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高校受験の時、俺はブラジルのサッカー少年やった

お金のことは言わない。
プレッシャーをかけない。


5年前、息子中3の12月。私は、寒い中学校の体育館にいた。この日は最後の保護者向け進路説明会。進路指導の先生から、受験スケジュールや書類についての説明、そして、「いよいよ本番ですよ。家庭ではこれだけは注意してくださいね」という話があった。

先生に、これだけはするなと言われた、『言わない、かけない』こと。

先生、遅かったわ。もう散々やってもうたわ。

と、心の中でつぶやいた。

同じ頃、息子が通う塾では息子、私、塾長の三者面談があった。

お母さん、息子くん、県立高校が第一希望でずっと頑張ってきましたけどね。もしも、もしも、不合格ってなったらどうしますか。

遠慮気味に尋ねる塾長に、私は何度も繰り返してきた答えを言った。

滑り止めで受けてる私立高校は、合格しても行きたくない言うてますからねえ。行きたくない高校に、たっかい授業料出すほどうちの暮らしは余裕ないんで、

近所のまいばすさん(イオン系ミニスーパー)で働きながら、夜間高校行く

というプランを採用します。

と答えた。
塾長、速攻返答。

そんなことは絶対させませんので!

塾長の方が『お母さん』みたいやなあと後から息子に言うたら、俺もそう思ったと言うていた。

こうして息子は、家庭だけでなく、塾でもプレッシャーをかけられて、受験までの2ヶ月を過ごすこととなった。

そもそも息子は、なぜそんな圧力強めな受験に挑むことになったのか。それは、私の再婚により大阪を離れてやってきた、横浜の某市立中学校入学式の日に始まる。

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あーさん。制服着て、みんなで同じ教室で時間割通りの決まった授業受けるのは、中学3年間で終わりにしたいです。

え? それは中学出たら働くってこと? 

あんたまだまだ授業始まってへんでと言うた後に聞いてみた。高校は行きたいが、時間割通りの決まった授業を受けるのはもう嫌だと思ったという。

そんな都合のいい、息子が望むような高校があるのか? ネットで調べる前に、中学校に入ったよと報告兼ねて、県内に住むおばちゃんのところへ行った。おばちゃんは、亡くなった母の学生時代からの友人で、定年まで県内の高校で英語教師をしていた。ネットで検索するより情報豊富、息子の性格もよく知るので、的確な情報がもらえるだろうと思ったのだ。

それなら、総合高校がいいんじゃない? 単位制で自分で勉強したい科目が選べる県立高校があるよ。

さすがおばちゃん、すぐにヒットする高校を教えてくれた。後から息子も調べてみたら、設立されて20年ちょっと、制服なし、校則(ほぼ)なし、「やってみなはれ精神」あふれていそうな高校だった。こんな高校、私が行きたかった。だが、内申点がほぼ5でないと入れないらしい。息子にとって、今から頑張って3年後にJリーグユースに入るくらいの壁だ。

でも俺、この高校しか行きたくない。塾行かせてほしい。

私から、そして息子からも夫に話をして、塾代を家計から出すことになった。こうして息子は人生で初めて、『ちゃんと勉強する』ことを決めた。息子は幾つかの塾の情報を集め、ほぼ個別指導の大手進学塾にお世話になることになった。

うちら家族は大阪の人間なんで、神奈川県内の高校については全くわかりません。どうぞよろしく。

最初申し込みに行った時から、私は塾長に丸投げしていた。後から、受験では親も一緒に高校について調べると聞いて「え? 私が行くんちゃうのに?」と驚いた。塾長はそんな母を持つ息子のことを不憫に思ったのか、『勉強する習慣』をつけるとこからのスタートに不安とやりがいを感じたのか、息子のことを多めに気にかけてくれた。定期試験が近づくと塾長は毎回、「目標を立てよう」と息子に各教科の目標点数をあげさせた。そうして試験前になると、今月の営業目標を立てる新人社員を叱咤激励する先輩社員のようになり、試験後には「何があかんかったか」と目標を達成できなかった新人と居酒屋で反省会をするように、面談が繰り返された。「お母さんも頑張ってくださいね」と時々私も反省会で叱られながら塾での日々は過ぎていき、いよいよ息子中3の12月となった。

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↑息子の受験を全面的にサポートしてくれた、鎌倉の荏柄天神さん。

その頃、夫と私は、春になったら息子にどれだけ授業料などかかるのか、話し合っていた。

私立高校の場合はこれだけ、県立ならこれだけと、『初年度学費』を見積書のように夫は見ていた。

え!県立ってこんな安いの? 
せやねん。毎月1万円以下で、息子の志望校の場合、普通科で勉強する科目と、それ以外にスペイン語かフランス語か中国語勉強できて、制服ないから制服代も体操服や上靴代とかもいらんねん。
そんなお得なんやったら県立やなぁ。

見積もりに加えて私のお得なオプション説明を聞いて、夫も「絶対県立やな」と心は決まった。

そやけど、あかんかったら私学になんとか行かしたげんとな。

母よりも、母の夫の方がやさしかった。

なぁ、おれ県立落ちたらどうなる? 
え? まいばすさんでバイトやで。

夫のやさしい申し出は内緒にして、3回ほど同じ問答をした後、息子は「落ちたらどうなる?」と聞かなくなった。その頃から、授業の日以外も毎日遅くまで塾の自習室で勉強し、(厚かましくも)その辺にいた学生バイトの先生たちをつかまえては、わからんところを聞いていた。「県立落ちる」という未来を完全に無きものにしようとしていた。

