歩き遍路の話14 すべては自分との対話だった
前回の遍路の話から少し間が空いてしまいました。
9月22日、久万高原の宿に入ったところまで書きました。今回は続きで、その夜から書こうと思います。
9月22日
雨に濡れて寒すぎて、ガタガタ震えながら、チェックイン時間よりも少し早く宿に入った。そのとき一緒に歩いていたおじさん遍路は2食付きプラン。私は素泊まり。
入ったときの印象は、不愛想なおばちゃんだな、と。まぁそれはいいんだけど。
いつもは宿にチェックインするとまずはお風呂に入るのだけど、このときはチェックイン時間前で、お風呂にまだ入れなかった。でも雨に濡れたので、あまりに寒い!耐えられなくて、9月なのにエアコンを入れさせてもらった。
そしたら用事で宿のおばちゃんが部屋に来たときに、「エアコンつけてるの!?毛布なかった?」と、ものすごく不満そうな表情をされた。「すいません、雨に濡れて寒かったので…」と言ったけど、ものすごく嫌そう。
その態度を受けて、おばちゃんがいなくなったあと、私はめちゃくちゃ泣きそうになった。てか、泣いた気がする。
寒くてエアコン入れただけなのに、なんでここまで嫌な態度をとられなきゃいけないのか。。。私が素泊まりだからなのか?それともそれは関係ないのか?
どうにか心を落ち着かせようと、部屋に置かれていた司馬遼太郎の『人間というもの』を読もうとしたけれど、あまりに感情が揺さぶられすぎて読めなかったのを覚えている。
少しして、おばちゃんが毛布を持ってきた。それから、お風呂入り。と。
私は努めて普通の態度をとった。泣いているなんて思われたくない。
こうやって書いていると、どうしてそこまで辛く感じたのか不思議だ。
遍路だから、みんなが優しくしてくれることが当たり前だと思っていたのだろうか?いや、そうではない気がする。
身体が弱っているときは精神も弱っていて、そこにちょうどおばちゃんの態度がストライクしたんだと思う。普通なら少し悔しがったり文句を言ったりして流せる程度のことが、このときは私の心を砕いた。
そして次の44・45番札所は打ち戻りルートなので、場所がちょうどいいこの宿の予約は2泊とっている。明日もまだあるのか、、、と思うとすでに憂鬱だった。
9月23日
宿~44番札所・大宝寺~八丁坂を越えて、45番・岩屋寺~同じ宿に戻る。約28キロ。
ひと山越えると、土日だけ地元の方たちが集まってお接待をしているという集会所みたいなところを通り、お接待をいただいた。
凹んでいても、こういうのに救われる。
お遍路ルート中、四国の至る所で、ボランティアで行われるお接待。とてもありがたい、心身共に遍路の支え。グループでされている方々もいれば、個人でスペースを開いている方も。すごい。
次の45番札所・岩屋寺はなかなか有名なところ。そしてそこに行くまでのルートは、道路か、八丁坂というキツイ山道かのどちらか。
私はその分岐点まで来て、八丁坂の説明看板を読んで、八丁坂を行くことにした。
後で聞いた話、宿が同じだったおじさん遍路さんは、帰りに八丁坂を通ろうと思っていたらしいが、道がわからなくて、結局行きも帰りも道路を通ったと言っていた。
他にも何人かに聞いたが、私が出会った中では八丁坂を歩いた人はいなかった。圧巻のすばらしい風景の話を一緒にしたかったのに、残念。
八丁坂を越えて岩屋寺に出る直前、杉の巨木群に囲まれた空間に出た。それはもう圧巻の存在感で、言葉では言い表せない空気感だった。
しばらくの間、巨木に見とれてぼーっとしていた。
巨木に囲まれていて、もののけ姫じゃないけれど、太古の森のようだった。いや、でももののけ姫の舞台となった屋久島にも屋久杉という杉があるし、あながち間違いではない気がする。太古の森。
写真じゃまったく伝わらないので動画でぐるりと撮影したのだけど、動画でも伝わらないほど、大きな木々が迫る空間。
この感動を誰かと共有したかったが、残念ながら先程書いた通り、この道を通った人には私は出会わなかった。
このあと岩屋寺に出るのだが、正面の山門ではなく、裏の門に出た。え、こんなところに出るの!?とかなり驚いた。
これは岩屋寺から八丁坂に行こうと思っても、気付かないわ。おじさん遍路は、行きは国道で帰りに八丁坂のつもりでいたが、これは絶対分からない。
私はきついの覚悟で行きに八丁坂ルートを選んでよかったなぁ。とにかくあの巨木群の空間は本当にすごかった!
そして岩屋寺。
こういうハシゴ見ると登りたくなるよね!
もちろん登りました。
岩肌がすごい。昔の修行の場だったんだろうな。圧巻すぎて、みんな好きになる、岩屋寺です。
帰りは国道から。通りすがりの軽トラの地元のおじちゃんに、「リンゴもってけリンゴ!後ろの荷台のやつ取れ!良いやつな!」と言われ、道路の真ん中で慌ててやりとりをした。
1個取ったら、「それあんま良いやつじゃないな!もう1個取れ!赤いの!」と言われ、弾丸トークでウケた。帰りはその1個をかじりながら帰った。
あーまたあの宿に帰るのか、と少し憂鬱になる。帰る前に道の駅に寄って、こんなときは自分を甘えさせようと思い、少し高いオシャレなお菓子をひとつ買った。
そして宿に帰ると、宿のおばちゃんがなぜかバナナを1本くれた。昨日は強く言ってごめんね、とでも言いたそうな雰囲気・・・ではなかったが、なんとなくそう受け取った。
それでまぁ昨日のもやもやも薄まり、一件落着。
遍路には、「十善戒(じゅうぜんかい)」という昔からの行動指針がある。
不殺生 :生き物をむやみに傷つけない。殺さない。
不偸盗 :盗まない。与えられていないものを自分のものとしない。
不邪淫 :道徳に外れた男女の交際をしない。
不妄語 :嘘をつかない。悪意や敵意を持って誤った言葉や偽りの言葉を口にしない。
不綺語 :中身の無い言葉を話さない。へつらわない。
不悪口 :乱暴な言葉を使わない。
不両舌 :他人を仲違いさせるようなことを言わない。
不慳貪:激しい欲をいだかない。
不瞋恚 :激しい怒りをいだかない。
不邪見 :道理を無視した誤った見解を持たない。
この宿でのもやもやは、悪口として口にこそ出していないが、不満を自分の中にものすごく抱いていた。
この十善戒に従うかどうかというのは、正直自分次第なところがある。みんながみんな忠実に守っているわけではない。けれど真面目なお遍路さんは、もちろん意識してい歩いている。
遍路中にぶつかる精神的な辛さは、最初は対外的なもので発覚するが、その問題を突き詰めると、実は自分との向き合い方なのだと気付く。
今回のことも、最初はおばちゃんの態度に対して「どうして、なぜ。ひどい」と思っていたが、よくよく考えると、自分が考えるべき・向き合うべきなのは、自分の心なのだというところに行きつく。
まったくもって上手く説明できていないけれど。
とにかく歩き遍路中にぶつかった問題は、最初は対外的なところで問題が浮上するのだけど、それを突き詰めて考えていると、すべて自分の在り方・自分との対話というところに行きついた。
そう、対話なのだ。内観。
そんなこんなで、今回の記事を終わります。
長くなりましたが、読んでくださってありがとうございました。
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