結果は同じ。

「ストレスをためないように。」
「しっかり休息を取るように。」

医師からは何の救いにもならない定型文を伝えられ、アホみたいに大量の薬を処方されてそれを飲み続ける日々だった。でも、まったく良くならなかった。"なんとなく不調"という状態が続いて、体力が続かなくなった。

あれから10年近くが経ち、その間苦しい日々を送っていたけれど、理解のある医師との出会いもあったり、自分でも自分を立て直すために必死で勉強をして様々な変化をしてきたことによって、少しずつ改善がなされていった。

改善のキーとなったこと

僕が日々の生活に「瞑想」を取り入れてマインドケア、メンタルケアを丁寧に行い、日々の食生活に意識を向けるのはこういった経験、体験を元にしている。けれど、マインドケア、規則正しい食生活というのは、実は「枝葉」の部分だということを最近改めて思っているし、香港で不調に襲われたことによって強く再認識した。

「枝葉」をいくら大切にしても、「幹」がぐらついていると「枝葉」もぐらついてしまうし、下手をすると枯れてしまう。かつても、これに気がつけたことで、僕は不調を少しずつ脱していくことができた。

「幹」とは何か。

それこそが、僕は人生の「目標」であり「夢」であると思っている。僕はいつも「ヴィジョン」という言い方をするけれど、その「ヴィジョン」がないとかブレている状態になると心は迷子になってしまう。心が迷子になると、それに併せて身体も不要な体力を使うので「疲労」が溜まるし「滞り」ができてしまう。まさに「負のスパイラル」が起きる。

僕は、自分のお店である「THE MIDFLOW coffee roast」というコーヒーショップの日々の運営に精一杯になってしまい、僕自身の、そして、THE MIDFLOWのヴィジョンを見失いかけていたと思う。僕はどこに向かいたいんだろう?THE MIDFLOWという僕たちのブランドをどう成長させたいんだろう?ということを考える余裕、余白すらなくなっていた。だから、僕は香港に出かけた。以前に書いたように「点」をたくさん打つ必要があると思ったのだ。ヴィジョンを抱きたくても、その材料がなければ、それが湧き出るはずもない。だから、インプットが必要だと思ったのだ。

香港・中環(セントラル)国際金融センター

香港の街で劣等感を抱いた自分

香港の街、特に香港島の「中環」「金融中心」を歩いているとき、僕はすれ違う香港の人々に「劣等感」を抱いていることに気がついた。パリッと髪型を決めて、パリッとしたスーツで颯爽と歩いている人たちを見た時に、間違いなく僕はコンプレックスを抱いていた。

僕は、しばらく路地の端に立って、彼ら彼女らを眺めていた。僕は、なぜ、この人たちに劣等感を抱くんだろう?なぜ、コンプレックスを感じるんだろう?僕は、今回の旅の「キー」がそこにある気がした。

劣等感の要因

THE MIDFLOWを開業して、まだ1年10ヶ月程度。いろんな人には誉めていただくことも多いのだけれど、僕自身は「焦燥感」「不満足感」というものが強い。あれもしたいし、これもしたいのに、なかなかうまくできない自分にも、とてつもない苛立ちを感じていた。日々フラストレーションが溜まってしまうことも少なくない。もちろん、楽しいことはたくさんあるし、日々幸せを感じることがいっぱいある。けれど、その一方で経営者としては自分自身に納得のいかないことばかりだなのだ。

だからこそ、香港の金融市街を歩く人たちがとてもまばゆく見えて、その反射的作用で劣等感を抱いてしまったのだ。

流れゆく人波に自分を重ねながら、そんなことを素直に感じることができていた。そうだ。僕はイラついているんだ。自分に対してフラストレーションを抱えているんだ、と。心と頭と身体がチグハグになってしまっている。いろんなことに「滞り(とどこおり)」が起きてしまっている。素直にこれに気がつけたことがよかった。

人間的に成長するにはコンプレックスは必要

一般的に「劣等感」「コンプレックス」という単語を聞くと、ネガティブな印象を持つだろうけれど実は僕はそうじゃない。「劣等感」「コンプレックス」は自分を成長させるために、必要なキッカケであり、ある場合にはガソリンになるものだ。

僕は20歳前後の頃、体重が約100kgあった。20歳といえば、多感な年頃で「デブ」とからかわれることもあって、言うまでもなくそれが僕にとって「コンプレックス」だった。でも、それをコンプレックスと感じることができたからこそ、それを克服することができたこともまた事実なのだ。

香港の街を颯爽と歩く彼らにコンプレックスを抱いたということは、つまり僕は「彼らのようになりたい」のだ。街ゆく彼らを眺めながら、僕はそれに気がつくことができた。

「彼らのようになりたい。」これこそが僕のヴィジョンじゃないか。
だったら、それを目指せばいいのだ。彼らのようになればいいのだ。

不思議なことだけれど、僕はそれに気がついたあと、僕の心身の不調が影を潜めていった。やっぱり僕の心は迷子になっていたし、そのせいで身体には必要以上に負荷がかかっていたのだと思う。

まとめ

コンプレックスを抱いて、それを意識するばかりに行動が取れなくなる人もいる。でも、僕はかたくなに信じていることだけれど、「心の底からそうなりたい」と思えたものには人間はそうなれる能力があるし、もし仮にその能力が現時点でなかったとしても、その能力をつけるために"自然に"行動を始めるものだと思っている。だからこそ、僕たちはもっとコンプレックスを大切にするべきだと思うし、コンプレックスを抱く自分を「向上心がある」と誉めてあげるのが良いと思う。

少なくとも、僕は、香港の街を歩く中で、抱いた「劣等感」「コンプレックス」が僕を救ってくれたと思っている。知らない土地で、誰も僕のことを知らない土地であるからこそ、僕は素直になれる。余計な見栄も張らず、身の丈にあったことを感じることができる。極限までノイズが削ぎ落とされた自分自身の声を聞くことができる。これこそが、僕が一人で海外へ旅に出ることの大きな効能だと思っている。

ヴィジョンが定まれば、あとは日々の生活を一つずつ積み上げていくことだ。それだけに集中すれば良い。とてもシンプルなのだ。香港を訪れた大きな大きな利点があった。東京に戻った僕がこれまで以上に仕事に熱中していることは、言うまでもない。

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