学校では休み時間に「絶対入試に出ないとこクイズ」をやっていたそうだ。息子と同じように「何がなんでも県立!」と家でがんがんプレッシャーをかけられている男子たちと、くだらんクイズをしながら教科書を読んでいた。

クラスメイトから第一希望校を聞かれ「大丈夫?」「内申足りてないのに受けるの?」などと、うるさいオカンみたいなことも言われていたらしい。

仲良い男子以外は、そんなん言いよんねん、あいつら。挑戦する人間に頑張れって言えんのか。

今大人気の映画、『えんとつ町の物語』のようだ。挑戦する人間が応援されないのは、えんとつ町も息子の中学校も同じだった。

そんないろいろありながら、入試シーズンに入った。私立高校入試、合格発表と過ぎて、ついに年1回のレース、でなく県立高校の入試がやってきた。

1日目、筆記試験。帰ってきた息子に出来を聞くと「全部答え書いた。見直し時間んに2箇所直したけど、そこが合うてるかなぁ」と言っていた。とりあえずあとは面接(全ての県立)とグループ討議(息子の受験高校のみ)やと、ちょっとホッとしていた。

2日目の面接、グループ討議も無事終え、合格発表までの日々を落ち着かないながらも、のんびりと過ごす日々が過ぎ、合格発表の日が来た。

こっそり持っていってもわからんやんと私は息子に言うたが、「学校であかんって言われているから」と息子はスマホを置いて家を出た。なので、結果は彼が家に帰ってから聞くことになっていた。

お昼前、玄関のドアが開いた。
リビングに入ってきた息子は、大きな声で私に告げた。

合格したで!


嬉しそうな息子を見て、よかったねぇと言ったら泣けてきた。

息子のことで嬉しくて泣いたのは、初めてだった。
私は嬉しかった。それは、彼が志望校に合格したことだけではない。望んだ未来をあきらめず、努力して掴んだことが嬉しかった。息子が自分で、自分の未来をつくるスタートに立てたことが嬉しかった。

息子は私の嬉し泣きに「え、そこまで嬉しいのん?」と少し引いていた。
その2ヶ月後、学費の安さと通学定期の安さにも、私は嬉し泣きしそうになった。

合格発表見て、家帰る前に中学校行って、職員室で合格した言うたらな。担任の先生以外に、進路の先生や他の先生もみんな喜んでくれてん。

年明けすぐの模擬試験ではC判定。内申点は5に遠く及ばず。きっと先生方は、喜びと驚きも大きかったのだろう。一緒にクイズをしていた男子や、仲のいい男子たちも、そして、頑張れって言えなかったクラスメイトも、「おめでとう」と言ってくれたそうだ。


息子は塾にも報告に行った。塾長、担当教科の先生たちに加え、『入試直前テコ入れ追加授業』で散々お世話になった先生たち、担当外の先生たちも、ものすごく喜んでくれたらしい。後日、入試の解答用紙写し(合格発表の時、書類と一緒にもらっていた)を持って、最後の三者面談に行ってきた。最後なので、三者でなく、担当教科の先生たちも混じえ、うちら親子と塾長、先生達での面談となった。

息子がテーブルに置いた解答用紙控えを見て、塾長と先生たちは驚いていた。

模擬試験でこんな点取れなかったよね。
最後の模試ってC判定だったよね。
すごいねぇ。よく本番でこれだけ点取れたよね。
オリンピックに調子合わせて金メダル取ったマラソン選手みたいですねえ。
12月から頑張っても間に合うんだねぇ(いや、間に合わんと思いますww)。
毎日最後まで、大晦日の日も自習室いたもんね。頑張ってたよ。

「おめでとう」の後の感想の方が圧倒的に多かった。うちら親子は「おせわになりました。ありがとうございました」と頭を下げて、塾を出た。

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あの時の俺は、ブラジルのサッカー少年やったわ

あの日から3年後、息子、高校の卒業式直前の3月。私立文系大学を受験して、無事第一希望にミラクル合格して、かなーりお金の負担をかける4年間を送ることになった彼が、3年前の高校受験を振り返ってぽつりと言った。私はその真意を聞いてみたくなった。


それは、サッカーが大好きでサッカー選手になりたいに加え、親に家を買ってあげよう思てプロを目指すサッカー少年みたいなん? 

まあそんな感じやな。とにかく、授業料高い私立は行かれへん。絶対に県立行って、あーさんたちにお金のことで負担かけんようにと思っててん。


ブラジルのサッカー少年か。


自分の夢だけでなく、「親を楽にしたい」という思い。あの頃、そんなふうに気ぃ使ってたんやなと、私は知った。好き放題、言いたい放題の日常の姿に隠れていた、私の知らない顔を見た気がした。あの時からもう息子は子どもを卒業して、親になるべく負担をかけまいとする大人になり始めていたのかもしれない。

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もうすぐ県立高校の入試、そして大学の一般入試の時期だ。あの頃の息子のように、『ブラジルのサッカー少年』受験生たちが、自分の望んだ未来に進めたらいいな。電車の中で受験生らしき子を見ると、あの頃の息子と重ねながら「頑張れー!」と心の中で応援している。

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美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。