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夫と私と息子の結婚パーティ


「いつか結婚することあったら、ここでパーティしたいと思っててん」

結婚が決まった7年前の秋。夫(となる人)に連れられ南青山の小さな結婚式場へ行った。表参道駅に降りたのも、南青山のちょっと裏通りを歩いたのも初めてだった。「東京は人の住むとこやない」と定年まで18年間東京で単身赴任生活をしていた伯父が、よく言ってたことを思い出した。「おじちゃん。めっちゃ人住んでるで。めちゃめちゃ都会やけど、裏通り入ったら静かなええ街やで」と心の中で伯父に話していた。

言われなければ結婚式場とはわからない、隠れ家のような建物。夫は式場のチャペルとパーティルームの映像装置、音響設備の仕事に携わっていて、何度もこの式場に通っていた。夫が慣れた手でドアを押して中に入ると、スタッフが笑顔で迎えてくれた。「こんにちは。Sさん今日おられます?」夫が支配人を呼んで貰った。奥から出てきた支配人さんは、最初夫の顔を見て笑顔になり、私を見て不思議そうな顔になった。

「この人と結婚するんです」

夫が言うと一瞬沈黙になった。「おめでとう」と彼は両手で夫の手を握り、夫の背中をバンバンたたいた。厨房から出てきたシェフは「おめでとう」と言うと無言になり、涙をこらえていた。夫と式場で働く人達が、ただの仕事関係者でないことがよくわかった。「ここで結婚パーティしよう」夫より先に私が決めた。

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半年後の春。夫と私と息子、三人の生活が始まった。引っ越した2日後には、再び夫と南青山の式場へ行った。新しい家から電車で1時間かからないのに、私の身体はまだまだ大阪から飛行機で羽田について、そこから電車を乗り継いで南青山に来たような感覚だった。

半年ぶりに訪ねた式場で挨拶も早々に、担当さんと打ち合わせが始まった。「10年ちょっと経つと、結婚式事情もいろいろ変わるんですねえ」2時間も経つと緊張感が解けて、つい、いらんことを言うてしまった。

「他になにかご要望などあれば、遠慮なくおっしゃってくださいね」そう言われたとき、「勝手なお願いなんですが」と私が話した。自分は8年前離婚し息子と二人大阪で暮らしてきたこと、春から夫と息子と三人、横浜で暮らし始めたこと。「当日会場で、息子がひとりでぽつんとおるようなことには、ならんようにしたいんです。息子も含めて三人の結婚パーティにしたいんです」

その頃の私は、横浜の中学校にも、新しい生活スタイルにもまだまだ慣れない息子が心配だった。華やかなパーティの場でポツンと息子がいることを考えると、ちょっと切なくなった。私は新婦だが、お母さんだった。

「わかりました。お任せください。私も考えてみます」担当さんは笑顔で答えてくれた。隣にいた夫も、だまってうなずいていた。

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桜の時期が過ぎ、新しい生活に慣れ始めた5月の終わり、パーティ当日を迎えた。朝からの数時間があっという間に過ぎ、白いタキシードの夫と、2度目のウェディングドレスを着た私が笑顔と拍手に迎えられ、下見で何度も来たパーティールームへ入った。

乾杯を終えてちょっとほっとした私は、自然に息子を探した。「面白なさそうな顔して座ってへんやろか」緊張している夫より、息子の方が心配だった。「ちゃんと食べてるやろか」ここまで来て、息子のお腹を心配してしまう。息子は美味しそうにステーキを食べ、隣に座る私の友人と笑顔で話していた。ほっとした。初めての授業参観で息子を見守っていた日のようだった。

パーティは進行し、私が中座する時間になった。担当さんが、さっと息子の横に行った。司会者が息子のことを話し始めた。「新婦の真澄さんは、息子さんにとってたったひとりの大切なお母様です」ライトが当たった息子は「聞いてへんで」という顔で私を睨んだ。「言うてへんからな」と私は息子に笑顔を向けた。

担当さんのアイデアで、私が中座するとき、息子と腕を組んで歩くことになっていた。

「新郎様に、お母さまと腕組んで中座してもらうんですがね。これ、お母さまにすごく喜ばれるんですよ。『息子と腕組むなんて、もうないと思ってた』って」

何度目かの打ち合わせで担当さんから熱いプレゼンをされて、息子と腕を組み歩くことにした。「そやけど、息子が嫌がりませんかねえ」私はちょっと心配だった。息子は人前に立つとか、悪ふざけ以外で目立つことが嫌いなのだ。

「大丈夫です。私が責任もって息子さんをお引き受けします」

担当さんは自信満々だった。息子は担当さんの有無を言わせない圧に負けた。席を立ち、素直に私の横に並んだ。息子と腕を組んで会場を歩いた。私の友人たちがみな涙ぐんでいるのが見えた。息子も主役の務めを果たした。

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パーティが終わり、私が控室にいると息子が入ってきた。

「白いコック帽のおっちゃんが、『ステーキもうちょっと食べるか?』言うて、肉おかわりくれてん」「そのおっちゃんな、ケーキもおかわりくれてん」「おじいちゃん(私の父)みたいに『お腹いっぱいになったか?』って何べんも聞いてくれたで」

息子が一気にしゃべり始めた。そうか。よかったな。成人した息子がいるとシェフが話してくれたのを思い出した。息子を気にかけてくれていたのが嬉しかった。

「カメラマンさん、すごかったよなあ。1回も座らへんで、すごい場所から撮ったり、床に横になって写真撮ったりしてたで」

この日、いちばん息子に手を焼いていたのはカメラマンだった。

「ちょっと表情硬いねえ」
「うーん、もうちょっと笑えるかな」

タキシード姿の夫、ウェディングドレスの私、中学校の制服を着た息子の3人で撮影の時、笑わない息子にカメラマンは焦っていた。「笑って」と言われるたびに、息子は余計意固地になってしまった。パーティの後、カメラマンが息子の写真を数枚見せてくれた。「僕ね、途中で息子君が笑わないのもしょうがないなあってわかったんですよ。自分だって中学生だったら、『笑って』って初めて会うおじさんに言われても笑えないよなあって」それでも、カメラの存在に気がつかない息子を上手に撮ってくれていた。小さい頃とは違う、中学生になった息子の笑顔だった。

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担当さんをはじめ式場のスタッフ、シェフ、カメラマン。そして、当日私たちを祝いに来てくれたたくさんのゲスト。みなに温かく見守られ、息子はぽつんとひとりになることなく、三人目の主役として私たちの結婚パーティにいた。

「この仕事しているとね、年に2回ほど心に残る結婚式があるんですよ。今日はその1回になりました」

会場を去るとき、担当さんがそう言ってくれた。「ありがとうございました。家族三人お世話になりました」頭を下げて、式場を後にした。後日届いた三人の写真には『家族記念写真』と添えられていた。

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あとがき

天狼院ライティングゼミ、最後の提出課題を加筆修正しました。
WEB掲載にはなりませんでしたが、ふと思い、noteの場にお披露目することにしました。

CONVIVIONというこの結婚式場は、2015年末に幕を下ろされました。
あの時お世話になったみなさん、それぞれ活躍されていると思います。

息子が20歳になる時は、もう一度あのカメラマンさんに記念写真撮ってもらおうかな。



美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。