父からもらった京都10時間旅
5月2日、兄から久しぶりにメールがきた。
「今年は七回忌やんな。兄夫婦だけでやるんかな」コロナ渦だった三回忌は兄夫婦だけで済ませてくれていた。
確かに急やけど、予定は空いていた。
私だけやけど、行きます。
すぐに返信して、「あ、黒いブラウス買わないと」と思ってメモしておいた。
そのあと、水引袋やお供えなど、用意するものあれこれ思い出す。七回忌だから、黒ブラウスと黒パンツでええか。お供えは日持ちする、小分けにできるほうがええな。お兄ちゃん夫婦が食べることになるから、鎌倉行った帰りに洋菓子屋さんで買うて帰ろう。
こういうことは、両親にあえて教わったことではないが、祖父の月命日や祖父母の法要に行ったときの記憶が、私の教科書になっている気がする。
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そうして5/11土曜日、朝5時に起きて6時ののぞみに乗り、京都へ日帰りで行った。
旅行ではなく、父の七回忌で過ごした京都の1日、10時間。短くも濃密な時間だった。
大谷本廟で祖母といたときの安堵感を思い出す
富士山を撮り、うたた寝をして、化粧をしたら京都駅に着いた。
新幹線改札を抜けて、バスターミナルに向かって歩いていて、驚く。
朝8時すぎの京都。平日朝の渋谷駅前くらい混んでいる。東山方面のバス乗り場に行くと、すでに20人ほど並んでいた。このひとたちは、朝何時から動き始めてるんやろ? 他人のことは言えない、朝5時おきの自分。
すぐに来たバスに、並んでいた人たちがどんどん乗り込む。バス乗り場にいるスタッフさんにストップかけられそうになったが、私までは乗せてもらえた。
五条坂でほとんどの人が下りた。みなさんは清水寺へ向かい、私はひとり大谷さんへ向かう。京都駅から延々と続いた喧噪から抜けて、静けさにほっとする。
いつもの花屋さんで花とお線香を買い、拝堂前で供えて、祖父母に挨拶。
今日は父の七回忌で来たこと。最近の自分のこと。息子が就活していること。夫のこと。誰もいないので、手を合わせてゆっくり報告した。
静かで、穏やかで、なんだか安堵感に包まれてちょっと泣けてきた。なんだろう、この安堵感。
思い出した。
祖母がひとり暮らすマンションに行くと、よくこんな感覚になれた。学生時代、予定がない週末にふらりと祖母のところに行くことがあった。家にいたくなくて、逃げるようにしていくこともあった。
そうだ。あの時の安堵感と同じだ。
4月は猛ダッシュで走り切り、5月になっても走る日々が続いていた。学生の頃のように、家からちょっと離れて、祖母のそばで静かに、穏やかに過ごしたかったのかもしれない。
ありがとう。またくるね。
そう言うと、祖母と祖父に見送ってもらえた気がした。
三十三間堂へ寄り道
ゆっくりと坂道を降りて、バスを降りた大通りに出る。兄夫婦とのランチまでまだ時間はあった。
そうや、久しぶりに三十三間堂へ行こう。
風が涼しく、暑くも寒くもない、爽やかな午前中。こんな気候の日に京都におるなんて、めっちゃレアかつ貴重。
バス停とは反対方向の道を歩き始め、三十三間堂へ向かった。日陰に入ると風が気持ちよい。
到着。駐車場を抜けて受付についたら、大型観光バスが2台止まっていた。降りてきたのは修学旅行生ではなく、外国人観光客。コロナ禍が昔々のことに思える。
拝観料を払い、下足コーナーで靴を脱ぎ、本堂へ入ると千手観音様たちの足が見え、正面に行くと毎回圧倒される。千体千手観音像の前には、二十八部衆という、古代インドに起源をもつ神様たちがずんっと立ってはる。
毎回気になる神様が違うのだが、今回は難陀龍王(なんだりゅうおう)という、龍神を抱えた神様が気になり、しばしじっと見つめあっていた。
中央の大きな千手観音様の前で、手を合わせて静かに拝む。外国人ツアーのみなさんは手を合わせることはされないので、ずっと前のスペースを私や手を合わせる人たちに空けてくれていた。おかげで、静かにご挨拶できた
観光客がいっぱい。英語や京訛りのガイドさんたちが説明する声もずっと聞こえる。
だが、とても穏やかで静かなのだ。私の内側が。寄り道してよかった。祖父母に続き、神様と観音様にも何かを抜いてもらったのだろう。
靴を履き、お庭は回らずに出口へ。バス停に行き京都駅行バスに乗り、2時間前にいた京都駅に帰ってきた。
東山行バス乗り場、人の列が3倍の長さになっていた。朝5時半に起きた私、えらいよ。
