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ふわっと口語で愉しむ『言志四録』 今週の言葉「174 国を動かす人」+chat「国は変われるか?」


174 国を動かす人

食糧の問題、貨幣供給の問題は
国家の解決すべきことで、
失敗は許されない。

税制、資金・財務に目を光らせても、
うまくいかないこともある。

贅沢を敵視しても解決しない。
平和な世をつくり、人口が増えれば
問題も増える。

運を天に任せて、
なにもしないことは許されない。

働かずに暮らす人を減らし、
ムダをなくしつつ、
企業経営者を増やし、
必要な生産をさらに促進する。

奇策に走らず、
国を治める者は十分に手を尽くすこと。
そこに信用が生まれることが大切。
信用があれば、すべてはうまくいく。

いろいろな施策が成功するかどうかは、
上に立つ人間しだいなのである。
(言志録 174国家)

◆◇ ◆◇ 訳者の蛇足 ◆◇ ◆◇

(トップの品性と行動が信用できるか)
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これまでの言葉は↓
ふわっと口語で愉しむ『言志四録』まとめ

 佐藤一斎および「言志四録」については、こちらをご参照ください

【ご注意】勝手に現代口語に訳すというか、かなり著者なりの言葉になっていますので、ご興味を持たれたら原典にも触れてみてください。

参考:講談社学術文庫 川上正光訳、岩波書店 日本思想体系46「佐藤一斎 大塩中斎」(1980年5月23日第1刷)

M&Aオンラインの著者連載コラム
「M&Aに効く『言志四録』」
「M&Aに効く論語」

chat「国は変われるか?」


 自分を変えたいとか、組織を変えたい、といった願望を持つ人がいます。なにかを変えることは、かなりハードルが高いので、その多くは一種の愚痴としてモヤッとした雰囲気で消えて行くことが多いことでしょう。
 一方、「この国をなんとかしなければ」とか「国の仕組みを変えたい」といった言葉も同様に、耳にすることはあっても、具体的にそれに向けて動き出す例は少ないようです。
 いずれも、変化を起こすにはなにかをしなければなりませんが、その具体的なプロセスも浮かばず、おいそれと手を出せない印象があり、思いはあっても、現実とするには困難が大きすぎるのかもしれません。
 トップを交代させれば変わるか、と言われると、それもケースによって違うとしかいいようがなく、考えは新しくても実行性が乏しい、あるいは状況として実行できないままとなることも多いので、「ちっとも変わらない」となりやすい気がします。
 ChatGPTによれば、政治参加と選挙活動によって変化を生み出した例として、2019年のフィンランド総選挙を挙げます。若者を中心として気候変動への対応を大きく取り上げて票を伸ばし既成政党に勝ったのです。しかし、みなさんもご存知のように、2023年4月には総選挙で敗れてしまい、期待されていたマリン首相は辞任しました。これをもってして「変えた事例」と言えるのか、といえば、確かに選挙によって政権は移動していますから、その意味では変わった。少なくとも変えることは可能だ、と言えます。でも、国が変わったかどうかは不明です。
 社会運動と市民の力で国を変える例として、ChatGPTはインドの独立運動やアメリカの市民権運動を挙げてくれました。確かに、これは世の中を大きく変える運動だったことは確かで、その意味では人々の永続的な力は、国を動かせる可能性を感じさせてくれます。
 メディアと情報発信によって国を変える例として、ChatGPTは有効な事例を挙げることはできませんでした。なんだか、ちょっとおかしな事例を出してきて、どっちもダメじゃん、という感じしか受けなかったのでここでは紹介しません。つまり、メディアと情報発信だけでは、なにも変わらないかもしれません。
 教育と意識啓発も重要だとChatGPTは言うのですが、こちらも事例は出てきませんでした。いえ、出しては来たけど、国が変わった、とまではいかない。教育と意識啓発は、むしろ国が変わったあとの話ではないかと私は思います。例とすれば、当然、この日本で太平洋戦争で敗戦後に民主的な国家づくりのために繰り広げられてきた教育と意識啓発があるでしょう。
 教育と意識啓発は、戦時中は最後のひとりが倒れるまで戦う、としていたのであって、敗戦によって強制終了されたのちに、新しい国を定着させるために必要とされたことでした。つまり、教育と意識啓発で国を変えることは、教育と意識啓発を国がやる以上、ムリです。
 ChatGPTは「教育を改善し、社会の意識を向上させることで、将来の政治的・社会的なリーダーや変革の推進者を育成する可能性があります。」と言うのですが、それは確かにあるかもしれません。ですが、そこは人に頼ることになるので、明確な変化を生み出せるかは未知数です。
 いまの日本では、国は変えず、ほかに変えられるところは変えようとしています。だけど、根本を変えずに、表層だけを変えるといっても、変える部分が少なすぎるので、その結果、さまざまな問題が発生しているのかもしれません。マイナンバー問題はいい例でしょう。
 この点で「変える」とか「変わった」は、なにがどう、どのように変わったのか詳しく見ていかないと、何も変わっていないとしか思えないことにも気づかされます。