歩き遍路の話15 昔から脈々と続く時の流れの中で、今ここに私は立っている
ご無沙汰しております。久々の投稿です。
だいぶ間が空いてしまいました。前回の記事はこちら。
ある旅館で精神的につらくなって泣いたことを書きました。それも結局は自分の捉え方次第、というところに落ち着いて、今回はその翌日から。
9月24日
旅館~三坂峠を越え~46番札所・浄瑠璃寺~47番・八坂寺~番外札所・文珠院(遍路開祖の寺)~番外・札始大師堂~48番・西林寺~49番・浄土寺~50番・繁多寺~51番・石手寺~松山ユースホステル。
35キロ歩いた日だった。久万高原から歩いて三坂峠を越え、松山平野に。改めて地図で見てみると、これ1日で歩ける距離なのか!とびっくりする。
松山市内に入ると札所が密集しており、3日間ずっと札所がない区間もあったことを考えると、なんだか不思議。めまぐるしいので、こういう日に巡った札所は、どこがどんなだったか明確に覚えていないのが寂しい。
↑久万高原の朝は霧。寒い!!
↑三坂峠、入り口。
↑三坂峠から松山平野を見下ろす、昔の風景の看板。今自分がここに立っていることが感慨深かった。積み重なった歴史の中で、昔から脈々と続く時の流れの中で、今ここに私は立っている。と思えた。
↑数日前の台風で、山道が大きく崩れていた。この下(左側)は急な崖のような斜面。右側をゆっくり回り込んで進んだ。回り込むスペースもほぼなかったけど。
この日は一人で歩いていたけれど、前後に数人のお遍路さんがいることは何度か挨拶してわかっていたので、恐る恐るここを通った。
完全に一人の日であれば、もし足を踏み外して落ちてしまっても、誰にも気付かれないだろうなぁと想像してしまう。が、後ろに何人かが通ることはわかってたので、最悪何かあっても見つけてもらえるだろうという安心材料とともに(笑)ここを無事通過。
↑これも崩れた道。道なき斜面を通った。
↑倒れた木の下をくぐる。
↑ここも崩れてる。
↑46番・浄瑠璃寺。
↑誰が作ったのか、膝丈くらいの高さの精工なお城が、田んぼのあぜ道にあった。笑 和む。
↑かわいい遍路道しるべ。
↑墓地を抜けて。
↑51番・石手寺は、松山市内の観光地でもあり、観光客が多かった。この饅頭、名前忘れたけど、焼きたてでめちゃくちゃ美味しかった。これ食べにまた石手寺行きたい。
今日は文章ほとんど書いてないけど、これで終わります。
今回も読んでくださってありがとうございました。
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