兄とは山崎駅で待ち合わせ。まだ電車まで時間があるのでミスドでアイスオレを買う。
ストロベリーリング1個
横にいたお兄さんの「ストロベリー」の発音がこってり関西イントネーションだったので、なんだかうれしくなった。
「そんなん知らん」とお互い言い合った思い出の料理
カフェオレを飲んで、JRの改札を抜けた。在来線ホームも混んでいたが、私が乗った普通電車は比較的空いていて、山崎まで座っていけた。
山崎駅で改札を出たら、でっかい白い、私でも見たことある高級外車のマークがついた車が。これは違うやろと思っていたら、乗っていたのは兄夫婦だった。
父とおんなじで、兄も車好きやったのか。口に出すと、「俺は親父とは違う」と言われそうなんで、黙っておいた。
近くに古民家を改装した自然食のお店があるってことで、お昼はそこに連れて行ってもらった。
料理を頼んだ後、兄に手書きメモのレシピを数枚見せた。書いたのは、亡くなった母。
なんか、覚えてる料理ない?
と聞くと、兄はそこにはない料理を言った。
えええーー!知らん!そんな料理知らん!!
ええねん、ええねん。私と違っても、それは兄の思い出の味だ。
父は食べたいものをそのとき突然作ることがあった。
母の思い出の料理は「美味しい」が付いているが、父の料理にはそれが付かない。それでも覚えているのは、家族だから、だと思った。
お店で食べた料理の写真はないけれど、食べやすい、おいしいごはんだった。味噌汁を飲んだ時、味噌より出汁の味が広がり、「あー、私も昔はこっちの味噌汁やったな」と思い出した。
味噌と野菜や揚げ、ソーセージしか入れない今の私の味噌汁は、がつんと味噌の味が前に出る。どっちがどう、ではなく、自分の好みと舌が変わったのだ。おいしい、は、ずっと同じではない。変わるのだ。
食事と久しぶりの兄夫婦との会話を楽しみ、両親のお墓があるお寺へ向かう。
(しゃべるのと食べるので忙しく写真撮るのも忘れてた。)
長いお経に感謝した父の七回忌
お寺に到着。三人でお墓を掃除。雑草を抜き、墓石をきれいに磨く。兄夫婦は、小さく切った激落ちくんをジプロックに入れて持ってきてくれていた。白い激落ちくんがすぐ黒くなり、墓石はきれいになった。
墓掃除を終えて、寺務所へ行く。父の1回忌のときと同じく、閻魔様たちがおられる閻魔堂へ案内され、三人で待っていた。
大きな閻魔様たちの像があるお堂。毎回、ここに入ると若干ビビる。
ご住職が来られ、七回忌が始まった。静かな声で話されるご住職だが、お経を読まれると声が変わる。終盤は読経のお声が私の身体の内側まで響きわたり、ここでもいろいろ祓ってもらえた気がした。父のおかげ。ありがとう。
1時間たっぷりお経をあげてもらえた。子供の頃はお経の時間が短いほど嬉しかったが、今は長いほど、家族を大事に扱ってもらえている気がしてうれしい。
1時間も一緒にいたら、閻魔様たちもやさしく見えてくるから不思議だ。
七回忌を無事終えて、兄夫婦に阪急電車の駅まで送ってもらい、私は烏丸へ向かった。
錦とフレスコとデパ地下で5000歩クリア
のんびり静かな阪急電車に揺られ、烏丸駅に到着。大丸の地下食品街へ。まずは、『満月』へ行き阿闍梨餅を買い、551の場所を確認し、パン屋さんのイートインコーナーでコーヒーを飲む。パンも買ったが、お腹いっぱいなので、帰りののぞみで食べることにした。
大丸から錦市場へ。目的は、ちりめんじゃことうすいえんどう。
祭りのような人ごみの錦市場を歩きながら、その2つを探す。店の前に野菜が並び、お客さんが1人お店のひとが1人という八百屋さんがあった。店頭に『京都産 うすいえんどう』と書かれた札があり、その前に袋にいっぱいに入ったうすいえんどうが置かれていた。
ここで買うとこ。
直感で決めた。見つけたときに買う。あとで、と思ってると、もうなかったりする。
うすいえんどうの袋を抱えて待っていたら、接客していた店主さんらしきおじさんに言われた。倉庫のような店内に入る。静かで、涼しくて、とてもよい。
お客さんはゆっくり野菜を選び、店主は丁寧に接客される。
2回ほど店内の私にも声をかけてくださる。「大丈夫ですよー。急いでるわけではないので」と2回答える。
店前に並ぶのが野菜、しかも日本語表記だけなので、観光客は素通りする。視界にも入っていないのかもしれない。そのせいなのか。このお店だけ、昔の錦市場のようなゆったりとした時間が流れていた。
前のお客さんのお買い物が終わり、私の番。
うすいえんどう、100g350円ですけど、と店主さんに言われたが、
全部ください!
