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家族写真とは・続き

昨日の記事の続きです。
そしてサムネはまたAIで作った画像です。

昨日の投稿はこちら。



自分の家族写真を撮り始めた

これまで全然家族写真を撮ったことがなく、撮ったのは昨日の記事で書いた、私が写真を学び始めた頃の一度だけ。そのときはまだ妹たちも実家にいたから、全員揃った写真が撮れたんです。

その後10年くらいが経ち、私は県外から地元にUターン移住しましたが、反対に妹たちは全員県外に出ていきました。

そして妹の1人は一人暮らしで猫を飼い始め、帰省するときには別の姉妹に猫の世話を頼むという形をとっているので、みんな揃って帰省することもなくなったから、本当に全員揃わなくなりました。

私はカメラマンとして独立し、いろんな写真を撮る中で、もちろん家族写真も撮らせていただくことがあります。

それをきっかけに家族写真について考えるようになりました。

お客様に家族写真をPRするのに、自分が撮ってないのはおかしいよね?と思ったことが、一歩目。

前の記事にも書いた通り、私たちはシャイというかぶっきらぼうな家族なので、あまりわざわざいろんな話をしないし、素直じゃない。写真なんて恥ずかしい。という感じです。

だけどそんなこと言ってる間に死んじゃうかもしれない。写真、残しておいたほうがいい気がする。

そう思うけれど、改まって言うことすら照れてしまうので、私がとった文句は、「家族写真についての講座やるから、紹介用に自分ちのも撮っておきたい」というものでした。

ちょうどそのとき地元で講座をやることになっていて、そのテーマを「家族写真」にしてたんですね。それを理由にしたんです。

だけど当然県外にいる妹たちは、家族写真のためだけにわざわざ帰省しません。とりあえず、今いるメンバーだけで撮ることにしました。

それがこちら。

左から、私、母、祖父、父。

家族の顔は隠していますが、私の顔を見ても分かるとおり、

めっちゃ硬い。笑

実は私、昔からずーっと大きなコンプレックスがありまして、それで笑うことが苦手になったんです。

でもこのときは段々それを克服してきた頃。だから、まだ自分の表情筋はうまく動いてくれなくてうまく笑えないけど、心はもう吹っ切れてるから、こんな顔でもいい!と思えてるし、しかもそれをこうやって外に出せてもいる。

そんなわけで、表情が硬くても、笑えなくてもいい!
家族写真を残すことが大事!

と今は思っています。


全員揃ってないけど撮る

家族写真といえば、「全員揃ってないから、またにしよう」という声もよく聞きます。

でも、確実に全員揃うのって、いつですか?ちゃんと必ず来るんですか?その日は。

仲間外れにしたらかわいそう?
そういう意図で外してるならたしかにかわいそうかもしれないけど、ちゃんと意思疎通ができる家族なら、きっとそんなことは気にしないでしょう。

もちろんそれぞれの家庭によって、いろいろな関係があるとは思いますが、少なくともこれを読んでくださっている方で、自分ちも撮りたいし撮ろうと思えば撮れるけど、うーん。と悩まれている方がいたら、それは撮っておいてほしいと思います。