と言う私。
えらい待ってもろたさかいに、と、100円もおまけしてくれた。
「旅行者さんやろか?でもちょっと違う気がするなぁ」という店主さんの心の声が漏れた気がした。
父の七回忌で京都来ましてん。今は横浜です。
と答えると、納得されたようだった。
今年は横浜でうすいえんどう買えなかった話をすると、
と話しながら包んでくれて、おまけ、って言うて、ラスクも入れてくれた。
1人、2人とお客さんが足を止め始めた。
おじさんは一日に何度もこれを言いながら野菜売ってるんやろうなあ。また次も来ようと思いながら、歩き始めた。
ちりめんじゃこのお店を探して、人の中を歩くが、なんとお休み。
って若い店主さんが去年買いにに行ったとき言うてはったの思い出した。土日は休みにしてるのかもしれん。諦めよう。
ひとの流れの切れ目を見つけてスタスタ早歩きして、錦を抜けて、大丸へ戻った。551で豚まん、海老シュウマイ、肉団子の甘酢あんを買う。息子と夫が好きな3品。ずしっとエコバッグが重くなった。そして、いつものスーパーへ向かう。
広い店内に、ぱらぱらとお客さん。買い物しやすくありがたい。息子に頼まれたどん兵衛とカールをかごに入れる。値上がりしていて驚くが、まあ、土産だと思えば安い。
私は料理に使うウスターソースを手に取る。重いが2本かごに入れた。
気温も上がり、風も止まっている。暑い。この日一番歩いた気がする。この買い物時間だけで5000歩歩いていた。
地下鉄で京都駅へ向かい、最後の買い物ポイント、京都伊勢丹地下へ行く。生鮮コーナーでちりめんじゃこを買い、夫へのおみやげを探すが、、、
お腹減った。なんか食べたい。がつんとして、あったかいもの。
このすべてを満たしてくれる、551のイートインコーナーに入った。
焼きそばの後、お寿司でも買おうかとあるいていたら、いづうがあった。
めずらしく、まだ鯖寿司残っていた。1人前を夫用に買った。
こちらが夫の感想note。
焼きそば食べたが、私もちょっとだけお寿司食べたくて、別のお店で箱寿司の半人前セットを買った。
買い物も終えて、新幹線のホームへ。
のぞみに乗ったら、ほっとして、ゆっくり寝て帰った。
幸せな10時間
京都滞在時間約10時間。その間に、今はもういない家族を思い、毎日一緒に暮らす家族を思い、歩き、手を合わせ、食べて、話して、美味しいものを買った時間だった。
安堵感や美味しいを「もらう」だけだった私は、歳をとり、それを家族に与えるようになった。与えるだけでなく、ちゃんともらってもいるのだが。
なんにせよ、そこにはいない誰かを思い出す時間、喜ぶかなと思いながら美味しいものを選ぶ時間は、しあわせな時間だ。
父のために七回忌法要に行くと思っていたが、こうして振り返ってみたら、父が私にくれた、濃密で、幸せな時間だった。
重たいお土産たちは、今日一日で、ほとんど家族のお腹に収まった。
美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。