昨年の年末、両親が広島旅行に行くというので、私も便乗しました。

最近になってときどき二人で週末旅行に行き始めた両親。やっぱり年齢や残りの人生のことを考えると、体が動くうちに色々見ておきたい、ってなるらしいですね。

広島旅行でも記念写真を撮ってやろう!と意気込んだ私。

妹たちはいなくて、3人だけの写真です。
でも、よくよく考えたら3人で旅行するなんてこと初めてで、とても不思議な感覚でした。

そして厳島神社で撮った写真がこちら。

また、硬い私の作り笑顔。

いいんです。もう、諦めてます、笑顔の不自然さは。モデルじゃないんだから。

そしてみんな硬いです。笑
あ、でも母親はだいたいいつも自然に近い笑顔で写ってます。性格と考え方と生活習慣が出ますねぇ。


家族写真を撮り始めて変化したこと

今までも「普通に」仲は良かったんですが、いかんせん素直じゃないし、ぶっきらぼうなんで、ワイワイといった仲の良さではないです。

でも家族写真を継続して撮るようになってから、家族のことについて考えることが増えました。

もちろん先に述べた年齢的なこともありますが。

あと、父親がなんだか優しくなったような気がしてます。

こまごまとしたことを色々と気にかけて、向こうから何か働きかけたり提案してくれたりするように。もちろんこれまでも色々と世話になってるのですが。

広島旅行で、私が全部、ホテルとか予約して旅程も考えたこととか、帰りの高速道路で父が疲れたときに、母親は高速運転できないから、私が運転交代してスムーズに帰宅できたこととかで、ちょっと「おっ」ってなったのかな?なんて思ったりもしますが。笑

でもそういった小さなコミュニケーションも含めて、「家族写真を撮る」ことから派生した私たちの小さな心の変化なんだと思います。

そして私はその後、家系図も作りました。

ずっと作ってみたかったけど、なんだか気恥ずかしくてずーっとできていなかったことを、今年やっと祖父に聞けたのです。

それも、祖父がもう体調が悪くて、というタイミングなので、かなりギリギリなのですが。

家系図についての記事はこちら。


家族写真のひろがり

これまで、他にも正月とか法事のときに親戚が集まったときにも写真を撮りました。

未だに「写真撮ろう」と言うのは少し恥ずかしいとこもあるけれど、だいぶ慣れてきました。

私が自分の家族写真を撮るようになって、私のまわりの人たちも家族写真を残そうと思ってくれて、私に頼んでくれるようになったり。

ある友人は、旦那さんが写真大嫌いだから家族写真一枚もない、と言っていました。

けれど今年の正月、旦那さんと話をしたのか、家族全員での撮影をさせていただきました。

私も事前に、「全然笑わなくてもいい!撮ることが大事だから、写るだけでいい!」と伝えていました。

長男くんもあんまり写真が好きじゃなかったらしいのですが、当日は子どもたちはみんな楽しそうな笑顔を見せてくれました。

後日、その友人には、撮ってもらえてほんとによかった!と言ってもらえ、その後、家族との関わり方やその子の考え方の変化など(撮影前から彼女自身の中であったようですが)があったみたいで、毎日楽しそうにしています。


家族写真を撮らせてもらえることって、私にとっても、ものすごく幸せなことだなぁと感じています。

その人の大切な人生、大好きな人たちに関わらせてもらえる。人生をもっと良くするお手伝いができる、というか。

全然うまく言えないけど。

そして私のカメラマンとしての声掛けは、まだまだ未熟なんですけれど…
がんばります。


人生を積極的に生きる

「家族写真を残そう」と思って行動することは、「家族を大切にしたい」「自分の人生を悔いのないように生きたい」という意思の表れだと思うんです。

人生はつらいし、一生修行だよこれ。
と思うことも多々あるし、基本的には私はそう思ってるんですが、それでも生きている以上、自分の意思で人生を歩みたい。できるだけ。

死ぬときに後悔まみれ、は嫌。

もちろんどうにもならないことも、たくさんあるでしょう。

後悔もあるでしょう。私もすでにたくさんあります。

よく聞く「後悔しない生き方」は、私は嘘だと思っていて、後悔なんて山ほどある。けど、それに引っ張られて残りの人生を生きるか、後悔はもうそこに置いておいて残りの人生楽しく生きるか。が大事なのでは。

これからも後悔することはたくさん出てくると思う。けど、それも引き受けて、その上で自分で選択をして生きていく。


なんだか人生の話になってしまいましたが、家族写真を撮る、家族と向き合う、というのもその選択の一つ。

そう思うわけです。


かなり長文になってしまいました。
読んでくださった方々、ありがとうございました。

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